グラマン G-44 ウィジョン
グラマン G-44 ウィジョン(Grumman G-44 Widgeon)は、小型の双発5座、水陸両用機である。連邦航空局(FAA)の認定型式A-734、「5 PCL-Am-FbM」は5座客室水陸両用単葉飛行艇(5-place Cabin Landplane-Amphibian-Flying Boat Monoplane)を表している。この機種はアメリカ海軍とアメリカ沿岸警備隊では「J4F」、アメリカ陸軍航空軍とアメリカ空軍では「OA-14」と命名された。
元々は民間市場向けに開発されたウィジョンはより小型であったが、グラマン社の以前のG-21 グースと似た機体であり1941年から1955年まで生産された。この機種は第二次世界大戦中にアメリカ海軍、アメリカ沿岸警備隊、イギリス海軍により小型の哨戒機、多用途機として使用された。
試作初号機は1940年に初飛行を行い、量産第1号機は対潜哨戒機としてアメリカ海軍に納入された。軍用の176機を含む総計276機がグラマン社で生産された。第二次世界大戦中にこれらの機体はアメリカ海軍、アメリカ沿岸警備隊、シビル・エア・パトロールとアメリカ陸軍航空軍において運用された。また、イギリス海軍では「ゴスリング」(Gosling)と呼ばれて使用された。
1942年8月1日にルイジアナ州、ホーマを拠点とするアメリカ沿岸警備の第212飛行隊に所属するヘンリー・ホワイト(Chief Aviation)機長のJ4F-1がルイジアナ沿岸でドイツのUボートを発見し、攻撃した。ホワイトは潜水艦の撃沈を報告し、後に「U-166」の撃沈が確認され飛行殊勲十字章(Distinguished Flying Cross)が授与された。
しかしながら2001年6月にBPアモコとシェル・オイルの仕事で海底探査をしていたチームが商船「ローバート・E・リー」が沈んでいる傍で「U-166」の残骸を発見した。7月30日(ホワイトのJ4F-1の飛行の2日前)の「U-166」の沈没は、現在では「ローバート・E・リー」を護衛していた哨戒艇の「PC-556」の戦果とされている[1]。
現在ホワイトのJ4F-1が攻撃したのは、ホワイトが空中から攻撃したと報告した「U-166」と同型のIX C型Uボートの「U-171」と考えられている。「U-171」はホワイトの攻撃では被害を受けなかったが、4カ月後にビスケー湾で沈没した[2]。
戦後にグラマン社はこの機体をより民間運用に適するように設計を変更した。新しい艇体により水上での操作性が改善され、6座席仕様にされた。合計で新造の「G-44A」がグラマン社により76機が製造され、最後の機体は1949年1月13日に納入された。別に41機がフランス、ラ・ロシェルのSCAN社(Societe de Construction Aero-Navale)で「SCAN-30」として製造された。これらの多くが米国へ渡った。
オレゴン州、サンディのマッキノン・エンタープライズ(McKinnon Enterprises)が70機以上のウィジョンを「スーパー・ウィジョン」に改装した。この機体はエンジンを270 hp (201 kW) のアヴコ・ライカミング GO-480-B1Dに換装し、近代的なアビオニクス、3枚ブレードのプロペラ、大型化された窓、遮音材の改良、非常脱出口の設置、最大離陸重量の引き上げといった数々の改造が施されていた。折り畳み式の翼端フロートはオプションであった。
(G-44A)