カール・フリードリヒ・クリスティアン・ファッシュ Carl Friedrich Christian Fasch | |
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基本情報 | |
生誕 |
1736年11月28日 ドイツ国民の神聖ローマ帝国 アンハルト=ツェルプスト侯国 ツェルプスト |
死没 |
1800年8月3日(63歳没) ドイツ国民の神聖ローマ帝国 ブランデンブルク選帝侯領 ベルリン |
ジャンル | クラシック |
職業 | 作曲家、ハープシコード奏者 |
カール・フリードリヒ・クリスティアン・ファッシュ(Carl Friedrich Christian Fasch, 1736年11月18日 - 1800年8月3日)は、ドイツの作曲家、ハープシコード奏者。
ファッシュはツェルプスト[注 1]で、作曲家のヨハン・フリードリヒ・ファッシュの息子として生まれた。教育は主に父から施された。1756年にプロイセンのフリードリヒ2世の宮中に仕えるようになり、そこで宮廷ハープシコード奏者をしていたC.P.E.バッハの代理となった。1767年にバッハが宮廷を去りハンブルクへと向かってからは、ファッシュがその後を引き継いだ[1]。彼は1791年にベルリン・ジングアカデミーを設立している[2]。この合唱団の演奏会では、ファッシュは大バッハや他のバロック時代の巨匠の音楽を推進し、また同時代の音楽も取り上げた。1796年にはベートーヴェンがアカデミーを訪問している。また、ファッシュはジングアカデミーのために多くの作品を作曲した。彼の「16声のミサ曲」はオルガンの通奏低音のみを伴った技巧的なミサ曲であり、18世紀終盤における合唱曲の傑作である[3]。
ファッシュは1800年にベルリンで帰らぬ人となった。彼の墓地はハレシェス・トア駅[注 2]の南にあるイェルサレム教会[注 3]とドイツ教会[注 4]の第1墓地にプロテスタントの様式で残されている。彼の亡き後、アカデミーの指導者はカール・フリードリヒ・ツェルターに受け継がれた。
注釈
出典