グリゴリー・ロマノヴィチ・ギンズブルク | |
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生誕 | 1904年5月29日 |
出身地 | ソビエト連邦、ニジニー・ノヴゴロド |
死没 | 1961年12月5日(57歳没) |
学歴 | モスクワ音楽院 |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | ピアニスト |
担当楽器 | ピアノ |
グリゴリー・ロマノヴィチ・ギンズブルク(ロシア語: Григо́рий Рома́нович Ги́нзбург、英語: Grigory Romanovich Ginzburg, 1904年5月29日 ニジニー・ノヴゴロド - 1961年12月5日 モスクワ)はユダヤ系ロシア人のピアニスト。
母親からピアノの手ほどきを受けた後、モスクワ音楽院にてアレクサンドル・ゴリデンヴェイゼルに師事。1927年に第1回ショパン国際ピアノコンクール(ワルシャワ)にて第4位に入選。ソ連邦でも屈指の演奏家の一人と認められるようになり、たびたび西欧に演奏旅行を行なった。1929年にモスクワ音楽院の教授に就任し、同校の名教授のひとりに数えられた。
ギンズブルクのタッチは、フランツ・リストのような19世紀のヴィルトゥオーソの伝統につながっている。レパートリーは折衷的であったが、《ロッシーニの主題による幻想曲》のように、数々のトランスクリプションを遺した。