「クリスマスを我が家で」(英: I'll Be Home for Christmas)[1]は、ビング・クロスビーによってレコーディングされ、1943年にアメリカでリリースされたクリスマス・ソング。クロスビーは、この曲によってヒットチャートのトップテン入りをした。原曲は、クリスマスには海外から家に帰りたいと願う兵士たちに敬意を表するために書かれた。以来、クリスマス・ソングのスタンダード・ナンバーとなっている[2]。
この曲は、第二次世界大戦中に海外にいる一人の兵士が家族に手紙を書いているような視点で歌われる。彼はメッセージの中で、クリスマスには家に帰れるだろうから、そのつもりでクリスマス休暇の準備をして欲しい、「雪 (snow)」「ヤドリギ (mistletoe)」「ツリーの下のプレゼント (presents on the tree)」を自分に見せて欲しいと伝える。歌詞は、「クリスマスには家に帰れるだろう、夢の中だけでも(I'll be home for Christmas, if only in my dreams.)」と、もの悲しい一節で終わる[3]。
作詞したキム・ギャノンの主張によれば、歌詞を書いた時に念頭に置いていたのは兵士たちではなく、クリスマスには家に帰りたいにもかかわらず、それが叶わないすべての人々であったという。ギャノンがこの曲を音楽業界に売り込んだ際、戦争によって愛する人から引き離された者にとって、前述の最後の一節が悲しすぎるという理由で、人々に受け入れられなかった。しかし、ギャノンがビング・クロスビーとゴルフをしている時にこの曲を歌ってみせたところ、クロスビーはこの曲をレコーディングする決心をした。最終的には、ヒットを確実にするために、「ホワイト・クリスマス」のB面となった[4]。
作詞はキム・ギャノン、作曲はウォルター・ケントによる。バック・ラムは、ギャノンの曲より前に同じタイトルの曲を作詞・作曲していたため、ラムの版権者であるミルズ・ミュージックによる訴訟に基づき、共作者としてクレジットされている[5]。1943年にデッカ・レコードからリリースされた、ビング・クロスビーによるオリジナル盤では、キム・ギャノンとウォルター・ケントのみが作者としてレコード・ラベルにクレジットされているが、後の盤ではクレジットにバック・ラムの名前が追加されている。
クロスビーはジョン・スコット・トロッター・オーケストラとともにこの曲のレコーディングをし、1943年10月4日、デッカ・レコードからSP盤のシングルとしてリリースされた(Decca 18570A、マトリックスナンバー:#L3203)。当初のタイトルは「クリスマスを我が家で(夢の中だけでも)」("I'll Be Home For Christmas (If Only In My Dreams)") であった。リリースから11週間チャート入りし、最高順位は3位だった。年を越した後も19位に位置した。デッカ・レコードは、1946年にこれを再発売した (Decca 23779)。
アメリカ合衆国旧陸軍省は、ラジオ番組「クラフト・ミュージック・ホール」で1944年12月7日に放送された、ビング・クロスビーとヘンダーソン合唱団による「クリスマスを我が家で」をV-Discとしてリリースした(U.S. Army V-Disc No. 441-B、およびU.S. Navy V-Disc No. 221B、マトリックスナンバー:#VP1253-D5TC206.)[6][7] 。ラジオ番組から収録されたこのバージョンは、ビング・クロスビーによるアレンジが大きいように思われる。
この曲は、第二次世界大戦の渦中にいた、アメリカの兵士や市民の心の琴線に触れ、クロスビーはこの曲によって5つ目のゴールドディスクを獲得した。「クリスマスを我が家で」は、米軍慰問協会のクリスマス番組で最もリクエストされる曲である。アメリカ陸軍兵士向けの雑誌「ヤンク」は、クロスビーは「当時の誰よりもアメリカ軍兵士の心情を代弁することに成功した」と評している。[要出典]
戦地や家庭におけるアメリカ人の間での人気にもかかわらず、イギリスのBBCでは、この曲の歌詞がイギリス軍の士気を下げる恐れがあるとの経営陣の判断により、放送禁止にされている(en:List of songs banned by the BBC)[8]。
1965年12月、ジェミニ7号に搭乗していた宇宙飛行士のフランク・ボーマンとジム・ラヴェルは、NASA の地上職員に対して、自分たちのために「クリスマスを我が家で」をかけてくれるように頼んだ。[要出典]
「クリスマスを我が家で」は、ペリー・コモ(1946年)、フランク・シナトラ(1957年)、サラ・エヴァンス(「Hear Something Country - Christmas 2007」2007年)[9]、ケリー・クラークソン(「iTunes Session」および「Wrapped in Red」)[10]など、多くのアーティストによってカバーされている[11]。本曲をカバーしたアーティストは以下のとおり。