キャリック伯爵(キャリックはくしゃく、Earl of Carrick)は、スコットランド王国、のちイギリス(連合王国)の伯爵位。
13世紀末のダンケルド朝断絶後から14世紀初頭にかけて、スコットランド王国は国王不在の時代を過ごしたが、イングランド王エドワード1世の遠征軍との戦いは前王朝の遠縁にあたるロバート・ブルースらの指揮の下で戦われた。1306年、ロバートはスコットランド王に即位してブルース朝を開くが、ロバートは即位前に母マージョリー (en) からキャリック伯爵を相続しており、即位をもって国王と伯爵の家系が統合されたことになる。
当初は伯爵位は常設ではなく、国王の近親の男性王族がその都度任命され、その即位や死去と共に国王領に戻る、という状態であった。伯爵位が王統とともにステュアート家に移って以降も同様であったが、ジェームズ3世の即位後は、国王の長子が相続する慣習ができた。イングランドとの同君連合成立後もこの慣習は続き、現在に至る。
代数 | 受爵者 | 画像 | 受爵期間 | 備考 |
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1 | ダンカン (en) | 1186年 - 1250年 | ||
2 | ニール (en) | 1250年 - 1256年 | 先代の長男。 | |
3 | マージョリー (en) | 1256年 - 1292年 | 先代の長女。 | |
4 | ロバート・ブルース | 1292年 - 1314年 | 先代の長男。 1306年よりスコットランド王ロバート1世。 | |
5 | エドワード・ブルース | 1314年 - 1318年 | 先代の弟。 1315年よりアイルランド上王。 | |
6 | デイヴィッド・ブルース | 1328年 - 1330年 | 先代の甥。 のちスコットランド王デイヴィッド2世。 | |
7 | アレグザンダー・ブルース (en) | 1330年 - 1333年 | 5代目の息子。 | |
8 | ジョン・ステュアート | 1368年 - 1390年 | のちスコットランド王ロバート3世。 | |
9 | デイヴィッド・ステュアート (en) | 1390年 - 1402年 | 先代の長男。 | |
10 | ジェームズ・ステュアート | 1404年 - 1437年 | 先代の弟。 1406年よりスコットランド王ジェームズ1世。 | |
11 | ジェームズ・ステュアート | 1473年 - 1488年 | 先代の曾孫。 のちスコットランド王ジェームズ4世。 | |
12 | ジェームズ・ステュアート (en) | 1507年 - 1508年 | 先代の長男。 | |
13 | アーサー・ステュアート (en) | 1509年 - 1510年 | 先代の弟。 | |
14 | ジェームズ・ステュアート | 1512年 - 1513年 | 先代の弟。 のちスコットランド王ジェームズ5世。 | |
15 | ジェームズ・ステュアート (en) | 1540年 - 1541年 | 先代の長男。 | |
16 | ジェームズ・ステュアート | 1566年 - 1567年 | 先代の甥。 のちスコットランド王ジェームズ6世。 | |
17 | ヘンリー・フレデリック・ステュアート | 1594年 - 1612年 | 先代の長男。 | |
18 | チャールズ・ステュアート | 1612年 - 1625年 | 先代の弟。 のちスコットランド王チャールズ1世。 | |
19 | チャールズ・ステュアート | 1629年 | 先代の長男。 | |
20 | チャールズ・ステュアート | 1630年 - 1649年 | 先代の弟。 のちスコットランド王チャールズ2世。 | |
21 | ジェームズ・フランシス・エドワード・ステュアート | 1688年 - 1702年 | 先代の甥。 | |
22 | ジョージ | 1714年 - 1727年 | 18代目の姉の曾孫。 のちグレートブリテン王ジョージ2世。 | |
23 | フレデリック | 1727年 - 1751年 | 先代の長男。 | |
24 | ジョージ | 1762年 - 1780年 | 先代の孫。 のち連合王国国王ジョージ4世。 | |
25 | エドワード | 1841年 - 1901年 | 先代の弟の孫。 のち連合王国国王エドワード7世。 | |
26 | エドワード | 1901年 - 1910年 | 先代の次男。 のち連合王国国王ジョージ5世 | |
27 | エドワード | 1910年 - 1936年 | 先代の長男。 のち連合王国国王エドワード8世。 | |
28 | チャールズ | 1948年 - 2022年 | 先代の弟の孫。 のち連合王国国王チャールズ3世 | |
29 | ウィリアム | 2022年 - | 先代の長男。 |
上述の系統とは別に、1628年、チャールズ1世がキャリック伯爵位を創設し、ジョン・ステュアート (en) に叙爵された。彼はすでに、1607年にスコットランド貴族としてKincleven卿(Lord)になっている。ジョンは、スコットランド王ジェームズ5世の庶子である初代オークニー伯ロバート・ステュアートの三男であり、つまり、チャールズ1世の叔従父にあたる。
この爵位は、王位継承者が保持するエアシャー地方のキャリック伯爵領と競合しないよう考えられ、オークニー諸島のエディ島を所領とした。
ジョンは、初代ノッティンガム伯チャールズ・ハワードの娘で、Sir Robert Southwellの未亡人エリザベスと結婚し、娘マーガレットを儲けた。彼にはほかに息子ヘンリーと娘1人がいたことが知られている。しかし、ジョンには嫡出の男子がなかったため、彼の死によってこのキャリック伯爵位は一代限りで断絶した。