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基本情報 | ||||
本名 |
Gediminas Bagdonas ゲディミナス・バグドナス | |||
愛称 | バグ | |||
生年月日 | 1985年12月26日(38歳) | |||
国籍 | リトアニア | |||
身長 | 185cm | |||
体重 | 78kg | |||
選手情報 | ||||
分野 | ロードレース | |||
役割 | 選手 | |||
特徴 |
スプリンター オールラウンダー | |||
アマチュア経歴 | ||||
2005–2006 2010 2020 |
チーム・クライペダ PWCアリプラスト クライペダ | |||
プロ経歴 | ||||
2007 2008 2009 2011–2012 2013-2019 |
クライペダ・スプレンディド ウラン チーム・ピエモンテ アンポスト・ショーンケリー AG2R・ラ・モンディアル | |||
主要レース勝利 | ||||
リトアニア選手権タイムトライアル(2007,2011,2018,2019) リトアニア選手権ロード(2012,2018,2020) トリプティク・デ・バハージュ(2007) | ||||
最終更新日 2020年8月25日 |
ゲディミナス・バグドナス(Gediminas Bagdonas、1985年12月26日 - )は、リトアニア、シャウレイ出身の自転車競技(ロードレース)選手。2020年現在は、チーム・クライペダに所属。
ジュニアカテゴリーでは、2003年にトラックのヨーロッパ選手権団体追い抜きで銅メダルを獲得。U23カテゴリーに上がった2005年と2006年は、シマス・コンドロタス、イグナタス・コノヴァロヴァス、アイディス・クルオピスと共にヨーロッパ選手権団体追い抜きで2年連続銅メダルを獲得。2006年には個人追い抜きでも銀メダルを獲得した。
2007年、リトアニア人監督のアルトゥラス・トゥルンパウスカスが率いる、ベルギー籍のコンチネンタルチーム、クライペダで活躍。リトアニア選手権個人タイムトライアルで優勝し、ベルギーでは、トリプティック・デ・バラージュ、ツール・ド・アンヴェル、グランプリ・ド・ゲールを制した。
2008年、トゥルンパウスカス監督と、クライペダに所属していたリトアニア人選手5人とともにカザフスタン籍のコンチネンタルチームであるウランに加入した。
2009年、リトアニア籍の新規コンチネンタルチームであるチーム・ピエモンテに加入。しかし、チームは4月に解散し、2年ぶりにベルギーに活動拠点を移し、シマス・コンドロタスともにティーレンでアマチュア選手として活動。メモリアル・フィリップ・ファン・コニングスローを制した。
2010年、シマス・コンドロタスと共にPCWアリプラストに加入し、アントワープ・プロバンス・ツアーでステージ優勝。デンマーク・コペンハーゲンで開催された世界選手権トラックレースに出場し、個人追い抜きで22位。ポーランド・プルシュクフで行われたヨーロッパ選手権トラックレースでもいくつかの種目に出場した。
2011年にはベルギー籍のコンチネンタルチーム、アンポスト・ショーンケリーに加入。アンポスト・ラスとロンド・ド・ロワーズで区間優勝を挙げ、総合優勝。リトアニア選手権個人タイムトライアルでは2度目の優勝を果たした。9月にはコペンハーゲンで開催された世界選手権ロードレースに出場し、タイムトライアルでは32位、ロードレースでは25位。2012年の初め、ベルギーで多くのレースで上位入賞(ドリダーフス・ファン・ウェスト=フラーンデレン、オムロープ・ファンン・ヘット・ワースランド、ハンザーメ・クラシック、ゼリック~ガムラージュ)。4月にはオランダで行われたロンド・ファン・ノールト・オランドで優勝。数日後のオムロープ・デル・ケンペンで2位となり、その後、アンポスト・ラスで区間2勝、ベルゼール~ピュイヴェルデ、メモリアル・フィリップ・ファン・コニングスローを制した。6月末にはリトアニア選手権ロードレースを制して、初のリトアニアロードチャンピオンになった。7月にはロンドンオリンピックに、ラムーナス・ナヴァルダウスカスとともにリトアニア代表としてロードレースに出場し集団内で完走。8月にはバルティック・チェーン・ツアーで区間3勝を上げ総合優勝。UCIヨーロッパツアーランキング11位でこのシーズンを終えた。10月、リトアニア・パネヴェジースで開催されたヨーロッパ選手権トラックレースに出場し、オムニアムで銅メダルを獲得した。
2013年、フランスのUCIワールドツアーチームであるAG2Rラ・モンディアルに2年契約で加入。ツアー・ダウンアンダーでシーズンイン。2月にはツアー・オブ・カタールに出場し総合17位。ヨーロッパの初戦はオムロープ・ヘット・ニウスブラットで123位完走。その後、ドリダーフス・ファン・ウェスト=フラーンデレンでは第1ステージで7位に入った。その後、北のクラシックにも参加し、ロンド・ファン・フラーンデレンではDNFだったものの、パリ〜ルーベは103位で完走。イタリア・トスカーナで行われた世界選手権ロードレースにもリトアニア代表として参加し、個人タイムトライアルで24位、ロードレースは59位完走。
2014年は、2年連続でパリ〜ルーベに出場し、リーダーのセバスティアン・テュルゴとダミアン・ゴダンのために集団を牽引した。
2017年は、ツール・ポワトゥー=シャラント・アン・ヌーヴェル=アキテーヌで総合8位入賞。
2018年8月に開催されたヨーロッパ選手権ロードレースにリトアニア代表として選出され、個人タイムトライアルでは25位、ロードレースでは39位に入った。同月、ツール・ポワトゥー=シャラント・アン・ヌーヴェル=アキテーヌでは総合6位に入った。
2019年6月には、ベラルーシ・ミンスクで行われたヨーロッパ競技大会の個人タイムトライアルで5位に入賞。この年をもってAG2R・ラ・モンディアルを離れた。
2020年は、クライペダに復帰。リトアニア選手権個人タイムトライアルではエヴァルダス・シシュケヴィチュスに次ぐ2位に入り、ロードレースでは優勝しリトアニアチャンピオンとなった。
2005年、リトアニアのアマチュアチーム、クライペダに加入。
2007年、所属チームのグライペダがUCIチームになりアマチュアからプロに転向する。
2008年、カザフスタンのコンチネンタルチーム、ウランに移籍。
2009年、リトアニアのコンチネンタルチーム、チーム・ピエモンテに移籍。
2010年、アマチュアチームに移籍。
2011年、ショーン・ケリー率いる、アンポスト・ショーンケリーに移籍し頭角を現し始める。
2018年
2019年
2020年