クラウディオ・ランジェス | |
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基本情報 | |
国籍 | イタリア |
出身地 | 同・ブレシア |
生年月日 | 1961年8月4日(63歳) |
F1での経歴 | |
活動時期 | 1990 |
所属チーム | '90 ユーロブルン |
出走回数 | 14 (0スタート) |
優勝回数 | 0 |
通算獲得ポイント | 0 |
ポールポジション | 0 |
ファステストラップ | 0 |
初戦 | 1990年アメリカGP |
最終戦 | 1990年スペインGP |
クラウディオ・ランジェス(Claudio Langes, 1961年8月4日[1] - )は、イタリアの元レーシングドライバー。ブレシア出身。
1978年、17歳でイタリア・カート選手権125ccクラスのチャンピオンを獲得。1981年にイタリアF3選手権にデビューし、1982年のヨーロッパ・フォーミュラ3選手権ではポイントを積み重ねてランキング9位となった。翌1983年もランキング9位となり、1984年にエディ・ジョーダン・レーシングへ移籍。開幕戦ドニントン・パークで3位表彰台に立つ。同年6月のF1モナコGP前座のインターF3にはバロン・レーシングから出走、このレースでポールポジションとファステストラップを記録し、7月からはヨーロッパF3での参戦チームもバロンからとなった。8月19日、第11戦クヌツトープでルイス・ペレス=サラとの戦いを抑えきりF3初優勝を達成。年間ランキングではイヴァン・カペリ、ジョニー・ダンフリーズ、ゲルハルト・ベルガーに次ぐ4位の結果を残した。
1985年、新たに始まった国際F3000選手権にバロン・レーシングでステップアップするが、資金の問題で2戦のみで撤退となった。なお、この時の参戦マシンはF1で使用されていたティレル・012である。同年はこの後自費でイタリアF3にスポット参戦した。
1986年6月、国際F3000第6戦からBSオートモービルと契約し、第7戦エンナ・ペルグーサで5位入賞。しかし翌1987年も開幕時シートを確保できず、シーズン途中6月からファースト・レーシングの国際F3000シートを獲得するが、同年の最高位は10位でポイント獲得は成らなかった。
1988年は開幕前にGAモータースポーツのレギュラーシートを確保、チームメイトはグレガー・フォイテクとなった。マシントラブル発生以外は着実に完走を続けるが、同年の最高位は第6戦エンナでの4位。フォイテクが表彰台に立つこともあったため、完走率ではランジェスが上だったが、速さではファイテクが評価された。最終戦を前にGAチームはイギリスF3で走っていたデイモン・ヒルを国際F3000にデビューさせることを決めたため、シートを失ったランジェスは最終戦のみバルセロナ・スポーツに移籍して参戦した。
1989年はフォルティ・コルセに移籍。これまでも好結果が出ているエンナ・ペルグーサでは予選から7位と好調で、決勝レースではアクシデントが多発し完走者が5台のみというサバイバルレースであったが、ランジェスはエディ・アーバイン、マルコ・アピチェラより前の2位でフィニッシュ。F3000初の表彰台を獲得した[2]。
1990年にユーロブルンと契約しフォーミュラ1のシートを獲得する。チームメイトはロベルト・モレノとのコンビとなった。しかし、マシンは前年使用していたER189のほぼ継続使用であり、搭載したジャッドV8エンジンも戦闘力が低かった。ランジェスはエントリーした14のグランプリですべて予備予選を通過することができなかった。ゲイリー・ブラバムとブルーノ・ジャコメリのライフ、および時にはベルトラン・ガショーのスバル・コローニよりも数秒遅かった。資金繰りが苦しいチームはヨーロッパラウンドを終えるとF1参戦から撤退。チームメイトのロベルト・モレノはベネトンのシートを得ることができたが、ランジェスはそのままレースシートを失った[3]。
1991年はコンレロ・スクアドラ・コルセに加入し、オペル・カデットGSI 16Vでイタリア・スーパーツーリズモのS2クラスに参戦。第2戦マジョネのレース1と、第5戦ミサノで総合10位(クラス1位)に入った。同シリーズ最終戦・モンツァへの出走を最後にレース活動を終えた。
年 | チーム | シャシー | エンジン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | Pos. | Pts |
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1982年 | トリヴェラート・レーシング | ダラーラ・F382 | アルファロメオ | MUG Ret |
9位 | 10 | |||||||||||||||
アンソン・レーシング | アンソン・SA3C | トヨタ・2T-G | NÜR 9 |
DON Ret |
ZOL 7 |
MAG 10 |
ÖST Ret |
ZAN | SIL 8 |
MNZ 4 |
PER DNS |
LAC 5 |
KNU 4 |
NOG 18 |
JAR Ret |
KAS 5 |
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1983年 | アンソン・SA4 | アルファロメオ | VLL | NÜR C |
ZOL Ret |
MAG Ret |
ÖST 19 |
LAC 4 |
SIL Ret |
MNZ Ret |
MIS 6 |
ZAN Ret |
KNU Ret |
NOG Ret |
JAR 4 |
IMO 5 |
DON 5 |
CET | 9位 | 11 | |
1984年 | エディ・ジョーダン・レーシング | ラルト・RT3 | トヨタ・2T-G | DON 3 |
ZOL Ret |
MAG | LAC 4 |
ÖST 2 |
SIL Ret |
NÜR 16 |
MNZ 2 |
PER 2 |
MUG 5 |
KNU 1 |
NOG 9 |
JAR Ret |
4位 | 36 |
年 | チーム | シャシー | エンジン | タイヤ | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 順位 | ポイント |
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1985年 | バロン・レーシング | ティレル・012 | コスワースDFV | A | SIL Ret |
THR 15 |
EST | VLL | PAU | SPA | DIJ | PER | ÖST | ZAN | DON | NC (20位) |
0 |
1986年 | BSオートモーティブ | ローラ・T86/50 | SIL | VLL | PAU | SPA | IMO | MUG 9 |
PER 5 |
ÖST Ret |
BIR Ret |
BUG 6 |
JAR 12 |
17位 | 3 | ||
1987年 | ファースト・レーシング | マーチ・87B | SIL | VLL | SPA | PAU | DON DNQ |
PER Ret |
BRH Ret |
BIR 10 |
IMO | BUG | JAR Ret |
NC (22位) |
0 | ||
1988年 | GAモータースポーツ | ローラ・T88/50 | JER 7 |
VLL Ret |
PAU 10 |
SIL Ret |
MNZ 5 |
PER 4 |
BRH Ret |
BIR Ret |
BUG Ret |
ZOL 10 |
15位 | 5 | |||
バルセロナ・モータースポーツ | ローラ・T88/50 | DIJ Ret | |||||||||||||||
1989年 | フォルティ・コルセ | ローラ・T89/50 | SIL 12 |
VLL Ret |
PAU Ret |
JER 7 |
PER 2 |
BRH 6 |
BIR 9 |
SPA 15 |
BUG 9 |
DIJ 7 |
12位 | 7 |
年 | 所属チーム | シャシー | エンジン | タイヤ | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | WDC | ポイント |
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1990年 | ユーロブルン | ER189 | ジャッド・CV V8 | P | USA DNPQ |
BRA DNPQ |
NC (19位) |
0 | ||||||||||||||
ER189B | SMR DNPQ |
MON DNPQ |
CAN DNPQ |
MEX DNPQ |
FRA DNPQ |
GBR DNPQ |
GER DNPQ |
HUN DNPQ |
BEL DNPQ |
ITA DNPQ |
POR DNPQ |
ESP DNPQ |
JPN | AUS |