クトブッディーン・マウドゥード | |
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アミール | |
在位 | 1149年 - 1169年 |
死去 |
1170年9月6日 |
子女 |
イマードゥッディーン・ザンギー2世 サイフッディーン・ガーズィー2世 イッズッディーン・マスウード1世 |
王朝 | ザンギー朝 |
父親 | イマードゥッディーン・ザンギー |
クトブッディーン・マウドゥード(アラビア語: قطب الدين مودود بن عماد الدين زنكي بن آقسنقود Quṭb al-Dīn Mawdūd b. ‘Imād al-Dīn Zankī b. Āq-Sunqūr, ? - 1170年9月6日)は、モースルのザンギー朝のアタベク、アミール(在位:1149年 - 1169年)。アターベク・クトブッディーン・マウドゥードなどと称する。モースルにおけるザンギー朝の始祖。
彼はザンギー朝の祖であるイマードゥッディーン・ザンギーの息子でサイフッディーン・ガーズィーやヌールッディーンの兄弟であった。
1149年、兄のサイフッディーンが死去すると、彼は兄の後を継ぎモースルを中心とするジャズィーラ地方およびディヤール・バクル地方のアミールとなった。1170年に没すると、彼の息子の一人、サイフッディーン・ガーズィー2世がその地位を継いだ。
クトブッディーン・マウドゥードは下記の子女をもうけた[1]: