コルネリス・コルト Cornelis Cort | |
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Hans Speckaertによる肖像画 | |
生誕 |
1533年 ホールン |
死没 |
1578年3月17日 ローマ |
コルネリス・コルト[1](Cornelis Cort、1533年 - 1578年3月17日[2])は、オランダ生まれの版画家である。1565年からイタリアに滞在し、イタリアではコルネリオ・フィアンミンゴ(Cornelio Fiammingo)と呼ばれた。
現在の北ホラント州のホールンで生まれた。ハールレムの学者、版画家のディルク・コールンヘルト(Dirck Coornhert, 1522-1590)の弟子であったと考えられている[2]。1553年頃、アントウェルペンの出版業者、ヒエロニムス・コック(1518-1570)の店でコルトの最初の版画が出版されたが、北部オランダで働き続けていたと考えられている[2]。
1565年にヴェネツィアに移り、画家のティツィアーノ・ヴェチェッリオ(1490 - 1576)の家に住み、ティツィアーノの作品を版画にする仕事をした。1566年に一旦オランダに戻ったが、1567年に再びヴェネツィアに移り、ボローニャやローマにも滞在した。ポリドーロ・ダ・カラヴァッジョ、フェデリコ・バロッチ、ジュリオ・クローヴィオ、ジローラモ・ムツィアーノといった当時の重要な画家の複製版画を制作した。オランダにいた時代にもミヒール・コクシーやフランス・フロリス、マールテン・ファン・ヘームスケルク、ヒリス・モスタールト、バルトロメウス・スプランヘルといったオランダ、フランドルの画家の作品の複製版画を制作していた。
ローマで美術学校を作り、アゴスティーノ・カラッチらを教えた。1569年から1571年の間に何度かフィレンツェに旅しメディチ家のために働いた。その後またヴェネツィアで暮らし、1577年にローマに移り、翌年ローマで没した。