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サムスン・ライオンズ | |
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Samsung Lions | |
会社名 | 株式会社サムスンスポーツ |
創設 | 1982年 |
ロゴデザイン | |
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所属リーグ | |
KBOリーグ | |
歴代チーム名 | |
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本拠地 | |
大邱サムスン・ライオンズ・パーク(大邱広域市壽城区)![]() | |
収容人員 | 24,000人 |
永久欠番 | |
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獲得タイトル | |
アジアチャンピオン(1回) | |
2011 | |
シリーズ優勝(8回) | |
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成績(タイトル以外) | |
アジアシリーズ出場(5回) (太字は優勝、斜体は準優勝) | |
シリーズ出場(18回) (太字は勝利した年) | |
7勝11敗(太字は勝利した年) | |
プレーオフ出場(14回)(太字は勝利した年) | |
6勝8敗 | |
準プレーオフ出場(9回)(太字は勝利した年) | |
5勝4敗 | |
球団組織 | |
オーナー | 兪正根(ユ・ジョングン、第一企画理事会議長) |
運営母体 | 第一企画 |
監督 | 朴鎮萬 |
サムスンスポーツ | ||||||||||||||||||||||||||||||
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サムスン・ライオンズ | |
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各種表記 | |
ハングル: | 삼성 라이온즈 |
漢字: | 三星 라이온즈 |
発音: | サムソン ライオンジュ |
英語表記: | Samsung Lions |
サムスン・ライオンズ(朝鮮語: 삼성 라이온즈、英語: Samsung Lions)は、KBOリーグに所属する大韓民国のプロ野球チームである。ホームタウンは大邱広域市で、同市の大邱サムスン・ライオンズ・パークを本拠地としている。韓国を代表する財閥であるサムスングループのグループ各社が共同で出資してオーナーとなっていたが、2016年にサムスン系列の広告代理店である第一企画に譲渡され、同社がオーナーとなっている。球団の運営法人の社名は「(株)サムスンスポーツ」。
1982年のKBO創設メンバー6球団の一つで、韓国シリーズ17回出場の強豪チーム。
チーム名の韓国語での発音に忠実な日本語表記は、サムソン・ライオンズであるが、日本では親会社のサムスングループに合わせ、サムスン・ライオンズと呼ばれることが多い。また、サムスングループは1998年以降の日本展開において「三星」という表記を使わず、カタカナの「サムスン」を使用してきたことから、チーム名もカタカナ表記として統一する。
本拠地は、当時の李秉喆(イ・ビョンチョル)オーナー(サムスン電子創始者)の出身地で、サムスングループの発祥の地でもある大邱広域市に定め、今日に至っている。スタジアムは、球団創設時より北区の大邱市民運動場野球場を使用していたが、老朽化のため2016年より、新球場である寿城区の大邱サムスン・ライオンズ・パークを使用している。球団事務所は、球場内に設置されている。なお、大邱だけでなく、2012年7月に完成した慶尚北道浦項市の浦項野球場を準本拠地とし、2012年8月14日から16日まで初の1軍公式戦を開催し、2013年以降も時折1軍、2軍ともに公式戦を開催している。二軍の本拠地は、慶尚北道慶山市珍良邑にある慶山ボールパークである。
韓国プロ野球草創期からサムスングループの莫大な支援をバックに強豪として君臨してきた。2018年シーズン終了時点で、韓国野球委員会発足当時から存続する球団としては唯一シーズン最下位の経験がない。2019年シーズン終了現在、累積勝利、ポストシーズン及び韓国シリーズ出場回数で最多を記録しており、現存球団及び過去に韓国野球委員会に所属したすべての球団に対して累積対戦成績で勝ち越している。1997年から2008年までの12年連続ポスト・シーズン出場の記録は韓国プロ野球史上最長である。一方で韓国シリーズ及び他のポスト・シーズンでは敗退も多く、韓国シリーズ17回出場で優勝は半分以下の7度であり、韓国シリーズ出場を競うプレーオフでも12回出場で5勝7敗と負け越している。シリーズ初優勝も韓国プロ野球創設メンバーの中では一番遅い2002年と、後発のハンファ・イーグルスよりも遅かった。そのためポストシーズンでの敗退が重なるたびに、親会社の支援をバックにするフロントの現場への干渉が度を越してしまい、1990年代中盤は3年連続ポストシーズン進出失敗の低迷期を迎えた。1990年代後半から莫大な予算を投入して、フリーエージェント獲得、大型トレード、大物外国人選手獲得などチーム強化に成功すると、2002年にはついに悲願の韓国シリーズ優勝を達成した。
1990年代後半から2003年までは、日本球界にも在籍した李承燁が中心選手として活躍していた。
1980年代は、第1回の1982年を含めて韓国シリーズに4度出場するも当時少数精鋭で最強戦力を誇ったヘテ・タイガースなどに阻まれ、準優勝は4度にとどまっていた。2002年まで前後期リーグ統合優勝で韓国シリーズなしで優勝を決めた1985年が唯一の優勝であった。
1986年以降、韓国シリーズが必ず開催されるようにルールが改正され、1990年代まで読売ジャイアンツ出身の新浦壽夫(韓国名:金日融)、広島東洋カープ出身の金城基泰(韓国名:金基泰)らが在籍していた。2001年にはバルビーノ・ガルベス(元読売ジャイアンツ)、ベン・リベラ(元阪神タイガース)も在籍していた。
2004年は韓国シリーズに進出し、現代ユニコーンズと史上初となるシリーズ第9戦までもつれ込む熱闘を繰り広げたが敗北。
2004年シーズンオフには新監督に宣銅烈が迎えられ、現代から強打の外野手でもある沈正洙(シム・ジョンス、2003年に53本塁打)、韓国を代表する名ショートの朴鎮萬(パク・チンマン)をFAで獲得する等の大型補強を行った。
2005年より春季・秋季キャンプは日本の沖縄県恩納村の赤間ボールパークで実施している。シーズンは中日ドラゴンズからマーチン・バルガスも移籍しレギュラーシーズン優勝、韓国シリーズも4連勝で優勝しアジアシリーズに進出したが、決勝戦で千葉ロッテマリーンズに敗れ、準優勝に終わった。
2006年シーズンはレギュラーシーズン優勝、韓国シリーズでもハンファ・イーグルスを4勝1敗1引分で退け、2年連続の韓国シリーズ優勝を果たした。韓国シリーズ2連覇はヘテ・タイガース(1986年-1989年、1996年-1997年)、現代ユニコーンズ(2003年-2004年)についで3チーム目。前年に続きアジアシリーズに出場したが予選リーグ最終戦で台湾のLa Newベアーズに逆転で敗れ予選で敗退、3位に終わった。
前年までの韓国シリーズ2連覇を支えた選手たちに衰えが見られた2007年はレギュラーシーズンを4位で終えると準プレーオフに廻り、ハンファに1勝2敗で敗れて3連覇はならなかった。2008年もレギュラーシーズン4位に終わったが、史上最長となる12年連続のポストシーズン進出を決め、準プレーオフではレギュラーシーズン3位だったロッテ・ジャイアンツに3連勝し、斗山ベアーズとのプレーオフに進出したが敗れた。
2009年は崔炯宇などの若手野手が主軸として更なる成長を遂げたものの、抑えの呉昇桓の戦線離脱など投手陣に不安があり、ロッテとの4位争いに敗れ5位で13年ぶりにポストシーズン進出を逃した。
2010年はレギュラーシーズン2位で2年ぶりにプレーオフ進出を決めた。一方で長年チームを支えてきた梁埈赫が引退し、9月19日に韓国プロ野球史上最も盛大な引退試合が行われた。プレーオフでは斗山ベアーズを3勝2敗で下し、4年ぶりに韓国シリーズ進出を決めたがSKワイバーンズを相手に1勝もできず、4連敗してしまった。12月末に宣銅烈監督が突如辞任した。
2011年からは柳仲逸が監督として就任した。この年は守護神の呉昇桓の復活もあり、5年ぶりにレギュラーシーズン優勝を果たした。韓国シリーズではSKに4勝1敗で勝利し、5年ぶりの韓国シリーズ優勝を果たした。アジアシリーズでは予選リーグを2勝1敗の2位で通過、決勝で日本の福岡ソフトバンクホークスを5-3で破り初優勝を飾った。
2012年より李承燁が9年ぶりに復帰することとなり、2年連続レギュラーシーズン優勝により3年連続韓国シリーズ出場を決め3年連続で韓国シリーズで対戦したSKを破り、2連覇を達成した。同年のアジアシリーズにも韓国シリーズ優勝チームとして出場したが、台湾のLamigoモンキーズに敗れグループリーグで敗退した。
2013年は韓国プロ野球史上初となる3年連続レギュラーシーズン優勝を達成、4年連続韓国シリーズに出場し、斗山を下して球団史上初の韓国シリーズ3連覇を達成した。なお、レギュラーシーズン戦、韓国シリーズともに3年連続優勝は韓国プロ野球史上初である。だが、3年連続出場となった2013年のアジアシリーズでは準決勝でオーストラリアのキャンベラ・キャバルリーの前に敗れた。
2014年は韓国プロ野球史上初の4年連続レギュラーシーズン優勝・韓国シリーズ優勝(ネクセン・ヒーローズに勝利)を達成した。2015年は韓国プロ野球史上初の5年連続レギュラーシーズン優勝を達成したが、韓国シリーズでは斗山に敗れた。2016年は7年ぶりにポストシーズン進出に失敗して球団史上最低の9位(10チーム中)に終わり、柳仲逸から金翰秀に監督交代となった。
2017年も2年連続9位で球団史上初のシーズン勝率3割台と低迷し、同年限りで李承燁が現役を引退したため10月3日に引退試合が開催された。2018年は6位、2019年は8位でシーズン終了後に許三榮監督が就任した。2020年は2年連続8位で、球団史上最長となる5年連続ポストシーズン進出失敗となった。
2021年はレギュラーシーズン144試合を終えてもKTウィズと同率だったため行われた1試合だけの優勝決定戦で敗れ2位となり、6年ぶりにポストシーズンへ進出するもプレーオフで斗山に敗れた。2022年はチーム史上最多の13連敗で7月に許三榮監督が辞任、朴鎮萬監督代行が指揮し7位だった。朴鎮萬はシーズン終了後、正式に監督となった。2023年は8位だった。2024年はレギュラーシーズン2位で3年ぶりにポストシーズンへ進出、準プレーオフでLGに勝ち9年ぶりに韓国シリーズへ進出するも、起亜タイガースに敗れた。
KBO初年度の1982年から名称変更を行っていない。他に名称変更を行っていないチームはロッテのみである。
1982年より本拠地として使用してきた大邱市民運動場野球場が老朽化したため、2016年より大邱広域市東部の寿城区の大邱サムスン・ライオンズ・パークに本拠地を移転した。新しく建設されたこの球場において,西日がきついなどの理由で以前の本拠地と同じようにサムスンは3塁側ベンチを使用している。そのため、1塁側を使用するのは極めて少ない。
専用練習場は大邱広域市の東隣・慶山市に慶山ボールパークがあり、そこで2軍の試合も開催している。
背番号 | 名前 | 読み | 役職 |
---|---|---|---|
70 | 朴鎮萬 | パク・チンマン | 監督 |
73 | 鄭大炫 | チョン・デヒョン | 首席コーチ |
93 | 李鍾旭 | イ・ジョンウク | 作戦兼外野守備コーチ |
84 | 姜永植 | カン・ヨンシク | 投手コーチ |
77 | 裵栄燮 | ぺ・ヨンソプ | 打撃コーチ |
85 | 李晋暎 | イ・ジンヨン | 打撃コーチ |
76 | 孫周忍 | ソン・ジュイン | 守備コーチ |
97 | 姜明求 | カン・ミョング | 走塁コーチ |
98 | 蔡尚秉 | チェ・サンビョン | バッテリーコーチ |
87 | 朴熙洙 | パク・ヒス | ブルペンコーチ |
72 | 崔ムンソク | チェ・ムンソク | コンディショニングコーチ |
80 | 張グンリョン | チャン・グンリョン | コンディショニングコーチ |
83 | 尹錫勲 | ユン・ソクフン | コンディショニングコーチ |
96 | 許準煥 | ホ・ジュンファン | コンディショニングコーチ |
99 | 廉尚澈 | ヨム・サンチョル | コンディショニングコーチ |
背番号 | 名前 | 読み | 役職 |
---|---|---|---|
81 | 崔一彦 | チェ・イルオン | 監督 |
90 | 朴燦都 | パク・チャンド | 作戦兼外野守備コーチ |
89 | 朴石鎮 | パク・ソクチン | 投手コーチ |
74 | 朴漢伊 | パク・ハンイ | 打撃コーチ |
92 | 鄭炳坤 | チョン・ビョンゴン | 内野守備走塁コーチ |
78 | 李興練 | イ・フンリョン | バッテリーコーチ |
00 | 朴チャンヒョン | パク・チャンヒョン | コンディショニングコーチ |
86 | 朴ソンジェ | パク・ソンジェ | コンディショニングコーチ |
91 | 金龍海 | キム・ヨンヘ | コンディショニングコーチ |
94 | 金スヨン | キム・スヨン | コンディショニングコーチ |
背番号 | 名前 | 読み | 役職 |
---|---|---|---|
71 | 崔東賛 | チェ・ドンチャン | 総括兼守備コーチ |
95 | 金東昊 | キム・ドンホ | 投手コーチ |
88 | 金正奕 | キム・ジョンヒョク | 打撃コーチ |
82 | 金應民 | キム・ウンミン | バッテリーコーチ |
79 | 鄭珉台 | チョン・ミンテ | リハビリコーチ |
背番号 | 選手名 | 読み | 投 | 打 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 李浩成 | イ・ホソン | 右 | 右 | 55から背番号変更 |
3 | 崔原態 | チェ・ウォンテ | 右 | 右 | LGからFA移籍 |
4 | 陸墡曄 | ユク・ソンヨプ | 右 | 右 | |
11 | 崔池光 | チェ・ジグァン | 右 | 右 | 40から背番号変更 |
15 | 李相旼 | イ・サンミン | 左 | 左 | |
17 | 金大祐 | キム・デウ | 右 | 右 | |
18 | 元兌仁 | ウォン・テイン | 右 | 左 | |
19 | 梁賢 | ヤン・ヒョン | 右 | 右 | |
20 | 李承玹 | イ・スンヒョン | 右 | 右 | |
21 | 呉昇桓 | オ・スンファン | 右 | 右 | |
26 | 李在翼 | イ・ジェイク | 左 | 左 | 1から背番号変更 |
27 | 金兌勲 | キム・テフン | 右 | 右 | |
28 | 李承珉 | イ・スンミン | 左 | 左 | 35から背番号変更 |
29 | 白正鉉 | ペク・チョンヒョン | 左 | 左 | |
37 | 崔ハヌル | チェ・ハヌル | 右 | 右 | |
41 | 権ヒョンウ | クォン・ヒョンウ | 右 | 右 | 2025年新人ドラフト5巡目 |
42 | 梁彰渉 | ヤン・チャンソプ | 右 | 右 | 兵役から復帰 |
43 | デニー・レイエス | 右 | 右 | ||
44 | 金大湖 | キム・デホ | 右 | 右 | |
45 | 林昶暋 | イム・チャンミン | 右 | 右 | |
46 | 宋恩範 | ソン・ウンボム | 右 | 右 | 64から背番号変更 |
48 | 金武信 | キム・ムシン | 右 | 右 | 28から背番号変更 「金潤洙」(キム・ユンス)から改名 |
51 | 崔忠然 | チェ・チュンヨン | 右 | 右 | |
54 | 崔成勲 | チェ・ソンフン | 左 | 左 | |
55 | 裵チャンスン | ぺ・チャンスン | 左 | 左 | 2025年新人ドラフト1巡目 |
57 | 李昇玹 | イ・スンヒョン | 左 | 左 | |
59 | 李在喜 | イ・ジェヒ | 右 | 左 | 兵役から復帰 |
61 | 黄動在 | ファン・ドンジェ | 右 | 右 | |
62 | 金載潤 | キム・ジェユン | 右 | 右 | |
65 | 洪元杓 | ホン・ウォンピョ | 右 | 右 | |
75 | アリエル・フラード | 右 | 右 | キウムから移籍 | |
101 | 朴柱赫 | パク・チュヒョク | 右 | 右 | 兵役から復帰 育成選手 |
102 | 柳炳先 | ユ・ビョンサン | 右 | 右 | 育成選手 |
109 | 崔イェハン | チェ・イェハン | 右 | 右 | 新入団 育成選手 |
110 | 申京珉 | シン・ギョンミン | 右 | 右 | 育成選手 |
112 | 洪ジュンヨン | ホン・ジュンヨン | 右 | 右 | 2025年新人ドラフト7巡目 育成選手 |
113 | 朴晙湧 | パク・チュンヨン | 右 | 右 | 66から背番号変更 育成選手 |
114 | 全ギョム | チョン・ギョム | 右 | 右 | 2025年新人ドラフト8巡目 育成選手 |
115 | 陳ヒソン | チン・ヒソン | 右 | 右 | 2025年新人ドラフト11巡目 育成選手 |
119 | 金ユヒョン | キム・ユヒョン | 右 | 右 | 新入団 育成選手 |
120 | 金ベクサン | キム・ベクサン | 右 | 右 | 新入団 育成選手 |
122 | 金成炅 | キム・ソンギョン | 右 | 右 | 育成選手 |
123 | 金東現 | キム・ドンヒョン | 右 | 右 | 育成選手 |
128 | 禹スンワン | ウ・スンワン | 右 | 右 | 2025年新人ドラフト9巡目 育成選手 |
148 | 鄭珉成 | チョン・ミンソン | 右 | 右 | 67から背番号変更 育成選手 |
金シオン | キム・シオン | 左 | 左 | 軍保留選手 | |
許倫棟 | ホ・ユンドン | 左 | 左 | 軍保留選手 | |
辛潤昊 | シン・ユンホ | 右 | 右 | 軍保留選手 | |
申鄭奐 | シン・ジョンファン | 右 | 右 | 軍保留選手 | |
徐見源 | ソ・ヒョンウォン | 右 | 右 | 軍保留選手 | |
金栖雋 | キム・ソジュン | 右 | 右 | 軍保留選手 | |
洪茂源 | ホン・ムウォン | 右 | 右 | 軍保留選手 | |
朴卷侯 | パク・クォンフ | 右 | 右 | 軍保留選手 | |
洪昇洹 | ホン・スンウォン | 右 | 右 | 軍保留選手 育成選手 | |
朴施愿 | パク・シウォン | 右 | 右 | 軍保留選手 育成選手 |
背番号 | 選手名 | 読み | 投 | 打 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
2 | 金宰成 | キム・ジェソン | 右 | 左 | |
12 | 金珉秀 | キム・ミンス | 右 | 右 | |
23 | 李丙憲 | イ・ビョンホン | 右 | 右 | |
24 | 金都奐 | キム・ドファン | 右 | 右 | 42から背番号変更 |
47 | 姜珉鎬 | カン・ミンホ | 右 | 右 | |
106 | 車東領 | チャ・ドンヨン | 右 | 右 | 育成選手 |
111 | 朴眞佑 | パク・チンウ | 右 | 右 | 育成選手 |
124 | 金哉亨 | キム・ジェヒョン | 右 | 右 | 育成選手 |
背番号 | 選手名 | 読み | 投 | 打 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
0 | ルーウィン・ディアス | 左 | 左 | ||
6 | 姜ハンウル | カン・ハンウル | 右 | 左 | |
7 | 李在玹 | イ・ジェヒョン | 右 | 右 | |
9 | 孔旻奎 | コン・ミンギュ | 右 | 左 | |
14 | 安株亨 | アン・ジュヒョン | 右 | 左 | |
16 | 柳志赫 | リュ・ジヒョク | 右 | 左 | |
30 | 金栄熊 | キム・ヨンウン | 右 | 左 | |
34 | 全炳祐 | チョン・ビョンウ | 右 | 右 | |
35 | 車スンジュン | チャ・スンジュン | 右 | 左 | 2025年新人ドラフト3巡目 |
38 | 沈ジェフン | シム・ジェフン | 右 | 右 | 2025年新人ドラフト2巡目 |
50 | 李昌庸 | イ・チャンヨン | 右 | 右 | |
52 | 朴炳鎬 | パク・ビョンホ | 右 | 右 | 59から背番号変更 |
53 | 梁宇賢 | ヤン・ウヒョン | 右 | 左 | 63から背番号変更 |
56 | 李海昇 | イ・ヘスン | 右 | 右 | 兵役から復帰 |
60 | 金湖鎮 | キム・ホジン | 右 | 右 | |
68 | 梁棹筋 | ヤン・ドグン | 右 | 右 | |
103 | 呉賢錫 | オ・ヒョンソク | 右 | 左 | 育成選手 |
116 | 朴藏珉 | パク・チャンミン | 右 | 右 | 育成選手 |
118 | 李弦峻 | イ・ヒョンジュン | 右 | 右 | 育成選手 |
125 | 金サンジュン | キム・サンジュン | 右 | 左 | 新入団 育成選手 |
127 | 姜ミンソン | カン・ミンソン | 右 | 右 | 2025年新人ドラフト10巡目 育成選手 |
趙敏晟 | チョ・ミンソン | 右 | 右 | 軍保留選手 | |
姜俊瑞 | カン・ジュンソ | 右 | 右 | 軍保留選手 | |
金栽湘 | キム・ジェサン | 右 | 左 | 軍保留選手 |
背番号 | 選手名 | 読み | 投 | 打 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
5 | 具滋昱 | ク・ジャウク | 右 | 左 | |
8 | 金材奕 | キム・ジェヒョク | 右 | 右 | |
13 | 李聖圭 | イ・ソンギュ | 右 | 右 | |
25 | 金太勲 | キム・テフン | 右 | 左 | |
31 | 尹禎彬 | ユン・ジョンビン | 右 | 左 | |
32 | 金軒坤 | キム・ホンゴン | 右 | 右 | |
39 | 金盛閏 | キム・ソンユン | 左 | 左 | |
40 | 咸スホ | ハム・スホ | 左 | 左 | 2025年新人ドラフト4巡目 |
58 | 金智讃 | キム・ジチャン | 右 | 左 | |
63 | 洪現彬 | ホン・ヒョンビン | 右 | 左 | KTから移籍 |
104 | 朱ハンウル | チュ・ハンウル | 右 | 右 | 育成選手 |
107 | 朴承奎 | パク・スンギュ | 右 | 右 | 兵役から復帰 育成選手 |
108 | 金兌根 | キム・テグン | 右 | 左 | 斗山から移籍 育成選手 |
117 | 李ジンヨン | イ・ジンヨン | 右 | 左 | 2025年新人ドラフト6巡目 育成選手 |
金相旻 | キム・サンミン | 右 | 左 | 軍保留選手 | |
柳承旼 | リュ・スンミン | 左 | 左 | 軍保留選手 | |
金賢晙 | キム・ヒョンジュン | 左 | 左 | 軍保留選手 |
![]() 梁埈赫 |
![]() 李萬洙 |
![]() 李承燁 |
光州起亜チャンピオンズフィールドも3塁側を本拠地としているため、1塁側を使用するのは起亜タイガースと互いの遠征試合のみ