ケンドール・ウインダム | |
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プロフィール | |
リングネーム | ケンドール・ウインダム |
本名 | ケンドール・ウインダム |
身長 | 196cm |
体重 | 118kg(全盛時) |
誕生日 | 1967年12月15日(56歳) |
出身地 |
アメリカ合衆国 テキサス州 ノーラン郡スウィートウォーター |
トレーナー | ブラックジャック・マリガン |
デビュー | 1984年 |
引退 | 2002年 |
ケンドール・ウインダム(Kendall Windham、1967年12月15日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。テキサス州スウィートウォーター出身。
父親はブラックジャック・マリガン、兄はバリー・ウインダム。マイク・ロトンドは義兄で、彼の息子ウィンダム・ロタンダ(ブレイ・ワイアット)とテイラー・ロタンダ(ボー・ロトンド)の叔父にあたる。
1984年、ブラックジャック・マリガンやバリー・ウインダムが主戦場としていたNWAフロリダ地区のCWF(チャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ)にてデビュー。ロン・バスやケビン・サリバンなどベテランのヒールと対戦してキャリアを積み、1986年にはアメリカ修行時代のホワイト・ニンジャこと武藤敬司とNWAフロリダ・ヘビー級王座を争った[1]。
1987年からはWCWの前身団体であるNWAミッドアトランティック地区のジム・クロケット・プロモーションズに移籍。WCW発足後の1988年12月よりダスティン・ローデスとタッグチームを結成して頭角を現し、1989年2月23日には当時リッキー・スティムボートが保持していたNWA世界ヘビー級王座に挑戦[2]。同年3月から4月にかけてはレックス・ルガーのUSヘビー級王座にも度々挑戦した[2]。
その後はフロリダ地区に戻り、CWFの後継プロモーションFCW(フロリダ・チャンピオンシップ・レスリング)に参戦したが、1990年、父のマリガンと共にドル紙幣偽造の罪で逮捕され、2年間の懲役刑を受けた[3]。
服役後の1992年、フロリダのインディー団体ICWA(インターナショナル・チャンピオンシップ・レスリング・アライアンス)にてプロレス業界に復帰[2]。同年11月、ダニー・スパイビーのパートナーとして全日本プロレスの世界最強タッグ決定リーグ戦に初来日した[4]。全日本には翌1993年の7月と9月にも参戦している[5]。
以後、アメリカではWCWやECWに単発出場し、1997年下期よりWCWに定着したが、ジム・ドゥガン、フィット・フィンレイ、ミング、ディーン・マレンコ、ヒュー・モラスといった中堅選手のジョバーとなるなど、活躍の機会が与えられることはなかった[6]。
しかし1999年、カート・ヘニング、バリー・ウインダム、ボビー・ダンカン・ジュニアらによるカウボーイ・ギミックのヒール・ユニット、ウエスト・テキサス・レッドネックスのメンバーとなってタイトル戦線に浮上。8月23日の『マンデー・ナイトロ』ではバリーとのコンビでハーレム・ヒートとの兄弟タッグ対決に勝利し、WCW世界タッグ王座を獲得した[7]。
WCW離脱後はバリーとのウインダム・ブラザーズで活動し、プエルトリコのWWCでは2000年9月2日にサンダー&ライトニングからWWC世界タッグ王座を奪取[8]。11月には同世界タッグ王者チームとして全日本プロレスに来日、世界最強タッグ決定リーグ戦への2度目の出場を果たした[9]。
2002年の引退後は、フロリダ州ブランドンにてバリー・ウインダムと共にセキュリティ事業を運営している[2]。