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首座大司教座聖堂前の広場 | |||
英名 | Colonial City of Santo Domingo | ||
仏名 | Ville coloniale de Saint-Domingue | ||
面積 | 93 ha | ||
登録区分 | 文化遺産 | ||
登録基準 | (2), (4), (6) | ||
登録年 | 1990年 | ||
公式サイト | 世界遺産センター | ||
使用方法・表示 |
ドミニカ共和国の首都サントドミンゴの植民都市は、クリストファー・コロンブス[1]らによって建造された新世界における最初の植民都市で、イスパニョーラ島南部に所在する。16世紀前半には新世界で最初の大聖堂や病院、大学などが建てられた。その歴史的価値から、ユネスコの世界遺産に登録されている。2007年現在、ドミニカ共和国唯一の世界遺産である。
サントドミンゴの植民都市(Ciudad Colonial)は、口語では植民圏(Zona Colonial)とも呼ばれる。植民都市は、サントドミンゴ市の原初の区画の一部分で、1500年代にまで遡るものである。市内を二分するオサマ川(Ozama River)の西端に位置する。今日の区画は5 km2 にも満たないが、コロンブス宮殿(Alcazar de Colón)、オサマ砦(Fortaleza Ozama)、アメリカ首座大司教座聖堂(Catedral Primada de America)など多くのランドマークがある重要な地区である。
かつての都市は、オサマ川からコンデ門(La Puerta del Conde)に伸びる防壁に囲まれていた。コンデ門は、後背地に続く唯一の門であり、19世紀後半までは都市の最も遠い境界でもあった。
スペイン人たちは、ここにアメリカでの最初の拠点を設置し、その後アメリカ大陸本土を征服していった。スペイン人が、メキシコ、キューバ、ほか南アメリカ各地を手に入れていった後は、彼らの注意は大陸本土の方に一層向けられるようになったが、それでもサントドミンゴの植民都市は重要な歴史的都市であり続けたのである[2]。
丸石で舗装されたカジェ・デ・ラス・ダマス(Calle de las Damas)は、1502年に遡る最古の街路である。この歩行者専用路に、多くのランドマークが並んでいる。
植民都市内には、二つの重要な商業地がある。カジェ・デル・コンデ(Calle del Conde)とアベニダ・ドゥアルテ(Avenida Duarte)である。どちらにも多くの店舗やカフェが立ち並ぶ。アベニダ・ドゥアルテは地元のショッピング・センターといったところだが、より観光客受けするようにとの再開発計画の波にさらされている。
ラス・アタラサナス(Las Atarazanas)に隣接するプラサ・デ・ラ・イスパニダ(Plaza de la Hispanidad, 「スペイン系文化」広場)は、改修され拡張した広場で、小商店やレストランが集まっている。この地域は、アメリカ州で最初に出来た商業的中心地の一つであり、いまなお商業活動のハブとして機能している。
コロンブス宮殿(Alcazar de Colón)は、その名の通り、かつてはクリストファー・コロンブスの一族が居城として用いた建物で、元々は1510年に建てられた。現在は博物館として整備され、当時の調度品などが展示されている。
サンタ・マリア・ラ・メノル大聖堂(アメリカ首座大司教座聖堂)は、1540年に建造され、コロンブスの遺体を安置していることで知られている。セビリア(スペイン)のセビリア大聖堂をモデルにしており、総サンゴ石造りの大聖堂である。
植民都市のランドマークや文化的遺構の多くは、スペインによる植民地時代に建造されたものであり、中には抜本的な改修や手入れが必要なものもある。
この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。