カルロス・リー

カルロス・リー
Carlos Lee
ヒューストン・アストロズ時代
(2010年4月3日)
基本情報
国籍 パナマの旗 パナマ
出身地 パナマの旗 パナマコクレ県アグアドゥルセ
生年月日 (1976-06-20) 1976年6月20日(48歳)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
240 lb =約108.9 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 左翼手一塁手
プロ入り 1994年 アマチュアFA
初出場 1999年5月7日
最終出場 2012年10月3日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム パナマの旗 パナマ代表
WBC 2006年2009年2013年

カルロス・ノリエル・リー(Carlos Noriel Lee、1976年6月20日 - )は、パナマコクレ県アグアドゥルセ出身の元プロ野球選手。右投右打。

ニックネームは El Caballoエル・カバージョスペイン語で「ウマ」の意)。

経歴

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ホワイトソックス時代

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ロドルフォ・チアリ高校を卒業し、1994年シカゴ・ホワイトソックスとマイナー契約を結ぶ。

1999年5月7日にアスレチックス戦で初打席初本塁打でメジャーデビューを果たし、9月中旬まで左翼手として、それ以降は指名打者として先発出場するようになった[1]。シーズン通算で127試合に出場、打率.293・16本塁打・84打点を記録し、新人王投票で7位に入った。

2000年は152試合に出場し、左翼のレギュラーに定着。打率が3割を超えたほか、24本塁打・92打点という成績を残した。

2001年2002年は打率が2割6分台と低迷。

2003年には158試合に出場、打率こそ.300に届かなかったが本塁打は30本を超え、打点でも自身初の100打点を記録、MVPの投票で18位に入った。

2004年シーズンまで3年連続で地区2位となり、ポストシーズン進出を逃してきた。この結果に対しケン・ウィリアムズGMは、チームを「重量打線で打ち勝つ野球」から「ディフェンスを重視する野球」に方向転換させることを決断した[2]

ブルワーズ 時代

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ミルウォーキー・ブルワーズ時代
(2005年5月7日)

2004年12月13日に、スコット・ポドセドニック(この年のナショナルリーグ盗塁王)らとのトレードミルウォーキー・ブルワーズに移籍した[3]

2005年は前半戦までに22本塁打76打点を記録し、オールスターに初出場を果たし、ホームラン・ダービーにも出場した。本人によるとホームラン・ダービーでスウィングを崩してしまい[4]、後半戦は10本塁打に終わった。162試合にフル出場を果たし、自己最高の32本塁打・114打点を記録し、シーズン終了後にはシルバースラッガー賞を受賞した。

2006年開幕前の3月に第1回WBCパナマ代表に選出された[5]

シーズンでは、オールスターまでに26本塁打を放ち、ジェロミー・バーニッツの持つ球団記録に並んだ[6]。昨年に続き、オールスターに選出され、ホームラン・ダービー出場を打診されたが、6月右手の痛みや、調子を落とすのを恐れダービー出場は辞退した[4]

この年のオフにFAとなるリーに球団は契約延長交渉を続けたが、5年総額6,000万ドルの要求に応えられなかった[7]

レンジャーズ時代

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2006年7月28日の "フラッグシップ・ディール" でテキサス・レンジャーズへ移籍した[3]。リーは両リーグを跨ぎながら本塁打と打点で前年の自己記録をさらに更新する37本塁打・116打点を記録した。

アストロズ時代

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2006年11月24日、6年総額1億ドルでヒューストン・アストロズにFA移籍した。ジェフ・バグウェルランス・バークマンの8,500万ドルを上回る球団史上最高額となった[8]

2007年は全162試合に出場し、6月26日には通算235本塁打に到達し[9]パナマ出身のメジャーリーガーとしてベン・オグリビーを上回り、単独1位となった[10]オールスター以後はリーグ最多の73打点をマークし[11]、シーズン成績は打率.303・32本塁打(リーグ10位)・119打点(同3位)と、主砲として活躍した。

2008年4月2日にシーズン初本塁打を放ち、通算1,500本安打を達成し、通算902打点はパナマ出身のメジャーリーガーとしてベン・オグリビーを上回り、単独1位となった[10]。8月には打率.550・3本塁打・11打点で3年ぶりの週間MVPに選出されたが、8月9日のレッズ戦でブロンソン・アローヨから死球を受け、左手首を骨折。メジャー初の故障者リスト入りとなったままシーズンを終えた[12]

2009年開幕前の3月に、第2回WBCのパナマ代表に選出され[13]、2大会連続2度目の選出を果たした。同大会では、「4番指名打者」として出場するが7打数1安打と結果が出ずに一次リーグ敗退となってしまう。

シーズンでは、アストロズ移籍後で最小の26本塁打に終わったものの、3年連続で.300以上の打率、4年連続で100以上の打点をマークした。

2010年は、シーズンを通して打率が.250を超えることなく、メジャーデビュー以来自己最低の打率.246に終わった。本塁打と打点もアストロズ移籍後最低の数字に終わり(24本・89打点)、打撃三部門全てにおいて大幅に数字を落とした。

2011年は、前年より打率と打点で盛り返したものの、本塁打は20本に届かなかった。

マーリンズ時代

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2012年7月4日にマット・ドミンゲスロブ・ラスムッセンとのトレードでマイアミ・マーリンズへ移籍した。

マーリンズでは81試合で4本塁打に留まり、シーズン成績は自己最低の9本塁打、77打点。打率は自己ワースト2位となる.264に終わり、シーズン終了後にFAとなった。11月には、母国パナマで行われた第3回WBC予選のパナマ代表に選出され[14]、3大会連続3度目の選出を果たした。

2013年6月に、現役引退を表明した。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1999 CWS 127 517 492 66 144 32 2 16 228 84 4 2 1 7 13 0 4 72 11 .293 .312 .463 .775
2000 152 619 572 107 172 29 2 24 277 92 13 4 1 5 38 1 3 94 17 .301 .345 .484 .829
2001 150 605 558 75 150 33 3 24 261 84 17 7 1 2 38 2 6 85 15 .269 .321 .468 .789
2002 140 576 492 82 130 26 2 26 238 80 1 4 0 7 75 4 2 73 5 .264 .359 .484 .843
2003 158 671 623 100 181 35 1 31 311 113 18 4 0 7 37 2 4 91 20 .291 .331 .499 .830
2004 153 658 591 103 180 37 0 31 310 99 11 5 0 6 54 3 7 86 10 .305 .366 .525 .891
2005 MIL 162 688 618 85 164 41 0 32 301 114 13 4 0 11 57 7 2 87 8 .265 .324 .487 .811
2006 102 435 388 60 111 18 0 28 213 81 12 2 0 7 38 4 2 39 13 .286 .347 .549 .896
TEX 59 260 236 42 76 19 1 9 124 35 7 0 0 4 20 2 0 26 9 .322 .369 .525 .894
'06計 161 695 624 102 187 37 1 37 337 116 19 2 0 11 58 6 2 65 22 .300 .355 .540 .895
2007 HOU 162 697 627 93 190 43 1 32 331 119 10 5 0 13 53 10 4 63 27 .303 .354 .528 .882
2008 115 481 436 61 137 27 0 28 248 100 4 1 0 5 37 7 3 49 8 .314 .368 .569 .937
2009 160 662 610 65 183 35 1 26 298 102 5 3 0 8 41 5 3 51 21 .300 .343 .489 .831
2010 157 649 605 67 149 29 1 24 252 89 3 3 0 4 37 1 3 59 20 .246 .291 .417 .708
2011 155 653 585 66 161 38 4 18 261 94 4 3 0 6 59 8 3 60 9 .275 .342 .446 .788
2012 66 277 258 24 74 15 1 5 106 29 0 0 0 0 19 2 0 17 7 .287 .336 .411 .747
MIA 81 338 292 29 71 12 0 4 95 48 3 0 0 6 39 2 1 32 6 .243 .328 .325 .654
'12計 147 615 550 53 145 27 1 9 201 77 3 0 0 6 58 4 1 49 13 .264 .332 .365 .697
MLB:14年 2099 8787 7983 1125 2273 469 19 358 3854 1363 125 47 3 98 655 60 47 984 206 .285 .339 .483 .821
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰

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記録

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代表歴

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脚注

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  1. ^ Carlos Lee 1999 Batting Gamelogs - Baseball-Reference PI” (英語). 2008年1月17日閲覧。
  2. ^ 古内義明 『メジャー監督』、筑摩書房 <ちくま新書> 、2006年、ISBN 4480062920、173頁。
  3. ^ a b Carlos Lee Transactions” (英語). Baseball-Reference.com. 2008年10月27日閲覧。
  4. ^ a b 「MLB30球団チーム最新レポート&全選手個人成績 ミルウォーキー・ブルワーズ/MIL ダービー出場を辞退した理由」『スラッガー』2006年9月号、日本スポーツ企画出版社、2006年、雑誌15509-9、83頁
  5. ^ 2006 Tournament Roster The official site of World Baseball Classic (英語) 2016年3月2日閲覧 [リンク切れ]
  6. ^ Carlos Lee 2006 Career Highlights” (英語). 2008年4月8日閲覧。
  7. ^ 「デットライン直前の動向を完全分析 トレード戦線異状あり?」『スラッガー』2006年9月号、日本スポーツ企画出版社、2006年、雑誌15509-9、48頁
  8. ^ Molony, Jim (2006年11月24日). “Astros reel in Lee, Williams” (英語). MLB.com. 2009年6月25日閲覧。
  9. ^ Carlos Lee Home Run Log” (英語). Baseball-Reference.com. 2008年10月27日閲覧。
  10. ^ a b 「MLB30球団チーム最新レポート&全選手個人成績 ヒューストン・アストロズ/HOU 主砲リーが静かに金字塔を樹立」『スラッガー』2008年6月号、日本スポーツ企画出版社、2008年、雑誌15509-6、84頁
  11. ^ Carlos Lee 2007 Career Highlights” (英語). 2008年4月8日閲覧。
  12. ^ Zaccardi, Nick (2008年8月11日). “Pyrrhic victory: Lee nabs weekly honors” (英語). MLB.com. 2009年6月25日閲覧。
  13. ^ 2009 Tournament Roster The official site of World Baseball Classic (英語) 2016年3月2日閲覧 [リンク切れ]
  14. ^ 2012 Qualifier Roster The official site of World Baseball Classic (英語) 2016年3月2日閲覧 [リンク切れ]

関連項目

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外部リンク

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