コンスタント・ランバート Constant Lambert | |
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ランバートの肖像(クリストファー・ウッド作、1926年) | |
基本情報 | |
出生名 |
レナード・コンスタント・ランバート Leonard Constant Lambert |
生誕 |
1905年8月23日 ロンドン |
死没 |
1951年8月21日(45歳没) ロンドン |
職業 | 作曲家、指揮者 |
活動期間 | 1925年 - 1951年 |
レナード・コンスタント・ランバート(Leonard Constant Lambert、1905年8月23日 - 1951年8月21日)は、イギリスの作曲家、指揮者。
父はロシア生まれのオーストラリアの画家、ジョージ・ワシントン・ランバート(1873年-1930年)。息子は音楽プロデューサーで、イングランドのロック・バンドであるザ・フーのマネージャーを務めたクリストファー・"キット"・ランバート(1935年-1981年)。
ロンドン出身。10代で作曲を始め、王立音楽大学でレイフ・ヴォーン・ウィリアムズに師事。
1925年にセルゲイ・ディアギレフの委嘱でバレエ・リュスのために「ロメオとジュリエット」の音楽を作曲。ジャズの影響を受けたカンタータ「リオ・グランデ」で知られるようになった。
1931年にヴィック・ウェルズ・バレエ団の創設者の1人となり、1947年まで音楽監督と指揮者を務めた。合唱曲「夏の遺言書」の失敗で、指揮活動に重点を移すようになった。指揮者としては、リスト、シャブリエ、ワルトトイフェルやロシア・ロマン派の作品を多く演奏した。
長年に渡る飲酒がたたり、1951年に糖尿病と肺炎を併発してロンドンで死去。同地のブロンプトン墓地に両親と息子と共に埋葬されている。