「ガールフレンド・イズ・ベター」 | |||||||||||||
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トーキング・ヘッズの楽曲 | |||||||||||||
収録アルバム | 『スピーキング・イン・タングズ』 | ||||||||||||
リリース | 1983年6月1日[1] | ||||||||||||
録音 | ニューヨーク、ブランク・テープ・スタジオ、シグマ・サウンド・スタジオ ナッソー、コンパス・ポイント・スタジオ | ||||||||||||
ジャンル | ニュー・ウェイヴ | ||||||||||||
時間 | 3分32秒 | ||||||||||||
レーベル | サイア・レコーズ | ||||||||||||
作詞者 | デヴィッド・バーン、クリス・フランツ、ジェリー・ハリスン、ティナ・ウェイマス | ||||||||||||
作曲者 | 同上 | ||||||||||||
プロデュース | トーキング・ヘッズ | ||||||||||||
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「ガールフレンド・イズ・ベター」(Girlfriend Is Better)は、トーキング・ヘッズが1983年に発表した楽曲。
トーキング・ヘッズは1982年7月からアルバムの制作を開始。ニューヨークのブランク・テープ・スタジオとシグマ・サウンド・スタジオ、バハマのナッソーのコンパス・ポイント・スタジオでレコーディングは行われた。「ガールフレンド・イズ・ベター」ではバーニー・ウォーレルがシンセサイザーで参加した[2]。
1983年6月1日、5枚目のスタジオ・アルバム『スピーキング・イン・タングズ』が発売[1]。本作品はアルバムA面の3曲目に収録された。
リハーサルに1か月ほど費やし[3]、同年8月からグループはツアーに出た[4]。アルバムに参加したバーニー・ウォーレル(キーボード)、アレックス・ウィアー(ギター)、スティーヴ・スケールズ(パーカッション)らがツアーのメンバーに加わった。また、リン・メイブリーとエドナ・ホルトがバッキング・ボーカルとして加わった。サポートの5人はいずれもアフリカ系アメリカ人であった。
ツアーが始まった頃、ジョナサン・デミが当時の恋人のサンディ・マクロード(Sandy McLeod)とコンサートを見に来た。デミは彼らに「このツアーの映画を作りたい」と申し出た。ちょうどバンドの全員がツアーの記録を残したいと思っていたときであり、デミの1980年の作品『メルビンとハワード』も好きだったため、話はすぐにまとまった。デミは制作中だった映画『スイング・シフト』のゴールディ・ホーンのシーンを撮り直さなくてはならなくなり、代わりにマクロードが1か月間バンドを追いかけ、演奏者やカメラ位置などに関する記録をとった。映画のスタッフは、1983年12月13日から16日にかけてロサンゼルスのパンテージズ劇場で行われたコンサートをフィルムに収めた[5]。
コンサート映画『Stop Making Sense』は1984年4月24日にサンフランシスコ国際映画祭で上映され、同年10月に全国公開された。映画のタイトルは本作品の歌詞「僕らは年をとるにつれ、意味づけするのをやめる/君は待ちわびている彼女を探し当てることはできない/意味づけをやめよ(As we get older and stop making sense / You won't find her waiting long / Stop making sense)」からとられた。
バーンは能の装束を元にして作らせた大柄のスーツに身を包んで「ガールフレンド・イズ・ベター」をうたった[3]。同名のライブ・アルバム『Stop Making Sense』は9月に発売された。同年11月、「ガールフレンド・イズ・ベター」のライブ・バージョンがシングルとして英国などで発売された[6]。B面は「ワンス・イン・ア・ライフタイム」のライブ・バージョン[7]。ニュージーランドでは21位、英国では99位を記録した。