サザエさん | |
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ジャンル | 家庭漫画 |
漫画 | |
作者 | 長谷川町子 |
出版社 | 姉妹社 → 朝日新聞社 |
掲載誌 | 夕刊フクニチ → 新夕刊 → 朝日新聞 |
発表期間 | 1946年4月22日 - 1974年2月21日 |
巻数 | 全68巻 |
話数 | 6477話 |
テンプレート - ノート | |
プロジェクト | 漫画 |
ポータル | 漫画 |
『サザエさん』は、長谷川町子による日本の漫画[1]。また、その主人公である「フグ田サザエ」の呼び名のひとつである。
原作漫画は新聞連載の4コマ漫画であるが、5ページほどのショートストーリー漫画が雑誌連載されており「別冊サザエさん」に収録されている。西日本新聞社から独立したフクニチ新聞社の整理部長牟田口宗一郎が長谷川に『夕刊フクニチ』誌上での連載を依頼[1]。1946年4月22日から連載を始めた[1]が、長谷川が東京へ引越しするために連載中止。連載開始当初は、台詞がカタカナで書かれていた。漫画の舞台では、サザエは独身だったが、連載中止時にサザエがマスオと結婚しており、最終回とみられる回のオチの部分が、『サザエさんうちあけ話』で描かれている。長谷川の家族が東京の桜新町へ引っ越した後は、『夕刊フクニチ』で連載再開[1]。舞台も東京へ移り、マスオが磯野家に同居する。
掲載誌は間もなく東京スポーツの源流となる夕刊紙の『新夕刊』に移り、『朝日新聞』系列の『夕刊朝日新聞』を経て、1951年4月16日からは『朝日新聞』の朝刊に連載[1]。途中、長谷川の病気が理由で同年11月7日から11月14日まで休載し、11月15日に連載を再開。また、1953年1月16日にも健康上の理由から同年3月31日まで休載となり、4月1日に再び連載を再開。その後はほぼ無休で連載が続いたが、1973年になると毎週月曜日の定期休載に加えて7月15日から8月9日、9月5日から9月9日など「作者病気のため」短期の休みが多くなり、1974年2月21日をもって休載に入るが[注 1]、その後は連載が再開されることはなかった[1]。話数は単行本収録分で6477話[2]に及んだ。
本作はいわゆるストーリー漫画ではなく、一貫した舞台、人物が登場する比較的独立したエピソードからなる。季節が移り変わっても登場人物達は年を取らない。新聞連載の4コマ漫画らしく、時代背景を象徴する内容が多く、終戦直後から復興期の時代に描かれた初期から中期と高度経済成長の時代に描かれた後期とでは作風が大きく異なる。特に、初期から中期にかけてはサザエとその家族および彼らの周辺の人物たちの日常生活が主な題材であったが、後期には主に社会風刺をネタにした作風が目立つようになった[注 2]。連載は1974年で終了したが、1976年から1978年まで長谷川による『サザエさんえほん』が9冊刊行されている[3]。
長谷川の作品の出版は姉妹社が行ってきた[1]が、長谷川の没後の1993年4月に廃業し絶版となり、長谷川町子美術館が著作権を継承した。後に朝日新聞社から文庫本(全45巻)と「長谷川町子全集」(全33巻中1〜23巻が本編、他に30巻『別冊サザエさん』と33巻『カラー版 よりぬきサザエさん』)が出版されている。なお、本作の単行本の出版に際しては、時代背景の変化によって相応しくないと判断された話を掲載しなかった。清水勲著『サザエさんの正体』(平凡社、1997年)によると、掲載を見合わせた話は700点ほどである。なお姉妹書に『古きよきサザエさんの世界』(いそっぷ社、2002年)がある。姉妹社版には作者が自ら編集し発売した『よりぬきサザエさん』シリーズが存在し、「長谷川町子全集」にはその中から『カラー版よりぬきサザエさん』全1巻が収録されている。2012年12月〜2013年3月には「朝日新聞」に掲載された作者及び『サザエさん』関連の特集記事を特典として収録し復刊したもの(全13巻)が朝日新聞出版から発売された[4]。この復刊版『よりぬきサザエさん』には省かれた作品の一部が収録されているが、姉妹社版『よりぬきサザエさん』と比較すると削除された話も数話存在する。2018年より今まで単行本未掲載だった新聞掲載エピソードを収録した『単行本おたからサザエさん』全6巻が朝日新聞出版より発売された。また、2020年1月〜2021年11月には姉妹社版全68巻の復刻版が、長谷川の生誕100周年を記念して朝日新聞出版から刊行された。単行本とは別に、2018年1月より季刊で週刊朝日臨時増刊号扱いとして、それぞれの季節ごとのテーマの作品を集めた作品集[5]が発売されている。なお週刊朝日本誌は2023年6月9日休刊特別増大号を持って休刊したが、今後は同じ朝日新聞出版の週刊誌AERA臨時増刊の形で発行を続ける。
漫画本の累計発行部数は8600万部以上(姉妹社版が7000万部以上[6]、朝日新聞社版の文庫本が1600万部以上[7])に達する。日本の新聞連載漫画としては最大のベストセラーである。妹・長谷川洋子による回想記『サザエさんの東京物語』(朝日出版社、2008年)がある。
1997年4月には、講談社インターナショナルから「対訳サザエさん The wonderful world of Sazae-san」が刊行され、アメリカでも、『The wonderful world of Sazae-san』というタイトルで翻訳出版された[注 3]。その際一部のコマが反転されている[注 4]。
なお、出典は基本的に現行の朝日新聞社版を参考にする。
連載当時は動物を飼育している家庭も多く、本作にもニワトリや牛、ヤギなどが多く登場する。特にニワトリは多く登場し、イタズラをしたカツオやワカメがお仕置きとしてニワトリ小屋に閉じ込められたこともある。磯野家では比較的頻繁に登場する猫の「ミー公」や犬の「ジョン」を始め、登場回数は少ないがアニメ版と同じ「タマ」などの猫や「エルザ」、「太郎」といった犬も登場する。他には小動物として、カツオがカナリヤ・伝書鳩・亀・ハムスターを、ワカメが金魚を、サザエが「マイク」というリスを飼っていたこともあった。カツオは飼っているペットを世話しているという名目で小遣い値上げを訴えたこともあった[14]。
また、長谷川の他作品からは『似たもの一家』の主人公の一家も登場する。伊佐坂家はアニメでは磯野家の隣家だが、原作10巻の一部に登場するのみである。本作にはキャラクターとして特定の名前が与えられていないが、非常に多く登場する人々がおり、相撲が好きだった作者は、相撲をネタにした話をしばしば用いている。
1954年に文藝春秋から出版されたスピンオフ作品には、10年後を描いた「サザエさん一家の未来予想図」が収録されており、この中でフグ田サザエとフグ田マスオの第二子「ヒトデちゃん」が登場する[15]。ヒトデは長谷川の全作品の中でもこれ以外で言及がなく、アニメにも登場しない[注 5]。
実在の人物が登場することもあり、その当時の総理大臣はほとんど登場している。昭和天皇が登場する回もある[16]が、あくまで作中での波平の想像に現れるのみであり、顔は描かれていない。後に長谷川は実際に昭和天皇と園遊会で対面している。
なお、原作の磯野家は話によって間取りが変わり、連載時期によっても造りが異なる(連載初期は二階建ての日本家屋、東京での連載再開時は平屋となっている[17])。長谷川町子美術館ではアニメ版の間取りを展示している。
長谷川は、西日本新聞社の絵画部に所属していた。1946年『夕刊フクニチ』に彼女は連載漫画を頼まれた。自宅の近所である百道海岸付近を妹と散歩しているときに、本作の家族構成や名前を思いついた[18]。当初は作者自身は、アルバイトのつもりでやっていた、と語っている。連載を再開する際、作者本人がマスオの顔を忘れていて、西日本新聞社東京支局まで行き確認したエピソードがある。その後、1951年に「ブロンディ」の後を承けて朝日新聞の朝刊を飾ることになる。連載末期には月曜日が休みとなった。
単行本の第1巻はB5判の横綴じだったが、書店の店頭に並べにくいということですべて返品され、自宅は返品された単行本に占拠される事態となった。そこで判型をB6判に変更した第2巻を出したところ読者には好評で問題の第1巻にも注文が入るようになり、この事態は解消された。姉妹社の廃業までこの判型が踏襲され、第1巻も後にB6に変更された。このB5判横綴じの第1巻を再現した復刻版が、2013年4月27日より長谷川町子美術館の売店で販売された。
執筆にまつわるこのようなエピソードは、長谷川のエッセイ漫画『サザエさんうちあけ話』に詳しい。
連載が長くなるにつれ、作者の長谷川自身は1960年代中頃から従来と異なる新しい作風に興味が移っていった。彼女は自伝『サザエさんうちあけ話』の中で「子供にも無害なヒューマニズム(ヒューマニタリズム)には飽きた」[19]「書き手にとっては取材範囲が限られるのが苦しい」[19]などと語っている。このような時期に生まれたのが、後に長谷川の代表作の1つとなった「いじわるばあさん」(1966年〜1971年)である。そして、この頃から、『サザエさん』もそれまでのヒューマニズム色の強い作風から大きく変化し、社会風刺の要素を取り入れたアイロニカルな作風へと移行している。
戦後の日本の復興と共に歩み、「(当時の)日本家庭の象徴」とも言われた[20]。
哲学者・評論家の鶴見俊輔は、サザエたちを叱る波平がフネに叱られたり、カツオを罰したサザエがカツオに裁かれたりすることで、権威が笑いで批判され(時には権威自体がみずからを笑い)、家族内のメンバーの対等性が形成され父権主義に対する批判へつながっているとともに、女系家族での生活で育まれた作者の「家庭内での出来事を処理する規準をそのまま拡大して社会を見る」視点が、作中での「自分の持ち場をはなれずに社会を批判」するスタンスを形づくっている、と述べている[21]。さらに、核家族ではなく3世代が一つ屋根の下に暮らし、家族それぞれがそれぞれの仕事・役割を担って膨大なコミュニケーションを交わす、という高度成長時代からは遅れた家風を磯野家が残していることで、現実の家庭に対し戦後民主主義の理想を説く役割を与えられている、とも論じている[21]。
評論家の樋口恵子[注 6]は、原作漫画について「『サザエさん』では木造の日本家屋、3世代7人の雑居型大家族、地域社会の年中行事と緊密な人間関係が描かれている。そして何より一点の曇りもなく人間の持つ屈折にも、シワを伸ばし光を当ててしまうような明るさ、素直さを持つ専業主婦・サザエさんの存在。まさに安心・安定・安全度100%の舞台装置と配役なのです」と絶賛している[20]。さらに「登場するサザエさんは戦後の嫁に求められていた滅私奉公に背を向け、時には“すかしっ屁”を放つなど自由気ままな日々を満喫しています。フェミニズムというべき新しい時代の香りが立ち上がってくる女・子供の生活讃歌になっているのです。この多面体ゆえに、男性にも女性にも時代を超えて愛されるのです」とも評している[20]。
アニメ版の10年後を舞台とした作品
再演ではなく上記の第1弾の続編作品
1955年10月3日[29]から1957年にKRT(現・TBS)で放送されたドラマ。KRT初の武田薬品一社提供のドラマであり、『タケダアワー』の前身。放送時間は月-土18:35 - 18:40→月-土18:30 - 18:35。
一説には「絵に台詞を付けた紙芝居のような番組」と言われているが、演出を行った拵井巍の証言によると、実際は五分帯のコント風の生放送のスタジオドラマであった[30]。サザエの子が「タラ子」という女の子など、設定の相違がある。
一部の映像がキネコで録画されおり、これがTBSに現存する最古の番組映像とされている。
KRT タケダアワー | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
(なし)
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サザエさん
(高杉妙子主演ドラマ版) |
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KRT 月曜 - 土曜 18:35 - 18:40枠 | ||
映画枠
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サザエさん
(高杉妙子主演ドラマ版) (1955年10月3日〜1956年4月28日) |
-
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KRT 月曜 - 土曜 18:30 - 18:35枠 | ||
月 - ボクシングゲーム
木-子供会 金・土 - 映画 ※ 以上18:00 - 18:35 火 - 憧れのスター 水 - 松田トシ ショー ※ 18:10 - 18:35 |
サザエさん
(高杉妙子主演ドラマ版) (1956年4月30日〜1957年9月28日) |
1965年11月9日から1967年9月29日までTBS系列で放映されたドラマ。1969年にテレビアニメ版が開始するまでは、映像化された『サザエさん』は本番組のイメージが強かった[32]。
平均視聴率が27.9%を記録する人気番組となり[33]、放送も2年にわたるロングランとなった。1966年1月7日放送で瞬間最高視聴率37.1%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)を記録した。
舞台は東京都世田谷区桜新町三軒茶屋の裏通りにある二階建て一軒家という設定で、マスオが世田谷区役所に勤務するなど、設定の相違がいくつかあった[32]。
テンポの良さを重視し、スポンサーの了承を得て途中でCMを挿入しないなどの工夫がされた[34]。
20話ほどの演出の担当した堀川敦厚はのちに「(当時の)TBSドラマとしては唯一の例外で、前日のリハーサル室でのリハーサルがなかった」と証言している。また、俳優のアドリブが多く"シリアスな伏線"と思っているとこにも"笑える落ち"をつけようとするなど、自身の演出意図からは大きく外れた作品になり「辛いことも多かった」と回想している。
放送終了後は何度か再放送が行われた。ただし、1970年以降は行われておらず、映像の現存状況は不明である。
この節の加筆が望まれています。 |
TBS系 金曜21:00 - 21:30枠 | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
サザエさん
(江利チエミ主演ドラマ版) |
1979年6月12日にフジテレビ系列の『火曜ワイドスペシャル』枠で、人気作品をリメイクする『TVスーパーヒーロー傑作選』が放送、本作も榊原郁恵主演でドラマ化、榊原にとっては舞台より15年も前にサザエを演じた。しかし後年の『サザエさん』関連番組や文献、フジテレビ番組ではほとんど取り上げる事はない。
この節の加筆が望まれています。 |
1981年 - 1985年にフジテレビ系列で放映された単発ドラマ
回 | タイトル | 放送日 | 放送時間(JST) | 備考 |
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1 | サザエさん[41] | 1981年4月1日 | 水曜19:30 - 20:54 | |
2 | サザエさん 秋ですネ、サザエさん |
1981年9月30日 | ||
3 | 春一番だョ! サザエさん | 1982年3月31日 | ||
4 | 秋祭りだよ! サザエさん | 1982年9月29日 | ||
5 | '83出発進行だよ! サザエさん |
1983年1月6日 | 木曜20:02 - 21:48 | 『木曜ファミリーワイド』で放送 |
6 | サザエさん 恋の季節だよ! サザエさん |
1983年4月6日 | 水曜19:30 - 20:54 | |
7 | サザエさんPARTVII | 1983年9月28日 | ||
8 | サザエさん サザエさん頑張る・主婦たちの戦後史 |
1985年1月4日 | 金曜21:02 - 22:52 | 『金曜女のドラマスペシャル』扱いはされず |
1992年 - 1996年にフジテレビ系列で放映された単発ドラマ、6作
回 | タイトル | 放送日 | 放送時間(JST) | 備考 |
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1 | サザエさん[42] | 1992年10月5日 | 月曜21:00 - 22:24 | |
2 | サザエさん2 | 1993年4月9日 | 金曜21:02 - 22:52 | 『金曜エンタテイメント』で放送 |
3 | サザエさん3 | 1993年10月15日 | ||
4 | サザエさん4 | 1994年4月7日 | 木曜21:00 - 22:54 | |
5 | サザエさん | 1995年1月6日 | 金曜19:00 - 20:54 | 3本立てオムニバス作品 |
6 | サザエさん | 1996年1月4日 | 木曜19:00 - 20:54 |
21世紀初頭より、観月ありさがサザエを演じる単発ドラマが、これまでに4回アニメ同様フジテレビ系列全国ネットで放送されている。いずれもハイビジョン制作。
ドラマの放映日は、いずれもアニメ版の定時放送日と重ねており、その日はアニメが第1部、ドラマが第2部として1枠化したコンプレックス形式が取られる。パート4ではアニメとの更なるシナジー効果を狙い『サザエさん アニメ&ドラマで2時間半SP』と題され、全3話のうち1話「磯野家はチャレンジャー」の前半をアニメで、後半をドラマで制作するという特殊な構成[注 7]に用いられた。
観月版では時代設定1970年代前半であり、ダイヤルチャンネル式のテレビや、伊藤博文の千円札や岩倉具視の五百円札といった紙幣などその当時の物が作品内で登場する[注 8]など、その当時の生活ぶりが垣間見られる。BGM、玄関扉や襖の開閉音、タラオの足音、タマの鳴き声などはアニメと同じものが流用されている。
パート1に、サザエ役の声優の加藤みどりと、波平役の声優の永井一郎が顔出しで特別出演し、出演自体は短いがいずれも波平・フネと絡んでいる。加藤はその後もパート2に湯水夫人として、パート3にタバコを買いに来た波平と海平とを続けて見て驚くタバコ屋のおばさん、パート4に足を挫いた老婦人役でゲスト出演を果たした。
『磯野家の人々〜20年後のサザエさん〜』のタイトルで、フジテレビ開局60周年及びアニメ「サザエさん」放送50周年記念番組として、2019年11月24日の20:00 - 21:54に放送 [注 10]。内容は本編の20年後となっており、磯野家には新たに、1954年発行の雑誌『漫画読本』(文藝春秋)創刊号に掲載された一コマ漫画「サザエさん一家の未来予想図」に登場したタラオの妹ヒトデが加わっている[44]。今作では時代設定はより現代に近いものとなっており、劇中にはこれまでの各メディア作品には登場していなかったスマートフォンや液晶テレビ、ドローンなどが登場している。
出演期間 | フグ田 サザエ | フグ田 マスオ | 磯野 カツオ | 磯野 ワカメ | フグ田 タラオ | 磯野 波平 | 磯野 舟 |
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(映画)1948年 - 1950年 | 東屋トン子 | 不在 | - | - | 不在 | - | - |
(TV)1955年 - 1957年 | 高杉妙子 | 小野田勇 | 石井修 | 猿若久美惠 | 奥村千秋 | 昔々亭桃太郎 | 水の也清美 |
(映画)1956年 - 1957年 | 江利チエミ | 小泉博 | 小畑やすし | 松島トモ子 | 不在 | 藤原釜足 | 清川虹子 |
(映画)1957年 - 1958年 | 白田肇 | ||||||
(映画)1959年 - 1960年 | 猿若久美恵 | ||||||
(映画)1960年 - 1961年 | 小串丈夫 | ||||||
(TV)1965年 - 1967年 | 川崎敬三 | 吉原誠利 | 上原ゆかり | - | 森川信 | ||
(TV)1979年 | 榊原郁恵 | 江藤博利 | 近田春夫 | - | - | 宮尾すすむ | - |
(TV)1981年 - 1982年 | 星野知子 | 小野寺昭 | - | - | - | 小林亜星 | 乙羽信子 |
(TV)1983年 | 佐野大輔 | 網田麻澄 | 高山幸久 | ||||
(TV)1984年 | 斎藤優一 | ||||||
(TV)1985年 | 大森嘉之 →斎藤優一 | ||||||
(TV)1992年 - 1993年 | 浅野温子 | 宅麻伸 | 上村裕樹 | 遠山真澄 | - | いかりや長介 | 吉行和子 |
(TV)1994年 | 小林俊平 | ||||||
(TV)1995年 - 1996年 | 田宮賢太朗 | 森安加代子 | |||||
(TV)2009年 - 2011年 | 観月ありさ | 筒井道隆 | 荒井健太郎 | 鍋本凪々美 | 庄司龍成 | 片岡鶴太郎 | 竹下景子 |
(TV)2013年 | 清水錬 | 錦辺莉沙 | 中野遥斗 | ||||
(TV)2019年 | 天海祐希 | 西島秀俊 | 濱田岳 | 松岡茉優 | 成田凌 | 伊武雅刀 | 市毛良枝 |
江崎グリコの『オトナグリコ』の一環として2008年から2009年にかけてオンエアされたシリーズ。
磯野家の先祖の法事で親族が集まることから始まるCMオリジナルストーリー。原作ではなくアニメ版の世界をベースとしている。BGMもアニメ版のOP、EDテーマをアレンジしたものが使用されている。
CM中には波平やフネ、サザエ、マスオが一切登場しないが、江崎グリコの広報によると「ご先祖様の法事であり、存命です」と説明している[62]。
CM放送開始以降、ラジオ放送版を含む全篇がかつてはオトナグリコサイトで視聴可能だった。ラジオ放送版も基本的にテレビCM版の内容を踏襲しているが、テレビ版と異なるエピソードもある。声の出演は以下の通り。
2000年4月から2001年にかけて、マイラインサービスの告知として、パンフレットとテレビCMで原作(漫画)を基にしたキャラクターが使用された[63]。テレビCMはアニメ版の声優を使用しているが、作画はあくまで原作に準じたものとなっている。出稿主であるマイライン事業者協議会は実質上NTT東日本・NTT西日本が運営しており、電電公社以来約16年ぶりの起用であった。
日清食品のカップ麺「カップヌードル」が2017年に展開している、有名作品の登場人物が現代日本の高校生として青春を謳歌しているという設定のCMシリーズ『HUNGRY DAYS』の第3弾として2017年11月22日より「サザエさん」編が放送[64][65]。タイトルは『サザエさんの青春』[注 13]。
原作では公開お見合いで出会って結婚したサザエとマスオが、もし2017年の現代で同じ高校に通う高校生として過ごしているとしたら、という設定のパラレルワールドとなっており、高校最後の文化祭でマスオがサザエに公開告白を行うというストーリーとなっている。サザエ役を和久井優、マスオ役を島﨑信長が演じ、磯野家の家族も声は無いものの登場している。他のシリーズCMと同様にキャラクターデザインを窪之内英策、アニメーション制作をタツノコプロが手がけている。
CM公式サイトではストーリー紹介と共に、原作でのサザエとマスオのなれそめも紹介されている。
テレビアニメ版を長年1社で協賛した東芝家電製品(現・東芝ライフスタイル、TVS REGZA他)の他、コカ・コーラの果汁飲料「hi-c」(終売)、日本電信電話公社(現在の日本電信電話とその傘下の地域通信会社・NTTドコモ他)「プッシュフォン」「親子電話」、ハウス食品のサザエさんキャラクターを起用した食品類、JAバンク、旭電化(現・ADEKA)「リス印マーガリン」(新聞広告)、西部ガスなどに起用されている。(後述参照)
姉妹社から本作を題材にした3組のかるたが発売されていた。このうち『かるたサザエさん』以外の2組は、赤ちゃんとママ社から復刻版が発売されている。
漫画のイメージソングとして制作された楽曲。
本作の舞台となった東京都世田谷区桜新町、福岡市に「サザエさん通り」を称する道路がある。
生涯で最も長い期間住み続け、本作の舞台となったこと、長谷川町子美術館が1985年に開館したため、桜新町商店街振興組合が音頭をとって東急田園都市線の桜新町駅前から国道246号へとつながる「中通り」を1987年に「サザエさん通り」と改称された。
歩道には『サザエさん』のキャラクターが描かれた看板もある。ほとんどが原作の時の絵になっている。2012年3月25日には、磯野家メンバーの銅像が設置された[68]。この銅像に対し、2013年6月3日付で都税事務所から58万9200円の固定資産税(償却資産)の納税通知書が届き、桜新町商店街振興組合では困惑していたが[69][70]、10月19日に一転して固定資産税の免除が通知された[71][72]。同じく長谷川町子原作のいじわるばあさんの看板や銅像もある。
『サザエさん』に登場する「三河屋」は「サザエさん通り」にコンビニエンスストアのセブン-イレブン・世田谷サザエさん通り店として実在する。三河屋の屋号は、出入口のセブン-イレブンのロゴの下に「三河屋酒店」と小さく表記されていたが、のちにこの表記は「三河屋」に変更された。
舞台の沿線となる東京急行電鉄の広告キャラクターに採用されたこともある。東急世田谷線では、一時期『サザエさん』のラッピングを施した車両が運行されていたことがある。
福岡市では2007年4月26日、長谷川が住んでいた福岡市早良区百道浜一丁目に磯野広場ができ、記念碑が建てられた。記念碑には『サザエさんうちあけ話』からの引用が記載されている。
2013年2月には、サザエさんと福岡市在住の波平の兄・海平の着ぐるみが完成し、地元のイベント等で活用されるようなった[73]。
2014年5月20日 - 7月13日に福岡市博物館で展覧会「サザエさん展 長谷川町子とその時代」が開催されたり[注 14]、2015年1月30日に、西新駅に第1巻の表紙と第1話をモチーフにした高取焼の陶板の設置[74]や、2017年1月29日より樋井川(旧今川橋)から藤崎駅南東まで続くオレンジ通り・西新中央・中西・高取・藤崎の5つの商店街の通りに「サザエさん商店街通り」の愛称が付いた[75]。
原作者の長谷川が『サザエさんうちあけ話』にて「サザエさんの単行本をコピーした、いわゆる海賊版が国内に出回っていた」と語っており、発行元の姉妹社に損害が起きていた[注 15]。
無許可でキャラクター画を使用した「サザエさんバス事件」以後、本作は他の作品以上に版権管理が厳しくなり、版権を管理する長谷川町子美術館に画像使用許可などを申請しても門前払いされていた時期があった。
1970年、奥成達が編集長を務めた雑誌『東京25時』(アグレマン社)9・10月合併号に、テディ片岡(片岡義男)原案・木崎しょう平作画によるパロディ漫画『サザエさま』が掲載されたが、過激な内容と著作権の問題で姉妹社から訴えられ、示談の結果、罰金50万円の支払いと謝罪広告の掲載がなされた[76]。長谷川は飯沢匡との対談の中で本作品の存在に触れ、「名誉毀損で裁判沙汰にいたしました」「むこうの編集者が謝罪しました」としている。この際、訴えを起こした理由として、長谷川は「作品を見たときに悪意を感じた」上に「それが面白いものならばまだしも出来が悪く、ぜんぜんひどいと思った」旨を挙げている[77]。
1980年前後にケイブンシャが発行していた「全アニメ大百科」(年度ごとに改訂版あり)では、日本で制作された連続テレビアニメについて草創期から当時の最新作までを網羅しており、各作品ごとに放送期間や声優、ストーリーの概略などをキャラクターの画像と共に紹介していたが、『サザエさん』と『いじわるばあさん(1970年版)』については画像を掲載することができなかった[注 16]。1988年に徳間書店から出版された「TVアニメ25年史」についても同様で、本作のみ画像が掲載されていない。ただし、アニメ版のスポンサーである企業についてはこうした限りではない。
1992年頃に流行となった謎本のひとつ、東京サザエさん学会により『磯野家の謎 サザエさんに隠された69の驚き』(飛鳥新社)が刊行され、続編『磯野家の謎おかわり』とともに大ヒットとなったが、これらは原作やアニメのコマが一切掲載できなかったため、文中で「●巻p.●●」のように出典を示す脚注が付けられたのみであった。原作漫画やアニメのコマが一切掲載されていない理由について、「作者の許諾が得られなかったから(代わりに脚注を付けたので、そちらを参照してほしい)」と記述している。また翌年にはビデオ版も発売されたが、こちらも著作権者の許可を得なかったため長谷川毬子と長谷川町子美術館から訴えられており[78]、絶版となっている。
同じく1992年にシングルCDとして再発されたアニメ主題歌のシングルでも、ジャケットにはキャラクターの画像は一切使用されていない。
現在でもこの厳しい版権管理は続いており、映像化作品(ドラマ、映画全般も含む)のビデオソフト(DVD、BD)化は行われておらず、インターネットでの有料配信やCSなどでの放送といった映像の二次利用自体が行われていなかったが、2016年にサザエさん誕生70周年を迎えたことから、CSの「日本映画専門チャンネル」にて、同年4月から2017年1月にかけて東宝および宝塚映画のシリーズ全10作が順番に毎月1作品ずつ放送されている[注 17]。また、2018年12月26日より、アニメ放送50周年を記念してフジテレビの有料配信サービスFOD及びAmazon プライム・ビデオにて、放送開始年である1969年から1978年までのエピソードがデジタル化され配信されることが決定した[79][注 18]。
2020年2月まで絶版作品を含む電子書籍化は行われていなかったが、同年に世界規模で感染が拡大している新型コロナウイルスの影響で自宅待機を余儀なくされている人々向けへの支援として、朝日新聞出版が長谷川町子美術館による協力の下、同年3月に期間限定ではあるが電子書籍化と無料公開が行われた[80][81]。
また、文藝春秋発行の「文藝春秋デラックス」では「日本の笑い マンガ1000年史」(No.17 昭和50年9月号)に新聞掲載の4コマ作品3本、「アニメーションの本」No.42 昭和52年10月号)には、一家が勢揃いしたアニメのキャラクターの画像が掲載されている。
上述したように、連載初期頃には文明堂や森永製菓、旭電化(現・ADEKA)リス印マーガリンなどの広告で起用されており、いくつかの長谷川の手による広告用の原画、贈答用の物や包装紙などが存在する。また、選挙の投票期間告知のポスターでも採用されている。
作者が存命中の頃はテレビアニメの筆頭スポンサーである東芝をはじめ、ハウス食品・日本コカ・コーラ(Hi-C)・日本電信電話公社などのCMに起用されていたが、1990年代はほぼ東芝一社のみとなり、1996年以降は同社のテレビCMにも起用されなくなった。
1998年に発行されたお年玉つき年賀はがきの東京地方版では、漫画では初めてサザエさんが採用された。
作者の没後8年を経過した2000年頃から、マイライン(→#CM)やJAバンク、日本コカ・コーラ(ミディペットボトル)などのCMで、アニメ版を中心とした本作のキャラクター画を使用されることが多くなってきている。ただし、これらのタイアップは作者の生前に契約が存在した企業がほとんどである。また、後述の理由から東京急行電鉄のイメージキャラクターにも起用されたこともあった。
2008年に江崎グリコのチョコレート製品のテレビCMとして制作された「OTONA GLICO 〜25年後の磯野家〜」は、その独特な世界観から話題を集めた。
JAバンクについては、キャッシュカード一体型のJAカードにアニメ版のサザエさん一家が描かれた「JAカード(サザエさん)」が存在しており、2010年前後になってJAバンクを統括する農林中金側の公式サイト内にあるJAカードのサイトに掲載されるようになっている。
2011年、2013年には防災週間のPRキャラクターに起用された。
2019年11月24日に放送されたアニメ50周年スペシャルでは、当時のスポンサーである9社(『日清食品』、『日産自動車』、『花王』、『宝くじ』、『西松屋』、『味の素』、『大和ハウス』、『Amazon』、『こくみん共済』)とのコラボレーションCMが放送された。
2022年5月に警視庁から防犯広報大使に任命された[82]。その一環で同年8月13日に東京ドームで開催された読売ジャイアンツ対広島東洋カープ戦ではサザエが始球式を務めた[83]。なお、始球式の模様はアニメ版制作局であるフジテレビと同業会社の日本テレビのニュース番組でも放映された[84]。
日本中央競馬会が毎年夏季に地方予選大会→秋季の東京競馬場(概ね10月第2日曜日の最終レース後)に全国決勝大会を行っている、小学4年から中学1年生を対象としたポニー競馬の全国選手権大会「ジョッキーベイビーズ」に世田谷区長谷川町子美術館が協賛しており、全国大会ではサザエさん一族の着ぐるみが会場に来場している[85]。
2022年7月より日清食品の「カップヌードル シーフード/レッドシーフード」のテレビCMに期間限定で起用されている(同年8月末〈予定〉までのオンエアで、CM本編にはサザエのほか、カツオとワカメが登場している)。
2024年4月よりP&Gの「レノア オードリュクスサンデー」のテレビCMに原作のサザエが起用されている。ただし声の担当は加藤みどりではない。
2025年1月より作者の長谷川が幼少期を過ごした福岡県を営業エリアとしている西部ガスのイメージキャラクターとして、サザエが起用され、同月20日からテレビCMの放映も開始している[86]。
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本作のアニメが放映開始された当初は、キャラクター商品の許諾を全くしない方針だった。玩具メーカーバンダイが打診したが断った。放映当時はマルサン商店と今井科学の倒産で玩具業界ではキャラクター商品は敬遠されていたためとみられる。
サザエさんバス事件の判決が出た1976年にタカラ(現・タカラトミー)が初めて商品化した。タカラは同年の年末商戦における「最大の関心事」と位置づけ、人形から貯金箱まで幅広く商品を展開。しかしあまり売れなかった。業界では「人間キャラは売れない」というジンクスがあり、本作もそれを証明することになった(後にこのジンクスを打ち破るのは『ちびまる子ちゃん』である)。
ハウス食品から1984年に「サザエさんちのふりかけ」「サザエさんちのお茶漬け」が、1985年に「サザエさんちのおにぎり」が発売され、1990年代前半まで発売が続けられた。ただし、パッケージデザインに関しては著作権の関係上、テレビアニメ版のものが採用された。また、明治製菓(現・明治)から1984年にスナック菓子として「かつおくん」と「わかめちゃん」が発売された。
非売品ではあったが、1980年代には、スポンサーである東芝からもグッズが多数出ており、東芝の特約店などで商品を買うと、主にサザエやタラちゃんがプリントされた財布などを進呈するというフェアもあった。
また、名古屋に本社を置く長登屋が商品化権を取得しており、全国各地の土産物屋を中心にキャラクターを利用した菓子商品の製造販売を行っている。
2006年7月15日、お台場のフジテレビ本社ビルに、『サザエさん』のキャラクター商品を扱う専門店「サザエさんのお店」が開業した。
1995年 - 1996年頃、サザエとバカボンのパパを合成した「天才サザエボン」や、波平と鉄腕アトムを合成した「鉄腕波平」、波平と安室奈美恵を合成した「アムロ波平」などといったキャラクターグッズが無許可で制作され、修学旅行生が集まる全国の土産物店に卸して販売したものが有名になった。これに対し1997年夏に長谷川町子美術館や赤塚不二夫、手塚プロダクションなど(原告)が著作権・著作者人格権などの侵害として、グッズを企画・製造していた福岡県春日市の衣料品会社「大成」を相手に訴訟を起こした[87]。
これに対し会社側は「大阪固有のギャグ、パロディー文化を踏襲したものであり、著作権侵害の意図は全くない」などと反論した[88]。
1997年8月、裁判所は、被告の文化的解釈はあくまでもアマチュアにおける二次創作(例としては、漫画やアニメを同人誌として頒布することなど)に摘要されるものであり、企業が利益目的として販売する場合、被告の主張する社会的文化の範囲に含まないのが通例である。よって、著作権侵害とすることが相当である。また、原告の主張には始終一貫として正当性が認められる。それに対する被告は先の文化的解釈など、狭義な見解が散見された、と結論づけ原告の勝訴となった。「大成」は販売禁止を命令され、同社は2000年1月27日に破産した。
「サザエボン」の起源を巡っては、次のような説がある。
大阪商工会議所新淀川支部では、後者の説にちなみ、TOY魔人が商っていた西商店街を「波平通り」と名づけた。さらには1999年頃、合成キャラクター「鉄腕波平」の街路灯を同じ通りに設置した[91]ものの、2012年には撤去されたという[92][93]。
TOY魔人の活動は、著名人や関係者からは一般人による二次創作の範疇だと判断されていたため、当初は特に追及はされなかった。しかし、先述の企業「大成」がTOY魔人を模倣し、明らかな商業目的で全国的に販売するようになったことで社会問題化した。この問題が報じられたことを受けて、オリジナルのTOY魔人は販売を自粛した。