コンプティーク | |
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Comptiq | |
愛称・略称 | コンプ |
刊行頻度 | 隔月刊 → 月刊 |
発売国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
出版社 |
株式会社KADOKAWA (角川書店ブランド) |
編集部名 | コンプティーク編集部 |
発行人 | 青柳昌行 |
編集人 | 藤田崇平 |
雑誌名コード | 13977 |
刊行期間 | 1983年11月10日(1984年1月号) - |
発行部数 | 35,334部(2012年10月 - 2012年12月日本雑誌協会調べ) |
ウェブサイト | コンプティーク公式サイト |
『コンプティーク』(Comptiq) は、KADOKAWAのブランドである「角川書店」から発行されている、パソコン・ゲーム・美少女などを取り扱うメディアミックス雑誌。
輸入ゲームショップ『コンプティーク』と角川書店の提携[1]で、『ザテレビジョン』の別冊として1983年11月10日に創刊され、第3号より隔月刊化。1986年より月刊誌となった。
雑誌名「Comptiq」は「コンピューター(Computer)」と「ブティック(Boutique)」を組み合わせた造語。通称は「コンプ」。
1980年代に盛んになった、後のおたくの概念に収斂されるコンピュータゲームやアニメなどソフトウェアの娯楽を消費することを好む層を対象に据えたことから、次第にメディアミックスを主体とする雑誌に変化していった[注 2]。
雑誌自体を端的に表す売り文句は、初期は「パソコンと遊ぶ本」、1986年1月の月刊化からは「戦うパソコンゲームマガジン」を長く用い[3]、雑誌内容の変遷に伴い、2003年9月号から「Mediamix GAME Magazine(メディアミックスゲームマガジン)」、創刊30周年を迎えた2013年12月号からは「Digital Contents Magazine(デジタルコンテンツマガジン)」[注 3][4]となっている。
角川書店(現KADOKAWA)のパソコン・ゲーム雑誌の端緒であり、同社のメディアミックスにおいて様々な取り組みを先導したため、ここから派生したものが多い。[独自研究?]『コンプティーク』の誌面の一部から『マル勝ファミコン』などの〈マル勝シリーズ〉が発祥しており、現在の『電撃PlayStation』などのメディアワークス系ゲーム雑誌も、元を辿れば本誌が発祥ということになる。[要出典] ファルコムのゲーム『ロマンシア』[注 4]を漫画化して連載して、『コミックコンプ』など漫画雑誌も生み出し、また、『聖エルザクルセイダーズ』『ロードス島戦記』などの連載によって、『月刊ドラゴンマガジン』の創刊、ひいてはライトノベルという分野の創設にも影響を与えた。[要出典]
紆余曲折を経て創刊当初とは大きく異なる内容になっているが、ゲーム雑誌という枠組みで見ると非常に長命であると言える[6]。
玩具業界の新聞記者としてテレビゲームを紹介していた佐藤辰男が1982年に角川歴彦と出会った際、パソコン雑誌を角川書店がやるという話が持ち上がった[7]。佐藤がテレビゲーム雑誌の企画書を出すと、角川歴彦の決断で発刊が決まり、『ザテレビジョン』の増刊号として1983年11月10日発売の1984年1月号で創刊した[8][注 5]。
読者層は、小学校高学年から中・高生男子で、ゲームやパソコン本体の購入ガイドなどパソコンを中心としつつも[8]、単なるパソコン雑誌というよりは、ゲームを含んだデジタル世代の娯楽全体を扱う雑誌であった[10][11]。初期はジャイアント馬場を用いる[12]など表紙に一貫性がなく売り上げも低迷したが[13][2]、vol.5 1984年9/10月号では薬師丸ひろ子・原田知世・渡辺典子などを取り上げ[14]、翌年から表紙には女性アイドルを起用することが確定した[2][注 6]。
パソコン関係では他誌が取り上げないようなパソコンゲームの裏技やチート[注 7]を精力的に扱い、読者投稿ではゲームのプログラム本体の改造手法すら掲載、その裏技や改造に人気ゲームのものがあると、それを求める読者にも販路を伸ばしていく。特に、vol.10 1985年7/8月号にてファミコンゲーム『ゼビウス』の無敵コマンドを最初にとりあげ[注 8]、同号は塚田正晃の提案でまだ無名だった中山美穂を表紙に採用し[注 9]、アダルトゲーム『天使たちの午後』の記事と併せて完売、増刷を繰り返し、大きく売り上げを伸ばす[注 10]。
vol.13 1986年1月号から月刊化し[16]、同年2月号から初の連載漫画として麻宮騎亜の『神星記ヴァグランツ』が開始されるなど[9][17]、より娯楽性を強めた誌面改革を進めた[18]。1985年から1986年にかけて、ファミリーコンピュータの大ヒットにより、内容のほとんどがファミコンに傾きパソコンがないがしろにされていたが、ファミコン関係の内容は1986年4月にマル勝ファミコンを創刊することで移管、以後は総合誌であることをやめ、パソコン中心に戻り、vol.18 1986年6月号で紙面を刷新して、RPGへ傾倒していく[19][20]。
vol.21 1986年9月号から、グループSNEによるダンジョンズ&ドラゴンズのテーブルトークRPGリプレイ記事『ロードス島戦記』が掲載される[21]と大きな人気を博し、安田均・黒田幸弘によるテーブルトークRPGに関する記事[注 11]や『聖エルザクルセイダーズ』など若者向け小説を掲載して、日本におけるTRPGの普及やライトノベルという分野の創設に大きな影響を与えた[22]。
vol.44 1988年7月号からは『ロボクラッシュ』、同8月号からは『トップをねらえ!』といった読者参加型ゲームを毎号開催するようになり、この影響で売り上げは倍増[9]、同7月号と連動して、パソコン通信に「角川コンプティークネット」というBBSを開設。SF作家・翻訳家の草分けである矢野徹が「狂乱酒場」を設けるなどし、雑誌連載と連動して活動を続けた。
このころは実相寺昭雄や押井守といった特撮やアニメーションの著名な監督が連載を持ち、執筆陣には中村うさぎ(イボンヌ木村名義)を抱えるなど錚々たる面子で、中野豪の挿絵が至る所を飾っていた。[独自研究?]
一方で、袋とじのアダルトゲーム関連のページも組まれていた。名称は「ちょっとエッチなページ」から「福袋」、「大福袋」、「花園倶楽部」と変遷。元々は年数回の定期企画だったのが、後に同市場の拡大も手伝って毎号連載となり、アダルトゲーム以外に18禁アニメやHコミック、AV女優紹介のコーナーも載っていた。毎年1月号には『Hコミックアドベンチャー』というゲームブック形式のゲームが欄外に設けられた[23][24]。
こういった徹底的なおたく向けの路線は単一の分野に興味を持つ読者だけでなく、様々な者を呼び込み固定読者層に加えていき[25]、1991年には発行部数25万部となってパソコン類雑誌の中で最も売れている部類となった[8]。
1992年4月号を以って、創刊以来編集長を務めた佐藤辰男が退任[26][注 12]。
同年、角川春樹と歴彦兄弟の対立(お家騒動)により、編集を担当していた角川メディアオフィスのほぼすべての人員がメディアワークス設立に参加するために移籍し、翌1993年1月、編集長以下ほとんど同じ面々により競合誌『電撃王』が創刊される。それまでコンプティークで連載を持っていた者も軒並み移ってしまい、外部編集プロダクションにより続けて作られたものの、かなりの部分がそれまでと異なる雑誌となった。[要出典]
1994年8月号から判型をAB判に変更、同8月号からは表紙がアイドルからCGに変わり、内容も「MS-DOS講座」「Windows95特集」など一般パソコン誌としての色を強める[注 13]。しかし、1996年1月号から再びアイドルに表紙を戻し、売り文句を「Win95から美少女まで楽しめる(濃)パソコンゲームマガジン」と再設定。さらに1997年3月号から『新世紀エヴァンゲリオン』に代表されるアニメーションやゲームの美少女キャラクターを表紙に採用、紙面も『To Heart』『Kanon』など美少女ゲームの比重が増し、売り文句は「パソコンで遊ぼう!」から、翌1998年には「パソコンユーザーのためのアニメ&ゲーム誌」へと変わっていく。同年1月号からはCD-ROMの付録が恒常化。2000年10月号で、紙面を大幅に改め、売り文句を「PC Character Magazine」へと変更。同時に雑誌のウェブサイトを開設した。
2003年9月号から「MediaMix Game Magazine」と称してメディアミックスを押し進め、それまでのゲーム紹介記事中心の構成からギャルゲーを原作とする漫画を大幅に取り入れた構成に変革[28][注 14]。2003年は『D.C. 〜ダ・カーポ〜』、2005年は『SHUFFLE!』を度々特集し、2006年からは『Fate/stay night』などTYPE-MOON作品を大きく取り扱うようになる[注 15]。また、2004年1月号から始まった『らき☆すた』の連載は十年以上続く長期連載となり、TVアニメ化された2007年には4ヶ月連続で表紙を飾った。
このころから付録を付けることが多くなり、大きい付録[注 16]が付いた場合は値段もそれに応じて高くなるが、付録をつけた方が売り上げは良いようである。[独自研究?]
2002年4月号では、別冊として『コミックコンプ』(内容は新規の漫画誌)が付録されており、一部ではコミックコンプ復刊とも言われたが、結果としては2005年に『月刊コンプエース』を創刊することになった[注 17]。
2013年6月号で、編集長が加藤剛から藤田崇平に交代したのを契機に、アダルトゲームの紹介やそれまでの漫画の連載が徐々に終了する代わりに、ボーカロイドやSNSなどインターネットメディアで話題になっているデジタルコンテンツの紹介やそれ由来の漫画作品(Twitterに掲載された『ニンジャスレイヤー』、ソーシャルゲームの『絶対防衛レヴィアタン』等)が増加した。[独自研究?]
2013年10月号でブラウザゲーム『艦隊これくしょん』を特集した別冊付録をつけたところ、各所で売り切れたため、重版をおこなった[29]。この"艦これ"需要は続き、11月号、12月号と三号連続で版を重ねている[30]。
2013年12月号の創刊30周年記念号にて雑誌全体を正式に刷新し、判型をA4判に変え、雑誌を表す言葉も「メディアミックスゲームマガジン」から「デジタルコンテンツマガジン」に転換、同時にロゴも変更された[31]。
2024年10月号現在。
連載漫画の単行本はドラゴンコミックス、コンプコミックスDX、カドカワコミックス・エース、電撃コミックスなど。
分裂以前の名物コーナーのひとつ、三国志や信長の野望などのSLGリプレイは、秋葉原助手や御茶ノ水教授、ドクター四谷、九段南、イボンヌ木村(イヌボン(犬凡)木村)など複数のライターが参加したことになっているが、実際は、各ライターのキャラクター性を用い榊涼介が一人ですべて書いていた。人気コーナーの1つ「SLG劇場」の登場人物には東京都内の角川書店所在地近辺の地名が使われていた。上記以外では千駄ヶ谷君、飯田橋君など。また、別コーナーのライターで「市ヶ谷クン」と呼ばれている人がいた。コーナーのイラストは盛本康成が担当した。
深沢美潮、榊涼介、中村うさぎ(当時は「イボンヌ木村」名義)などはコンプティークのライターをしたことをきっかけにして、角川スニーカー文庫や電撃文庫などで作家デビューしている。また、板場広し(板場広志、伊多波広)や井上純弌(希有馬、井上けうま)、脳みそホエホエなどはハガキ職人だった。その他、のちに怪談作家となった加藤一(AZ)や、コアマガジン社編集人となり、『G-type』始め編集長として多くの雑誌を手掛けた上崎洋一(上崎よーいち)なども元編集部員である。[要出典]
1〜3月 | 4〜6月 | 7〜9月 | 10〜12月 | |
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2008年 | 72,000 部 | 75,000 部 | 81,667 部 | |
2009年 | 81,667 部 | 69,667 部 | 64,667 部 | 61,667 部 |
2010年 | 55,000 部 | 56,667 部 | 56,000 部 | 57,667 部 |
2011年 | 54,334 部 | 53,667 部 | 57,667 部 | 55,000 部 |
2012年 | 52,834 部 | 52,500 部 | 42,667 部 | 35,334 部 |