ギョルジュク海軍工廠 Gölcük Naval Shipyard | |
---|---|
Gölcük Donanma Tersanesi | |
Part of ギョルジュク海軍基地 | |
コジャエリ県ギョルジュク | |
座標 | 北緯40度43分23秒 東経29度48分11秒 / 北緯40.723度 東経29.803度座標: 北緯40度43分23秒 東経29度48分11秒 / 北緯40.723度 東経29.803度 |
種類 | 軍事施設 |
施設情報 | |
管理者 | トルコ海軍 |
歴史 | |
使用期間 | 1926年 - |
駐屯情報 | |
元指揮官 | ヌルハン・カヤオグル海軍少将[1] |
ギョルジュク海軍工廠 (トルコ語: Gölcük Donanma Tersanesi) はトルコのコジャエリ県ギョルジュクにある造船所で、トルコ海軍のギョルジュク海軍基地の敷地内に立地している。マルマラ海東岸に面するこの造船所は1926年に設立され、以来トルコ海軍艦艇の建造・修繕を担っている。3,221人の従業員を擁し、敷地面積255,526平方メートル (2,750,460 sq ft)、うち屋根付き建築物は121,466平方メートル (1,307,450 sq ft) に及ぶ[2]。
第一次世界大戦後、損傷した巡洋戦艦ヤウズ・スルタン・セリムを修理するために、その巨大な艦体を収容できる浮きドックが必要であった。その建設地としてイズミット湾南岸のギョルジュクが選定された。ドイツの造船所フレンダー・ヴェルケが浮きドックと兵営を建設し、1926年にギョルジュク海軍工廠が設立された[3]。
1942年には修繕設備が拡張され、付帯する機械工場や鋳造所なども整備された。用地にはギョルジュクの沼地や湖、ヘーゼルナッツ園が充てられた。これは1923年に締結されたローザンヌ条約により、ボスポラス海峡・ダーダネルス海峡への軍事施設の設置が禁じられたことから、金角湾やイスタンブールのイスティニエにあったトルコ海軍の施設をギョルジュクに移転することになったためである[3]。
1947年以降は、造船所の主要施設はNATOの補助金を受けて整備された。現在、ギョルジュク海軍工廠では潜水艦、コルベット、フリゲート、揚陸艦の他、最大30,000DWTの商船などを建造することができ、イスタンブールのトゥズラにあるペンディク海軍工廠に次いで、トルコで2番目に大きな造船所となっている[4]。
ヤウズ・スルタン・セリムの修理が完了した後、1番船の建造が始まった。1934年7月26日に石油タンカーが起工され、全長58.60 m(192.3フィート)の船体が16ヵ月で建造された。この石油タンカーは造船所にちなんでMT ギョルジュクと命名されて1935年11月1日に進水した。これはトルコ共和国建国後初めて建造された船でもあった。MT ギョルジュクは1983年まで約半世紀に渡って運航された[5]。
1980年、ギョルジュク海軍工廠で1,000トン級のアイ級潜水艦を建造したことは、トルコの造船史における重要な画期となった。また、近代的フリゲート TCG ファーティフ (F-242)は1988年の海軍造船所国際プレステージ賞を受賞した[6]。
2008年1月4日の時点で、ギョルジュク海軍工廠では総計454隻の艦船が建造された[7]。