ケニー・ロバーツ・ジュニア | |
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2003年日本GPにて | |
グランプリでの経歴 | |
国籍 | アメリカ合衆国 |
活動期間 | 1993年 - 2007年 |
チーム | ヤマハ、モデナス、スズキ、チームKR |
レース数 | 185 |
チャンピオン | 500cc 2000年 |
優勝回数 | 8 |
表彰台回数 | 22 |
通算獲得ポイント | 1210 |
ポールポジション回数 | 10 |
ファステストラップ回数 | 9 |
初グランプリ |
1993年(250cc) アメリカGP |
初勝利 |
1999年(500cc) マレーシアGP |
最終勝利 |
2000年(MotoGP) パシフィックGP |
最終グランプリ |
2007年(MotoGP) カタルーニャGP |
ケネス・リー・"ケニー"・ロバーツ・ジュニア(Kenneth Lee "Kenny" Roberts Junior、1973年7月25日 - )は、アメリカ合衆国出身のオートバイ・ロードレースライダー。2000年ロードレース世界選手権GP500チャンピオン。1978年から3年連続で同クラスチャンピオンになったケニー・ロバーツの長男。弟のカーティス・ロバーツも元GPライダー。
250ccからチーム・ロバーツの時代は特別目立つ成績は挙げられなかったが、1999年スズキへ移籍するとマレーシアGP、日本GPと開幕2連勝。RGV-Γと自分のライディングの相性の良さもあいまって4勝を挙げ、年間ランキングも2位と躍進しトップライダーの仲間入りをする。翌2000年は4勝、表彰台9回と安定した走りを見せ、リタイアの多いロッシ、ビアッジ、マッコイらを押さえ年間王者に輝く。親子2代の王者はGP史上初。
その後はロッシの台頭、500ccから4スト990ccへのレギュレーション変更もあって成績も徐々に低迷。2006年、チーム・ロバーツに復帰。ホンダエンジンを載せたオリジナルマシンKR211Vでのエントリーとなるがたびたび上位を賑わせ、ポルトガルGPでは一時トップを走行するなど久しぶりに輝きを見せる。990ccから800ccにレギュレーション変更となった翌2007年は800ccマシンのセッティングに苦しみまたもや低迷。シーズン途中で弟のカーティスにシートを明け渡し、そのまま引退となった。
通算成績 優勝8回・2位7回・3位7回(表彰台22回)・ポールポジション10回・年間王者1回