クローマー伯爵 Earl of Cromer | |
---|---|
Arms:Quarterly: 1st and 4th, Azure a Fess Or in chief a Bear's Head proper muzzled and ringed Or, differenced by an Escallop Azure; 2nd and 3rd, Gules a Cross Patée fitchée Or between three Fish haurient Argent within an Orle of eight Cross Crosslets of the second Crest:A Mullet Erminois between two Wings Argent Supporters:On either side a Bear proper muzzled Or, the dexter collared checky Argent and Azure and charged on the shoulder with a Lion's Head erased Or, the sinister collared Azure and charged on the shoulder with an Escallop Or
| |
創設時期 | 1901年8月8日 |
創設者 | エドワード7世 |
貴族 | 連合王国貴族 |
初代 | 初代伯イヴリン・ベアリング |
現所有者 | 4代伯イヴリン・ベアリング |
相続人 | エリントン子爵アレクサンダー・ベアリング |
相続資格 | 初代伯の嫡出直系男子 |
付随称号 | クローマー子爵 エリントン子爵 クローマー男爵 |
現況 | 存続 |
邸宅 | ドレイトン・コート |
モットー | 誠実と勤勉によって (Probitare Et Labore) |
クローマー伯爵(英: Earl of Cromer)は、イギリスの伯爵位。連合王国貴族。
イギリスの半植民地エジプトの統治にあたっていたイヴリン・ベアリングが1901年に叙されたのに始まる。
1882年9月、エジプトはオラービー革命鎮圧のために侵攻してきたイギリス軍によって占領され、以降イギリスの半植民地状態におかれた。1883年9月には銀行家一族ベアリング家出身のイヴリン・ベアリング(1841-1917)がエジプト総領事に就任し、実質的なエジプト統治者となった。彼は1907年の退任までエジプト行政改革に辣腕をふるい、エジプトを強力に支配した[1]。
この在任中にイヴリンに対してしばしば叙爵があった。1892年6月20日には「カウンティ・オブ・ノーフォークにおけるクローマーのクローマー男爵(Baron Cromer, of Cromer in the County of Norfolk)」、1899年1月25日には「カウンティ・オブ・ノーフォークにおけるクローマー子爵(Viscount Cromer, in the County of Norfolk)」、そして1901年8月8日には「カウンティ・オブ・ノーフォークにおけるクローマー伯爵(Earl of Cromer, in the County of Norfolk)」と「カウンティ・オブ・ノーサンバーランドにおけるヘクサムのエリントン子爵(Viscount Errington, of Hexham in the County of Northumberland)」を与えられた(すべて連合王国貴族爵位)[2][3]。
初代クローマー伯の死後、爵位は長男ローランド・トマス・ベアリング(1877-1953)によって継承された[4]。また初代クローマー伯の三男チャールズ・イヴリン(1903-1973)も南ローデシア総督(在職1942-1944)やケニア総督(在職1952-1959)を務めるなど植民地行政官として活躍したため、1960年に兄とは別に連合王国貴族「カウンティ・オブ・ノーサンバーランドにおけるホウィックのグレンデールのホウィック男爵」に叙されている[5]。
2代クローマー伯の長男である3代クローマー伯ジョージ・ローランド・スタンリー・ベアリング(1918-1991)は、イングランド銀行総裁(在職1961年-1966年)や駐米大使(在職1971年-1974年)を務めた[6]。
2015年現在の当主はその長男である第4代クローマー伯イヴリン・ローランド・エズモンド・ベアリング(1946-)である。
第4代クローマー伯爵イヴリン・ローランド・エズモンド・ベアリングは、以下の爵位を有する[3]。
法定推定相続人はエリントン子爵(儀礼称号)アレクサンダー・ローランド・ハームズワース・ベアリング(1994年-)。