『サウンド・オブ・サイレンス』 | ||||
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サイモン&ガーファンクル の スタジオ・アルバム | ||||
リリース | ||||
録音 |
1964年3月10日 1965年4月5日 1965年6月 1965年12月13日 - 12月22日 | |||
ジャンル | フォークロック | |||
時間 | ||||
レーベル |
コロムビア・レコード(米国盤) CBS/日本コロムビア→ CBS・ソニー(日本盤) | |||
プロデュース |
ボブ・ジョンストン トム・ウィルソン | |||
専門評論家によるレビュー | ||||
チャート最高順位 | ||||
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サイモン&ガーファンクル アルバム 年表 | ||||
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『サウンド・オブ・サイレンス』(Sounds of Silence)は、サイモン&ガーファンクルが1966年1月に発表したセカンド・アルバム。
1965年4月、トム・ウィルソンのプロデュースにより「どこにもいないよ」「はりきってゆこう」の2曲がレコーディングされるが、この頃のサイモン&ガーファンクルは事実上活動を停止しており、ポール・サイモンはイギリスでソロ活動をしていた。しかし、トム・ウィルソンのアイディアでバンド編成のオーバー・ダビングがなされた「サウンド・オブ・サイレンス」のシングル・ヴァージョンが大ヒットすると、ポールはアメリカに帰国し、アート・ガーファンクルも合流して活動を再開する。
1965年12月、ボブ・ディラン『追憶のハイウェイ 61』を手がけたボブ・ジョンストンのプロデュースにより11曲が録音されるが、突然のアルバム制作だったためオリジナルの新曲は「ブレスト」「リチャード・コリー」「早く家へ帰りたい」の3曲のみで、ポールが8月に発表したソロ・アルバム『ポール・サイモン・ソングブック』収録曲のセルフ・カヴァーや、2曲のカヴァー曲も録音された。そのうち、ジャクソン・C・フランクのカヴァー「ブルース・ラン・ザ・ゲーム」は収録が見送られ、「早く家へ帰りたい」はシングルとして発表されることになり、「雨に負けぬ花」は次のアルバム『パセリ・セージ・ローズマリー・アンド・タイム』(1966年)に持ち越された。最終的には「サウンド・オブ・サイレンス」のシングル・ヴァージョンや4月に録音された2曲も含む11曲入りのアルバムとして、1966年に発表された。
本国アメリカでは『ビルボード』誌のアルバム・チャートに初のチャート・インを果たして143週に渡ってチャート・インするロング・セラーとなり[3]、1968年には最高21位に達した[2]。全英チャートでも初のチャート・インを果たし、13位に達した[1]。日本では1966年8月に発売[4]。前作『水曜の朝、午前3時』は当時日本未発売だったため、本作が日本でのデビュー・アルバムとなった。
本作収録曲のうち「サウンド・オブ・サイレンス」と「4月になれば彼女は」は映画『卒業』(1967年12月公開)のサウンドトラックで使用されて、アルバム『卒業-オリジナル・サウンドトラック』(1968年)にも収録された。
2001年発売のリマスターCDには、前述のアウトテイク「ブルース・ラン・ザ・ゲーム」と、1970年7月8日に行われたデモ録音からの3曲がボーナス・トラックとして追加収録された。
特記なき楽曲はポール・サイモン作詞・作曲。6.はインストゥルメンタル。