裏社会についての回顧録を残したことで知られるニック・ジェンティーレによれば、この言葉は1900年頃にギャングたちがジュゼッペ・モレロに対して用いていたという[4]。その後、ジョー・マッセリア(1928年-1931年)やサルヴァトーレ・マランツァーノ(1931年)といった有力なボスらが裏社会を自身の下に統制するために自らの称号として用いた。例えばマランツァーノはカステランマレーゼ戦争での勝利後に「カポ・ディ・トゥッティ・カピ(capo di tutti i capi)」を名乗り、ニューヨーク五大ファミリーの創設など、裏社会の大規模な整理と統制を進めた。こうした動きは大きな反発を生み、1931年9月にラッキー・ルチアーノの命令でマランツァーノは暗殺された[5]。ルチアーノはほぼ反対もなく次の「カポ・ディ・トゥッティ・カピ」となったが、この地位がファミリー間の抗争や別の野心的な人物の標的になると考え、廃止を決めた[6]。ルチアーノはボス達の会合であるコミッション(全国委員会)を通して影響力を持つ狙いもあったが、それぞれのボス達は対等とし、この会合を通して将来のファミリー間抗争を回避することを構想し、他のボス達もこのアイデアに賛同した[7]。こうしてマフィアの連合体であるコミッションは、アメリカ国内でのすべてのマフィアの活動を監視し、ファミリー間の利害調整や調停する役割を果たした[7][8]。コミッションはニューヨーク五大ファミリー、バッファロー・ファミリー、及びシカゴ・アウトフィットのボスらを中心として構成されていた(必要に応じて他のマフィアのボスが参加したり、地方の小規模ファミリーは主要ファミリーのボスに代理出席を依頼した)[9]。
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Capeci, Jerry (2005). The Complete Idiot's Guide to the Mafia. 2nd ed. Indianapolis, Indiana: Alpha Books. ISBN978-1592573059
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Wallace, David (2011). Capital of the World: A Portrait of New York City in the Roaring Twenties. Guilford, Connecticut: Lyons Press.ISBN978-0-7627-6819-6