クラージュ・C60

クラージュ・C60/C60 Evo/C60 Hybrid
ペスカロロ・C60/C60 Hybrid
カテゴリー LMP900/LMP1
コンストラクター クラージュ・コンペティション
後継 ペスカロロ・01
主要諸元
シャシー カーボンファイバー アルミニウム ハニカム モノコック
サスペンション(前) ダブルウィッシュボーン プッシュロッド ダイナミックダンパー
サスペンション(後) ダブルウィッシュボーン プッシュロッド ダイナミックダンパー
全長 4,428 - 4,650 mm[1][2]
全幅 2,000 mm
全高 930 - 1,020 mm
ホイールベース 2,790 - 2,809 mm[1][2]
エンジン ジャッド・GV4 3997cc V10 DOHC
プジョー・A32 3200cc V6 DOHC ツインターボ
ジャッド・GV5 4997cc V10 DOHC ミッドシップ, 縦置き
トランスミッション 6速 シーケンシャル
重量 900 - 927 kg
タイヤ ピレリ
ミシュラン
グッドイヤー
ヨコハマタイヤ
主要成績
チーム ペスカロロ・スポール
クラージュ・コンペティション
チームタイトル 2(2005,2006
コンストラクターズタイトル 2(2005,2006
ドライバーズタイトル 2(2005,2006
初戦 2000年シルバーストン500USAチャレンジ
出走優勝ポール
49147
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2005年ルマン24時間レース、クラージュ・C60ハイブリッド

クラージュ・C60は、 クラージュ・コンペティション2000年に開発し、2006年まで使用されたプロトタイプレーシングカークラージュ・C52の後継モデルにあたる。

本項ではペスカロロ・スポールが改良を加えたモデルであるペスカロロ・C60についても解説する。

概要

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2000年C52の後継として登場。それまでのクラージュ製マシンと同じく、主にプライベーターへ供給する目的で開発された。エンジンはジャッド製の4リッターV10自然吸気「GV4」を搭載する。

2005年には新たなLMP1規定に対応したC60 Hybrid[3]に進化した。リアウィングのデザインに変化が生じている。エンジンはGV4を継続搭載する。

2006年、本車の後継となるLC70がデビューした。

ペスカロロ・スポールによる改良

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フランス人レーシングドライバーのアンリ・ペスカロロが結成したレーシングチーム「ペスカロロ・スポール」では、2001年よりC60に独自の改良を施してレースに投入した。エンジンはノーマルのGV4に代わり、プジョー製の3.2リッターV6ツインターボ「A32」を搭載。ボディにはトヨタ・GT-Oneなどの開発に携わったアンドレ・デ・コルタンツの手で改良が加えられた。

2003年以降はスポンサーにレースゲームグランツーリスモシリーズ」が加わり、翌年に発売された「グランツーリスモ4」に本車が収録されている。

2004年にはエンジンをジャッド製の5リッターV10自然吸気「GV5」に換装した。この頃よりペスカロロ仕様のC60はクラージュの手を離れ、ペスカロロ・C60としてより独自開発色を強めていく事となる。

2005年にはベースモデル同様にC60 Hybridへと進化したが、クラージュ製のC60 HybridがGV4エンジンを搭載しているのに対し、ペスカロロ製のC60 Hybridは2004年仕様からキャリーオーバーしたGV5エンジンを搭載している点が異なる。

レース活動

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2000年、C60はシルバーストーン500 USAチャレンジでデビューした。SMGコンペティションが総合10位、LMPクラス8位だった。ルマン24時間レースでは、同チーム参戦、サスペンションの故障で219周でリタイヤした。 SMGはニュルブルクリンク1000kmでは、44周でリタイアした。

2001年、ペスカロロスポールはマシンをクラージュC52からC60に変更した。C60での初レースはセブリング12時間レースだった。しかし、167周後のエンジントラブルでリタイア、総合25位、クラス7位。しかしELMS第2戦、ドニントンパークでは、アウディ以外のエントリーの中で最速の4位になった。ルマン24時間レースでは3台のC60が参戦。最高位は総合13位、LMP900では4位だった。ELMSでは 第4戦エストリルでぺスカロロスポールのC60が初勝利を挙げた。FIAスポーツカー選手権ではマニクールで優勝しクラス6位、ELMSではクラス3位になった。

2002年、クラージュコンペティションは、ジャッドエンジンのC60を使用し、ファクトリーチームで参戦、ペスカロロスポールはプジョーエンジンのC60を継続。FIAスポーツカー選手権ではペスカロロが2勝しクラス2位、クラージュはクラス4位だった。クラージュはSR1クラスコンストラクターズチャンピオンシップで、童夢と同点だったが勝利数で2位となった。ルマン24時間レースには3台のC60がエントリー。ペスカロロの1台には片山右京がドライブした。しかし片山のC60は144周後にエンジントラブルでリタイヤした。しかしもう1台ペスカロロC60は総合10位、クラス9位、クラージュのC60は総合15位、クラス11位でフィニッシュした。

2003年、ぺスカロロはFIAスポーツカー選手権で2勝しクラス2位だった。前年と同様に、3台のC60がルマン24時間レースに出場、 3台のC60はそれぞれ総合7位、8位、9位で完走、LMP900クラスでは5位、6位、7位だった。

2004年、ペスカロロは、「ペスカロロ・C60」としてC60を使用した唯一のチームだった。新たに始まったルマン耐久シリーズ(LMES)に参戦。LMP1クラス総合6位だった。ル・マン24時間レースでは、エリックコマスブノワトレルイエソエイルアヤリが総合4位になり、アウディ以外のマシンでは最上位だった。

2006年ルマン24時間レース、総合2位となった、ぺスカロロ・C60ハイブリッド

2005年、クラージュコンペティションは新たなLMP1規定に対応したC60ハイブリッドに改良され、ぺスカロロもC60ハイブリッドになった。ルマン耐久シリーズでは、ぺスカロロはシーズン2勝を上げLMP1クラスで初の総合優勝をした。クラージュは総合7位だった。ル・マン24時間レースでは、両チーム2台づつ参戦。クラージュはドミニク・シュワガー中野信治などがドライブ。ペスカロロは、エリック・コマスセバスチャン・ローブなどがドライブした。両チーム1台はリタイヤしたが、もう1台はペスカロロが総合2位、クラージュは総合8位でフィニッシュした。

2006年、ペスカロロは、改名したルマンシリーズ(LMS)で唯一C60で参戦。全戦で優勝しLMP1クラス総合優勝した。ル・マン24時間レースでは、ペスカロロは2台のC60ハイブリッドで参戦。フランク・モンタニーセバスチャン・ローブエリック・エラリー組が総合2位、エリック・コマスらの組は総合5位でフィニッシュした。クラージュ・C60は、2007年からの新LMP1規制によって廃止され、ペスカロロ・01に置き換えられた。

関連項目

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脚注

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  1. ^ a b Fuller, Michael J.. “2000 Courage C60”. Mulsanne's Corner. 18 February 2014閲覧。
  2. ^ a b Fuller, Michael J.. “2005 Pescarolo Courage C60 Hyrbid”. Mulsanne's Corner. 18 February 2014閲覧。
  3. ^ このHybridはハイブリッドカーを意味する語ではなく、“車両規定新旧混合”である旨を指している。2005年に規定が変更になったが、それに対応していない旧規定車両を使うユーザー向けの暫定措置であった。