キンボルトン城 | |
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キンボルトン、ハンティンドンシャー | |
キンボルトン城 | |
座標 | 北緯52度17分47秒 西経0度23分18秒 / 北緯52.2964度 西経0.3884度座標: 北緯52度17分47秒 西経0度23分18秒 / 北緯52.2964度 西経0.3884度 |
種類 | 18世紀の宮殿を改造したモット・アンド・ベイリー形式 |
コード | GB-EAW |
施設情報 | |
現況 | キンボルトン・スクールとして使用。 |
キンボルトン城(英語: Kimbolton Castle)は、イングランドのケンブリッジシャー州ハンティンドンシャーにあるカントリー・ハウス。イングランド王のヘンリー8世の最初の妻であるキャサリン・オブ・アラゴンの終の棲家だった。元々は中世様式の城であったのを威厳のある宮殿に改造された。1615年から1950年にかけてマンチェスター公爵家の邸宅であった。現在はキンボルトン・スクールとして使用されている。
この城は13世紀初頭に初代エセックス伯爵ジェフリー・フィッツピーターによって建てられた[1][2]。中庭は15世紀後期にリチャード3世王妃のアン・ネヴィルによって改装された[1]。
1522年、この城はサー・リチャード・ウィンフィールドに購入された[1]。
その後、キンボルトン城はイングランド王妃キャサリン・オブ・アラゴンの終の棲家となった。キャサリン・オブ・アラゴンは、国王ヘンリー8世の王妃であったが、1531年には別居させられた。彼女は王妃の立場を譲位したり、結婚の有効性を否定することを拒んだため、1534年5月にキンボルトン城に幽閉された[1][3]。幽閉されてからもキャサリンは近隣住民から慕われて、「クイーン(王妃)」と呼ばれていたという[4]。1536年1月に王妃は城内で亡くなった[5]。
1615年、サー・ヘンリー・モンタギュー[注釈 1]がこの城を購入し、1950年に売却されるまでモンタギュー家の居城であった[1][6]。
現存する城館は、子孫の第4代マンチェスター伯爵チャールズ・モンタギュー[注釈 2]が1690年から1720年にかけて整備した[6]。一連の整備は建築家ジョン・ヴァンブラの設計によっており、崩落した南側のウィングを再建することも含まれていた[1] 。第4代マンチェスター公爵ジョージ・モンタギューは楼門主塔(1766年建設)の設計を新古典主義建築家のロバート・アダムに依頼した[1]。
モンタギュー一族の多くはキンボルトンのセント・アンドルース教会に埋葬されている。一族の地下墓所が北礼拝堂に置かれている一方(1853年に延長)、数名分の墓碑は今もなお南礼拝堂に存在している[7]。
1950年、第10代マンチェスター公爵アレクサンダー・モンタギューは邸宅を売却し、1951年に城と50エーカー (200,000 m2)の土地はキンボルトン・スクールに売り渡された[8]。
この城の土地にはかつてワレナーと呼ばれる猟場番人が暮らしていたウォーレン・ハウスがあり、それは城に唯一の装飾的ファサードを備えた彼の領域に面白みを加えるために、城の居住者の1人の指令で改装された18世紀後期のフォリーであった。なお、ここはイングランドの第2*級指定建築物に指定され、ランドマーク・トラストが所有している[9][10]。