Keena Turner | |||||||||
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基本情報 | |||||||||
ポジション | ラインバッカー | ||||||||
生年月日 | 1958年10月22日(66歳) | ||||||||
出身地 |
![]() イリノイ州シカゴ | ||||||||
身長: | 6' 2" =約188cm | ||||||||
体重: | 219 lb =約99.3kg | ||||||||
経歴 | |||||||||
大学 | パデュー大学 | ||||||||
NFLドラフト | 1980年 / 2巡目全体39位 | ||||||||
初出場年 | 1980年 | ||||||||
初出場チーム | サンフランシスコ・49ers | ||||||||
所属歴 | |||||||||
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受賞歴・記録 | |||||||||
スーパーボウル制覇(4回) | |||||||||
第16回・第19回・第23回・第24回 | |||||||||
プロボウル選出(1回) | |||||||||
1984 | |||||||||
NFL 通算成績 | |||||||||
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Player stats at PFR |
キーナ・ターナー(Keena Turner 1958年10月22日- )はイリノイ州シカゴ出身の元アメリカンフットボール選手。NFLのサンフランシスコ・フォーティナイナーズで11シーズンプレーした。現役時代のポジションはラインバッカー。
シカゴのギャングに支配される、低所得者層が住む地域で育った[1]。
シカゴ・ベアーズのプロフットボール殿堂入り選手、ディック・バトカスと同じ高校に入学した。パデュー大学ではビッグ・テン・カンファレンスのオールチームに2度選ばれた[2]。
1980年のNFLドラフト2巡でサンフランシスコ・フォーティナイナーズに指名された[3]。フォーティナイナーズでは、アウトサイドラインバッカーとしてプレーした。
1982年1月24日に行われた第16回スーパーボウルでは、ひどい風邪をひいて迎え、第3Qに自陣14ヤードまで攻め込まれた第4ダウンのプレーで、交代のコールを見逃しフォーティナイナーズは10人でプレーし、ピート・ジョンソンにファーストダウン更新を許した[4]。
1984年には2サック、4インターセプトをあげるとともにNFL最少失点であったディフェンスの中で強いリーダーシップを発揮、プロボウルに選出された[5][6]。
1990年1月、ロサンゼルス・ラムズとのNFCチャンピオンシップゲームでは、ジム・エバレットからヘンリー・エラードに投げられたパスをインターセプトしている[7]。
1990年9月、ロースターからカットされたが[8]、その後復帰し全16試合に出場した。
フォーティナイナーズ一筋で11シーズンプレーし、1990年シーズンを最後に現役を引退した[2][9]。引退までにスーパーボウルリングを4個獲得した[9]。フォーティナイナーズの選手として1980年代に4回優勝しているのは、他にジョー・モンタナ、ロニー・ロット、エリック・ライト、マイク・ウィルソンの4人のみで、ジェシー・サポールが第19回スーパーボウルから第29回スーパーボウルまでの4回優勝メンバーとなっている。
1991年4月、エリック・ライト、マイク・ウィルソンとともに契約延長のオファーを受けず、現役を引退した。同時にプランBでロニー・ロット、ロジャー・クレイグ、マット・ミレンがフォーティナイナーズから移籍した[10]。
現役引退後も、フォーティナイナーズのチームスタッフとして留まり、1992年からスタンフォード大学のヘッドコーチに就任したビル・ウォルシュの下でアシスタントコーチを1995年まで務めた[2][6]。
1998年にフォーティナイナーズのスタッフに復帰した[6]。
スタンフォード大学でのコーチを辞めた後、テレビやラジオ解説者として10年以上にわたり活動している[2]。
2000年6月には、カリフォルニア州トレーシーにトヨタのカーディーラー、TRACY TOYOTAを元チームメートのロニー・ロットと設立した[2][6]。
2008年、フォーティナイナーズの副社長に就任した[9]。