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(国旗) | (国章) |
公用語 | マラーティー語 |
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首都 | パンハーラー、コールハープル |
現在 | インド |
コールハープル・マラーター王国(コールハープル・マラーターおうこく、マラーティー語 : करवीर राज्य、英語 : Kolhapur Maratha Kingdom)は、インドのデカン高原、コールハープル地方に存在したヒンドゥー王朝(1710年 - 1947年)。首都はパンハーラー、コールハープル。マラーター王国の分国でもある。1812年以降はコールハープル藩王国となる。
1707年、第4代マラーター王シヴァージー2世はシャーフーにケードの戦いで敗北し、1708年にはシャーフーが第5代マラーター王として即位したことにより、王位を失った。
1710年、シャーフーはシヴァージー2世にコールハープル地方一帯を領地として与えた[1][2]。ここにシヴァージー2世を初代とするマラーター王国の分国が誕生した。
1714年8月2日、シヴァージー2世は弟サンバージー2世に投獄され、サンバージー2世が新たな王となった[1][2]。その後、サンバージー2世はパンハーラーからコールハープルへと遷都した。
1731年4月13日、サンバージー2世はマラーター王国とワールナー条約を締結した[3]。これにより、コールハープルは正式にマラーター王国から分離した。
1760年12月、サンバージー2世は継嗣なくして死亡したが、1762年9月にシヴァージー3世が養子として迎えられた。その治世、1812年10月1日にイギリスと軍事保護条約を締結し、従属下の藩王国となった[4]。
1813年4月、シヴァージー3世は死亡し、息子サンバージー3世が継承するも、1821年7月に死去した[2]。その後、サンバージー3世の息子シヴァージー4世が継承したが、翌1822年1月に死去し[2]、彼の叔父で摂政のシャハージーが継承した[5]。
1838年12月、シャハージーが死亡すると、息子のシヴァージー5世が継承した[5]。だが、1866年8月に彼が死亡するとその王統は途絶え、一族から迎えられたラージャーラーム2世が継承した。
1870年11月、ラージャーラーム2世が死亡すると、再び王統が途絶えたものの、翌年にシヴァージー6世が養子として迎えられ、藩王位を継承した[5]。
1883年12月、シヴァージー6世が死ぬと、翌年に一族からシャーフーが養子として迎えられ、藩王位を継承した[6]。 シャーフーの治世、多数の学校および学生のホステルを設立、気前よく寄付をし、1920 年にシャーフー・ヴェーダ学校を設立した[6]。
1922年5月、シャーフーが死亡すると、息子ラージャーラーム3世が継承した[6]。彼は1911年にジョージ5世の戴冠式とデリー・ダルバールに参加した。
1940年11月、ラージャーラーム3世が死亡すると、再び王統が絶えたが、翌1941年12月に養子に迎えられたシヴァージー7世が継承した[6]。
1946年9月、シヴァージー7世が死亡して王統が途絶えると、1947年3月にパワール家からシャハージー2世が迎えられた[6]。
同年8月15日、インド・パキスタン分離独立時、コールハープル藩王国はインドへと帰属した。