グレイト・ホワイト Great White | |
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基本情報 | |
出身地 |
アメリカ合衆国 カリフォルニア州 ロサンゼルス |
ジャンル |
ハードロック[1] ブルースロック ヘヴィメタル[1] グラム・メタル[1] |
活動期間 | 1978年 - 現在 |
レーベル |
キャピトル Frontiers |
公式サイト | MISTABONE.com |
メンバー |
ミッチ・マロイ(vo) マーク・ケンドール(g) マイケル・ローディ(g、key) オーディ・デスブロウ(dr) スコット・スナイダー(b) |
旧メンバー | 該当項目を参照 |
グレイト・ホワイト(Great White)は、アメリカ合衆国のハードロックバンド。
LAメタルムーヴメントの中から頭角を現し、1980年代後半から1990年代初めにかけてヒット作を連発した。1990年代半ば以降はヒットに恵まれなかったものの、アルバムをリリースし続けた。2003年、ヴォーカリストのソロユニットがツアー先のナイトクラブで演奏中に火災が発生、バンドのギタリストを含む100名の死者を出す事故に遭遇。以来しばらくブランクが続いたが、2007年にニューアルバムを発表してシーンに復帰した。
1978年にジャック・ラッセル(ヴォーカル)とマーク・ケンドール(ギター)が中心となりロサンゼルスで結成されたダンテ・フォックスが前身。1982年にグレイト・ホワイトへと改名し1983年自主製作のミニLPでレコードデビュー。バンド名はグレイト・ホワイト・シャーク(ホホジロザメ)に由来し、ジャケットに鮫があしらわれた作品も多い。翌1984年最初のフルアルバム発表後、セールス不振のためレコード会社に契約を打ち切られるという多難なスタートであったが、1986年に発表した2作目のアルバム『ショット・イン・ザ・ダーク』が成功して復活。以降、LAメタルとは一線を画すブルースに根差したハードロックバンドへと転身を図った。1987年、ブルージーで骨太なハードロック路線を打ち出したフルアルバム3作目『ワンス・ビトゥン』が全米23位を記録するヒットとなり、バンドの人気を決定付けた。続く1989年発表のアルバム『...トゥワイス・シャイ』、1991年発表の『フックト』もそれぞれ全米9位、18位とヒットを記録。これらのアルバムから『ロック・ミー』『ワンス・ビトゥン・トゥワイス・シャイ』(イアン・ハンターのカヴァー曲)を始めとしてシングルヒットもいくつか生まれた。1990年にはグラミー賞候補にノミネートされている。
1990年代中盤以降はセールスには恵まれなかったが、時代と距離を置きつつコンスタントな活動を続けていた。ジャックのロバート・プラントに似た声質を活かしたレッド・ツェッペリンのカヴァーを収めたライヴアルバムや、ナイト・レンジャーのジャック・ブレイズをプロデューサーに迎えたアルバムも制作している。
2000年、ジャックを除くメンバーが脱退、実質的にオリジナルのグレイト・ホワイトとしては解散、創作活動休止の状態となる。実際にはマークは時折バンドに加わって演奏していたものの、ジャックは自らの名を冠したソロプロジェクト「ジャック・ラッセルズ・グレイト・ホワイト」として活動を続けていた。しかしその最中の2003年2月20日、ツアー先のロードアイランド州ウェストウォリックのナイトクラブ「ザ・ステーション」で、演出に使用した花火がカーテンに引火し火災が発生。同プロジェクトのギタリストを含む100名が死亡する惨事となった[2]。
事故後、しばらく鳴りを潜めていたグレイト・ホワイトだが、事件が決着をみた2006年に1999年当時のメンバーで再結成。2007年、8年振りのオリジナルアルバム『バック・トゥ・ザ・リズム』を発表。2009年にはアルバム『ライジング』を発表して完全復活を果たし、ライヴ活動を続けていた。しかし2009年、ジャック・ラッセルは怪我の手術と療養のため脱退。この間バンドは故ジェイニー・レインやポール・ショーティノをヴォーカルに立ててツアーを続行。ジャックは回復後再び別バンドのジャック・ラッセルズ・グレイト・ホワイトを結成した。残ったグレイト・ホワイト本体は元XYZのテリー・イルスを後任ヴォーカリストに迎えて、デビュー30年目の2012年、新ラインナップによるアルバム『イレイション』を発表している。2018年、ヴォーカリストがミッチ・マロイに交代。
2024年8月15日、初代シンガーのジャック・ラッセルが死去[3]。