グアダラハラ・マリアッチス | |
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![]() 千葉ロッテマリーンズ時代 (2019年4月2日) | |
基本情報 | |
国籍 |
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出身地 |
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生年月日 | 1990年8月1日(34歳) |
身長 体重 |
6' 5" =約195.6 cm 290 lb =約131.5 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投両打 |
ポジション | 一塁手、指名打者 |
プロ入り | 2009年 アマチュアFA |
初出場 |
MLB / 2014年8月1日 NPB / 2019年3月29日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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国際大会 | |
代表チーム |
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WBC | 2017年 |
この表について
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獲得メダル | ||
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男子 野球 | ||
![]() | ||
ワールド・ベースボール・クラシック | ||
銀 | 2017 | 野球 |
ケニス・バルガス・エルナンデス(Kennys Vargas Hernández, 1990年8月1日 - )は、プエルトリコのカノバナス出身のプロ野球選手(一塁手)。右投両打。リーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルのグアダラハラ・マリアッチス所属。愛称はゴリラ[1]、リトル・パピ(デビッド・オルティーズに肖って)[2]。
2009年2月25日にミネソタ・ツインズと契約してプロ入り。この年に傘下のルーキー級ガルフ・コーストリーグ・ツインズでプロデビュー。35試合に出場して打率.257、3本塁打、18打点、2盗塁の成績を残した。
2010年もルーキー級ガルフ・コーストリーグでプレーし、39試合に出場して打率.324、3本塁打、26打点、1盗塁の成績を残した。
2011年はアパラチアンリーグのルーキー級エリザベストン・ツインズでプレーし、44試合に出場して打率.322、6本塁打、33打点の成績を残した。同年は禁止薬物使用により、50試合の出場停止処分を受けた[3]。
2012年はA級ベロイト・スナッパーズでプレーし、41試合に出場して打率.318、11本塁打、36打点の成績を残した。
2013年はA+級フォートマイヤーズ・ミラクルで125試合に出場し、打率.267・19本塁打93打点だった。オフの11月20日にツインズとメジャー契約を結び[4]、40人枠入りした。
2014年はAA級ニューブリテン・ロックキャッツで開幕を迎え、97試合に出場。7月にはフューチャーズゲームに選出された。打率.281、17本塁打、63打点の成績で、7月31日にメジャーへ昇格[5]。自身の誕生日である8月1日のシカゴ・ホワイトソックス戦でメジャーデビュー。「6番・一塁手」で先発起用され、5打数1安打2打点2三振だった[6]。メジャーデビュー後は、指名打者・一塁手として起用され、53試合の出場で打率.274、9本塁打、38打点の成績を残した。
2015年は開幕から指名打者としてスタメンで起用された。しかし、調子は上がらず一時期はAA級チャタヌーガ・ルックアウツ[7]まで降格した。さらに同じ指名打者でルーキーのミゲル・サノの台頭により、メジャーでの出場機会を伸ばすことができなかった。成績は58試合で打率.240、5本塁打、17打点だった[8]。
2016年は打率が.230まで落ちたが、47試合で11二塁打、10本塁打を放った。
2017年はシーズン開幕前の2月8日に第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のプエルトリコ代表に選出された[9]。3月22日の決勝アメリカ合衆国戦に敗戦し、2大会連続で準優勝となった[10]。シーズンでは78試合で打率.253、11本塁打、41打点の成績を残した[11]。
2018年3月16日にジェイク・ケイブの加入に伴ってDFAとなった[12]。3月22日にウェイバー公示を経てシンシナティ・レッズへ移籍した[13]。ところが、2日後の24日に再びウェイバー公示を経てツインズに出戻った[14]。復帰直後の27日に40人枠外となり、AAA級ロチェスター・レッドウイングスへ配属された。最終成績は、130試合に出場し、打率.240、21本塁打、73打点だった[11]。
2018年11月6日に千葉ロッテマリーンズが獲得を発表した[15]。
2019年はオープン戦打率.095、3本塁打と全く打てず、シーズン中の本塁打は僅か1本であった。打率も2割を切る低空飛行が続いた。オフの11月30日、球団からブランドン・マン、ジョシュ・レイビン、マイク・ボルシンガーと共に契約不更新通告を受け、退団が決まった[16]。
2020年1月28日、デトロイト・タイガースとマイナー契約を結んだ[17]。
2021年3月9日、リーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルのサルティーヨ・サラペメーカーズと契約した[18]。
2022年2月15日、同リーグのドスラレドス・オウルズと契約したことが発表された[19]。同年6月には、台湾プロ野球の統一ライオンズとの契約が報じられたが、最終的にはドスラレドスへの残留を選択した[20]。この年は85試合に出場し、打率.324、17本塁打、65打点という成績を残した。
2023年6月に、同リーグのグアダラハラ・マリアッチスに移籍した[21]。
同じプエルトリコ出身であるネフタリ・ソトとは親戚にあたる(ソトの弟とバルガスの妻の従姉妹が夫婦)[22]。
プエルトリコでは怪力ぶりから「ゴリラ」の異名をとり、本人も右手の甲にゴリラのタトゥーを入れるほど気に入っている。ホームランを打った際には手で胸を叩くドラミングのパフォーマンスを披露する[1]。
以前に理容師として働いていたことがあり、髪や髭などは自身で整えている[23]。
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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2014 | MIN | 53 | 234 | 215 | 26 | 59 | 10 | 1 | 9 | 98 | 38 | 0 | 0 | 0 | 4 | 12 | 2 | 3 | 63 | 5 | .274 | .316 | .456 | .772 |
2015 | 58 | 184 | 175 | 18 | 42 | 4 | 0 | 5 | 61 | 17 | 0 | 0 | 0 | 0 | 9 | 0 | 0 | 54 | 7 | .240 | .277 | .349 | .626 | |
2016 | 47 | 177 | 152 | 27 | 35 | 11 | 0 | 10 | 76 | 20 | 0 | 0 | 0 | 1 | 24 | 1 | 0 | 57 | 2 | .230 | .333 | .500 | .833 | |
2017 | 78 | 264 | 241 | 33 | 61 | 13 | 0 | 11 | 107 | 41 | 0 | 0 | 0 | 1 | 20 | 1 | 2 | 77 | 10 | .253 | .314 | .444 | .758 | |
2019 | ロッテ | 35 | 102 | 84 | 4 | 15 | 5 | 0 | 1 | 23 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 16 | 1 | 2 | 36 | 2 | .179 | .324 | .274 | .597 |
MLB:4年 | 236 | 859 | 783 | 104 | 197 | 38 | 1 | 35 | 342 | 116 | 0 | 0 | 0 | 6 | 65 | 4 | 5 | 251 | 24 | .252 | .311 | .437 | .748 | |
NPB:1年 | 35 | 102 | 84 | 4 | 15 | 5 | 0 | 1 | 23 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 16 | 1 | 2 | 36 | 2 | .179 | .324 | .274 | .597 |
年 度 |
球 団 |
一塁 | |||||
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試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 | ||
2014 | MIN | 13 | 88 | 9 | 3 | 3 | .970 |
2015 | 18 | 131 | 10 | 0 | 14 | 1.000 | |
2016 | 32 | 240 | 14 | 1 | 27 | .996 | |
2017 | 40 | 241 | 18 | 2 | 29 | .992 | |
2019 | ロッテ | 2 | 3 | 1 | 0 | 0 | 1.000 |
MLB | 103 | 700 | 51 | 6 | 73 | .992 | |
NPB | 2 | 3 | 1 | 0 | 0 | 1.000 |