『クオレマ』(フィンランド語: Kuolema)は、アルヴィド・ヤルネフェルトの戯曲。「クオレマ」はフィンランド語で「死」を意味する。1903年に初演され、1911年に改訂された。義弟のジャン・シベリウスが劇付随音楽をつけたことから有名になった。その中でも、後に単独のコンサートピースに編曲された『悲しきワルツ』が名高い。
劇は以下の3幕からなる。
1903年の舞台上演に向けてシベリウスが付随音楽として作曲したのは、以下の6曲である。
シベリウスは1904年に第1曲を改訂すると、『悲しきワルツ』(フランス語: Valse triste)作品44として同年4月25日に初演した。1905年にブライトコプフ・ウント・ヘルテル社より出版されると、たちどころに聴衆の人気を得て、シベリウスの代表作の一つとなった。しかし出版社との契約のため、『悲しきワルツ』の演奏で得られる収入は、かなりの低額に留まった[2]。
1906年にシベリウスは、第3曲と第4曲を結合して改訂し、題名も『鶴のいる情景』(スウェーデン語: Scen med Cranor)に改めた。『鶴のいる情景』は1906年12月14日にヴァーサで初演されたが、作品番号は付されず、作曲者の存命中に再演されることはなかった。結局『鶴のいる情景』が出版されたのは、シベリウスの死後16年目の1973年になってからであり、作品番号は『悲しきワルツ』にあやかって作品44-2とされた(このため『悲しきワルツ』は、現在では作品44とする例と、作品44-1とする例とが見られる)。
同じく1906年には、劇音楽『クオレマ』を編曲して、弦楽合奏のための『恋人たちのロンディーノ』(ドイツ語: Rondino der Liebenden)を書き上げたが、1911年まで演奏されないままだった。1911年にヤルネフェルトが戯曲『クオレマ』の改訂版を上演すると、このためシベリウスは『恋人たちのロンディーノ』の改訂稿を作成して『カンツォネッタ』(イタリア語: Canzonetta)と改題し、さらに新作の『ロマンティックなワルツ』(フランス語: Valse romantique)を書き下ろした。この2曲の初演は、1911年3月8日にヘルシンキ国立劇場において行われ、『悲しきワルツ』も併せて演奏された。演劇は成功しなかったが、シベリウスは『悲しきワルツ』が、『カンツォネッタ』作品62aや『ロマンティックなワルツ』作品62bと一緒に繰り返し成功することを望んで、初演後ただちに(作品62を)2曲抱き合わせで出版した。しかし、いずれも『悲しきワルツ』ほどには聴衆の注目を集めなかった。
『悲しきワルツ』や『鶴のいる情景』『カンツォネッタ』『ロマンティックなワルツ』を、(元々それぞれの稿の成立経緯が違っているにもかかわらず)あたかも劇音楽『クオレマ』の全曲録音であるかのように、1つの組曲として演奏したり録音することがたまに行われているが、それはシベリウスが意図したことではない。