カーチス CR(Curtiss CR)は1921年に開発されたアメリカ海軍の競技機である。アメリカ陸軍向けのR-6は1922年に359.72 km/hの速度記録などを樹立し、水上機に改造されたアメリカ海軍のCR-3は1923年のシュナイダー・トロフィー・レースで優勝した。
カーチス CRは通常の形式の単座の複葉機で、モノコックの胴体で同一スパンの上下翼はN字型のストラットで支持されている。アメリカ海軍向けはCR-1、CR-2の記号で製作され、この機体は水上機に改造されて、CR-3、CR-4と呼称が変えられた。陸軍向けに改良型が開発されR-6と呼ばれた。R-6は空力面でさらに改良され表面ラジエターなどが採用された。
カーチス CRは航空機レースで多くの成功を収めた。1921年のピューリツァー・トロフィーにCR-1がバート・アコスタ(Bert Acosta)の操縦で、平均速度283.49 km/hで優勝し1922年のピューリツァー・トロフィーではCR-1を改造したCR-2と陸軍のR-6とで1位から4位までを独占した。優勝はラッセル・モーガン(Russell Maughan)で平均速度は330 km/hであった。この記録は200kmの距離の平均速度の世界記録であった。
アメリカ陸軍はR-6を使って速度の世界記録に挑戦し、1922年10月18日にウィリアム・ミッチェル(William Mitchell)の操縦で、359.72 km/hの記録を樹立し、1923年3月にはラッセル・モーガンの操縦で記録を380.74 km/hに伸ばした。
海軍のCR-2にフロートを装着し、CR-3と呼称をかえた機体は1923年のシュナイダー・トロフィー・レースに参加し、ディビッド・リッテンハウス(David Rittenhouse)が285.457 km/hの平均速度で優勝し、ルトレッジ・アーヴィン(Rutledge Irvine)が平均速度278.970 km/hで2位となった。
CR-3はさらに改良され、CR-4となり水上機の速度記録に挑戦し、1924年に317 km/hの記録を樹立した。