ガス・カーン Gus Kahn | |
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ガス・カーン(1927年頃) | |
基本情報 | |
出生名 | Gustav Gerson Kahn |
生誕 |
1886年11月6日 ドイツ帝国 コブレンツ |
死没 |
1941年10月8日(54歳没) アメリカ合衆国 カリフォルニア州ビバリーヒルズ |
職業 | 作詞家 |
共同作業者 |
リチャード・A・ホワイティング ウォルター・ドナルドソン アイシャム・ジョーンズ |
ガス・カーン(Gus Kahn、本名:グスタフ・ガーソン・カーン (Gustav Gerson Kahn)、1886年11月6日 - 1941年10月8日)は、アメリカ合衆国の作詞家。
1886年、ドイツ・コブレンツ生まれ。1890年、家族でアメリカ移住、シカゴに引っ越し。高校卒業後、郵便局の事務員を務め、その後ティン・パン・アレーを拠点とする作家となる。1916年、グレイス・リボーイ(Grace LeBoy)と結婚。ドナルドとアイリーンという子供がおり、ドナルドはのちにミュージシャンになった。
初期はボードヴィルの出し物を書いていた。1913年、作曲家エグバート・バン・アルスタインと共同で作った「Memories」やトニー・ジャクソンと共同で作った「Pretty Baby」などがヒットした。バンドリーダーのアイシャム・ジョーンズと共同でつくった「夢であいましょう」は、1951年の彼を描いた伝記映画の題名になった。
1920年代を通しブロードウェイで『Holka Polka』(1925年)、『Kitty's Kisses』(1926年)、『Artists and Models』(1927年)、『フーピー』 (1928年)、『Show Girl』(1929年)を書き、MGM映画にも楽曲を提供した。
1933年には映画専業となり、『空中レヴュー時代』、『砲煙と薔薇』、『青きダニューヴの夢』などの映画に向けて作詞を担当した。
妻のグレイス・リボーイ・カーンをはじめ、リチャード・A・ホワイティング、バディ・G・デシルヴァ、 アル・ジョルソン、レイモンド・イーガン、テッド・フィオ・リート、アーニー・アードマン、ニール・モレット、ヴィンセント・ユーマンス、ジョージ・ガーシュウィン、アイラ・ガーシュウィン、ハリー・アクスト、ハリー・ウッズ 、エドワード・エリシュー、ヴィクター・シャーツィンガー、アーサー・ジョンストン、ブロニスラウ・ケイパー、ジェローム・カーン、ワルター・ユルマン、シグモンド・ロンバーグ、ハリー・ウォーレンらとも共同で制作しており、とりわけウォルター・ドナルドソンと組むことが多かった。
1970年にソングライターの殿堂入り。
有名な作品は、「My Buddy」(1922年、作曲ウォルター・ドナルドソン)、レイ・チャールズら様々なアーティストがカバーした「もしあなただったら (It Had to Be You)」(1924年、作曲アイシャム・ジョーンズ)、「Yes Sir, That's My Baby」(1927年、作曲ウォルター・ドナルドソン)、「Makin' Whoopee!」(1928年、作曲ウォルター・ドナルドソン)など。