カイロ (軽巡洋艦)

艦歴
発注 キャメル・レアード社バーケンヘッド造船所
起工 1917年11月28日
進水 1918年11月19日
就役 1919年10月14日
退役
その後 1942年8月12日に戦没
除籍
性能諸元
排水量 常備:4,290トン
満載:5,250トン
(1939年:5,390トン)
全長 451.4ft(137.6m
全幅 43.9ft(13.3m)
吃水 14ft(4.7m)
機関 ヤーロー重油専焼水管缶6基
+パーソンズ直結タービン2組2軸推進
最大出力 40,000shp
最大速力 29.0ノット
乗員 330 - 350名
兵装 15.2cm(45口径)速射砲単装速射砲5基
7.6cm(45口径)単装高角砲2基
4.7cm(40口径)単装機砲4基
4cm(39口径)単装ポンポン砲2基
機銃1基
53.3cm連装魚雷発射管4基8門
防御 舷側:38~76mm(機関区のみ)
甲板25mm(機関区のみ)
主砲防盾:25mm(最厚部)

カイロHMS Cairo, D87)は、1918年進水イギリス海軍軽巡洋艦カーライル級

艦歴

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第二次世界大戦中に撮られた防空巡洋艦に改装後の「カイロ」
第二次世界大戦中に撮られた防空巡洋艦に改装後の「カイロ」

1917年11月28日起工。1918年11月19日進水。1919年10月14日竣工。

最初はアジア方面に配備され、次いでアメリカ、地中海に配備された後、本国艦隊所属となった。

1938年から1939年にかけて防空巡洋艦へ改装された。

第二次世界大戦では北海ウェスタンアプローチで船団護衛などに従事したほか、1940年にはノルウェーの戦いに参加した。

1942年には地中海でハープーン作戦などに参加した。地中海でペデスタル作戦マルタへの補給作戦)参加中の1942年8月12日夜、「カイロ」はイタリア潜水艦「アクスム」の雷撃を受けた。「アクスム」は4本の魚雷を放ち、「カイロ」のほか軽巡洋艦「ナイジェリア」とタンカー「オハイオ」にも命中した。「カイロ」には2本の魚雷が命中して大破し、乗員の救助後駆逐艦によって沈められた。

兵装の変遷

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変更時期 主砲 備砲 機関砲 機関銃 雷装 その他
就役時 15.2cm(45口径)単装速射砲5基 7.6cm(45口径)単装高角砲2基
4.7cm(40口径)速射砲4基
4cm(39口径)単装ポンポン砲2基 なし 53.3cm連装魚雷発射管4基8門
1939年7月 10.2cm(45口径)連装高角砲4基 撤去 4cm(39口径)四連装ポンポン砲1基 12.7mm(62口径)四連装機銃2基 撤去
1941年 撤去 2cm(76口径)単装機関砲5基 撤去 271、279、285型レーダー搭載