カーヴド・エア Curved Air
ロンドン公演(2018年)
基本情報 出身地
イングランド ロンドン ジャンル
活動期間
レーベル
公式サイト
Curved Air メンバー
ソーニャ・クリスティーナ
カービー・グレゴリー
クリス・ハリス
ロバート・ノートン
アンディ・トゥィーン
グレッグ・ガジオムスキー
旧メンバー
カーヴド・エア (Curved Air )は、1970年代 前半に活動したイングランド のプログレッシブ・ロック ・バンド 。
女性ボーカリストとヴァイオリニスト を含む編成が特徴で、後にロキシー・ミュージック やUK で活動するエディ・ジョブソン 、ポリス を結成するスチュワート・コープランド が在籍した。その後、幾度か再結成している。
フロリアン・ピルキントン・ミクサ 、ロブ・マーティン、王立音楽アカデミー の学生だったフランシス・モンクマン が組んでいたアマチュア・バンドに、王立音楽大学 でヴァイオリン を学んでいたダリル・ウェイ が加わる。当初はシシファス (Sisyphus)と名乗っていたが、テリー・ライリー の楽曲「レインボー・イン・カーヴド・エア 」に因んでカーヴド・エア と改名した[ 2] 。
ソーニャ・クリスティーナ(1970年)
1970年 、ミュージカル『ヘアー 』の音楽で知られるガルト・マクダーモット が手掛けたミュージカル "Who the Murder Was"の演奏に参加し、その後、ソーニャ・クリスティーナ (英語版 ) を迎えた。彼女は『ヘアー』のオリジナル・ロンドン・キャストの一員だった[ 3] 。
1970年、イギリスのバンドでは初めてワーナー・ブラザース・レコード と契約した[ 2] 。その後マーティンが脱退するというトラブルに見舞われたものの、11月にデビュー・アルバム『エア・コンディショニング』を発表。全英8位という成功を収める[ 4] 。同作はデビュー・シングル「今日突然に(It Happened Today)」や、ウェイのテクニックを生かしたインストゥルメンタル 「ヴィヴァルディ(Vivaldi)」といった代表曲を収録。
2作目『セカンド・アルバム』(1971年 )は全英11位に達し、シングル「バック・ストリート・ラヴ(Back Street Luv)」も全英4位のヒットとなった[ 4] [ 注釈 1] 。3作目『ファンタスマゴリア -ある幻想的な風景-』(1972年 )は、後にクリスティーナがソロ・アルバム"Songs from the Acid Folk"(1991年)で取り上げたフォーク・ナンバー「メリンダ(Melinda (More or Less))」や、モンクマンが主導権を握った前衛的な楽曲「前にいるのは誰(Whose Shoulder Are You Looking over Anyway?)」を含む多彩な内容で、全英20位に達した[ 4] 。しかし同作の発表に伴うツアーの途中でモンクマンが脱退。後任にカービー・グレゴリーが加入するが、続いてウェイとピルキントン・ミクサも脱退[ 注釈 2] 。クリスティーナたちはエディ・ジョブソン とジム・ラッセルを迎えてツアーの残りを消化する[ 5] 。
クリスティーナとマイク・ウェッジウッド (ベース)の2人に、前述のツアーの途中で加入したグレゴリー、ジョブソン、ラッセルを加えた新編成で『エア・カット』(1973年 )発表[ 注釈 3] 。この頃のアウトテイクは、後に編集盤『ラヴ・チャイルド』(1990年)として発表された。その後、一度解散状態となり、ジョブソンはブライアン・イーノ の後任としてロキシー・ミュージック に加入。クリスティーナは再び『ヘアー』に出演した。
1974年 、オリジナル・メンバーのウェイ、モンクマン、ピルキントン・ミクサが復帰し、新たにフィル・コーン(ベース)を迎えて、11月からツアーを開始。12月5日のカーディフ 公演と6日のブリストル 公演での演奏を収録したライブ・アルバム『ライヴ』(1975年 )を、BTMレコード[ 注釈 4] から発表した[ 注釈 5] 。クリスティーナはボーカル・スタイルをアグレッシヴに変化させ、「バック・ストリート・ラヴ」のサビをオリジナルより1オクターヴ高く歌った。
その後、クリスティーナとウェイ以外のメンバーは脱退[ 注釈 6] 。残った二人は、スチュワート・コープランド [ 6] らを迎えて『ミッドナイト・ワイアー』(1975年)、『エアボーン』(1976年 )を発表した[ 注釈 7] 。その後、ウェイも脱退してアレックス・リッチマン(キーボード)が加入するが、新編成での音源発表はなく、1976年12月には解散した[ 注釈 8] 。
1990年 、ピルキントン・ミクサ、マーティン[ 注釈 9] 、モンクマン、ウェイ、クリスティーナのオリジナル・メンバー5人が再び揃い、ライブ活動を行う。9月23日の演奏は、2000年 に『アライヴ1990』として発表された。
2007年 、再々結成の話が持ち上がるが、クリスティーナが当時マーヴィン・エアーズ とMASK[ 7] を結成して活動していたため、一旦延期となる[ 8] 。そして2008年 、クリスティーナ、ウェイ、ピルキントン・ミクサの3人と、アンディ・クリスティ(ギター)、クリス・ハリス(ベース)の2人の新メンバーで再々結成。昔の曲の再録音版と新曲2曲を収録した32年ぶりのスタジオ・アルバム『リボーン』を発表。2009年 1月16日と17日には、CLUB CITTA' で初の日本公演を行なう[ 9] 。
唯一のオリジナル・メンバーとして活動するクリスティーナ(2015年)
その後、ウェイが再度の脱退をし、後任にジョブソンが加入してツアーに参加したが直ぐに脱退。2009年 後半以降は、クリスティーナとピルキントン・ミクサの二人に新メンバーを入れての6人編成で活動を継続していたが、2017年 にピルキントン・ミクサが降板しオリジナル・メンバーはクリスティーナだけになる。
2021年 、ピルキントン・ミクサが死去[ 10] 。
ソーニャ・クリスティーナ (Sonja Kristina) - ボーカル (1970年–1976年、1984年、1988年、1990年、2008年–)
全作に参加。
カービー・グレゴリー (Kirby Gregory) - ギター (1972年–1973年、2013年–2016年、2019年–)
『エア・カット』『ラヴ・チャイルド』に参加。
クリス・ハリス (Chris Harris) - ベース (2008年–)
『リボーン』以降の作品に参加。
ロバート・ノートン (Robert Norton) – キーボード (2009年–)
アンディ・トゥィーン (Andy Tween) – ドラムス (2017年–)
グレッグ(グジェゴシュ)・ガジオムスキー (Grzegorz "Greg" Gadziomski) – ヴァイオリン (2019年–)
ダリル・ウェイ (Darryl Way) - ヴァイオリン、キーボード (1970年–1972年、1974年–1976年、1984年、1988年、1990年、2008年–2009年)
『エア・カット』『ラヴ・チャイルド』、2010年以降の作品を除く全作に参加。
初期3作品、『ライヴ』『アライヴ1990』に参加。
ロブ・マーティン (Rob Martin) - ベース (1970年、1990年スポット参加)
『エア・コンディショニング』制作後に脱退。『アライヴ1990』にゲスト参加。
フロリアン・ピルキントン・ミクサ (Florian Pilkington-Miksa) - ドラムス (1970年–1972年、1974年、1990年、2008年–2017年)
初期3作品、『ライヴ』『アライヴ1990』『リボーン』に参加。
イアン・アイアー (Ian Eyre) - ベース (1970年–1971年)
『セカンド・アルバム』に参加。
『ファンタスマゴリア-ある幻想的な風景-』『エア・カット』『ラヴ・チャイルド』に参加。
エディ・ジョブソン (Eddie Jobson) - ヴァイオリン、キーボード (1972年–1973年、2009年スポット参加)
『エア・カット』『ラヴ・チャイルド』に参加。
ジム・ラッセル (Jim Russell) - ドラムス (1972年–1973年)
『エア・カット』『ラヴ・チャイルド』に参加。
フィル・コーン (Phil Kohn) - ベース (1974年–1975年)
『ライヴ』に参加。
『ミッドナイト・ワイアー』『エアボーン』に参加。
ミック・ジャック (Mick Jacques) - ギター (1975年–1976年)
『ミッドナイト・ワイアー』『エアボーン』に参加。
『ミッドナイト・ワイアー』にゲスト参加。
トニー・リーヴス (Tony Reeves) - ベース (1975年–1976年)
元コロシアム 、グリーンスレイド 。『エアボーン』に参加。
アレックス・リッチマン (Alex Richman) - キーボード (1976年)
1976年後半のライブのみ参加。
アンディ・クリスティ (Andy Christie) - ギター (2008年–2009年)
『リボーン』に参加。
キット・モーガン (Kit Morgan) - ギター (2009年–2013年、2016年-2018年)
ポール・サックス (Paul Sax) – ヴァイオリン (2009年–2019年)
ジョージ・ハドソン (George Hudson) - ギター (2018年-2019年)
『エア・コンディショニング』 - Airconditioning (1970年)
『セカンド・アルバム』 - Second Album (1971年)
『ファンタスマゴリア -ある幻想的な風景-』 - Phantasmagoria (1972年)
『エア・カット』 - Air Cut (1973年)
『ミッドナイト・ワイアー』 - Midnight Wire (1975年)
『エアボーン』 - Airborne (1976年) ※旧邦題『空中漂流』
『ノース・スター』 - North Star (2014年)
『ライヴ』 - Curved Air – Live (1975年)
『ライヴ・イン・コンサート』 - Live at the BBC (1995年) ※BBC でのスタジオ・ライブのアーカイヴ。録音は1970年、1971年、1976年。後に『エア・ウェイヴス - ライヴ'70S』 (Air Waves )のタイトルで再発。
『アライヴ1990』 - Alive, 1990 (2000年)
『リボーン』 - Reborn (2008年) ※スタジオ録音の新曲を含む。
『ライヴ・アトモスフィア』 - Live Atmosphere (2012年)
『ラヴ・チャイルド』 - Lovechild (1990年) ※1973年録音のアウトテイク集
『ベスト・オブ・カーヴド・エア』 - Retrospective (2010年) ※ベスト・アルバム
^ 収録曲「ユー・ノウ(You Know)」は後にカテドラル が日本企画のミニ・アルバム『ホプキンス』でカヴァーした。
^ ウェイは、ジョン・エサリッジ (後にソフト・マシーン )やイアン・モズレイ(後にマリリオン )と共にダリル・ウェイズ・ウルフを結成した。
^ 同作は、カーヴド・エアの作品の中では唯一、CD 化が2000年代 にまで遅れ、長い間廃盤 となっていた。
^ マイルス・コープランド3世 が設立した。
^ 配給はデラム。
^ モンクマンはフィル・マンザネラ らと共演。
^ コープランドはカリフォルニア州での学生生活を終えようとしていた1975年、ロンドンで音楽マネージメントに携わっていた長兄のマイルス・コープランド3世 から、ウェイが新しいバンドのドラマーを探していることを聞いた。彼はロンドンに渡ってウェイらに合流したが、ウェイやカーヴド・エアの他のオリジナル・メンバーが税金対策の為に急遽再結成ツアーを行なうことになったので、そのツアー・マネージャーを務めることになった。ツアーが終了するとウェイとクリステイーナがカーヴド・エアに残り、彼とギタリストのミック・ジャックスをメンバーに迎えて活動を継続することになった。彼等は、マイルスが設立したBTMレコードから2作のアルバムを発表した。
^ クリスティーナは1980年 にソロ・デビュー。コープランドは1977年にポリス を結成して成功を収める。二人は1982年 に結婚したが、1991年に離婚した。
^ ゲストとしての参加。