サンドウィッチ伯爵 Earl of Sandwich | |
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Quarterly, first and fourth, Argent, three lozenges conjoined in fess Gules, within a border Sable; for Montagu. Second and third, Or, an eagle displayed Vert, beaked and membered Gules; for Monthermer. | |
創設時期 | 1660年7月12日 |
創設者 | チャールズ2世 |
貴族 | イングランド貴族 |
初代 | エドワード・モンタギュー |
現所有者 | ジョン・モンタギュー(11代伯) |
相続人 | ルーク・モンタギュー(ヒンチンブルック子爵) |
相続資格 | 初代伯の直系の嫡出の男系男子 |
付随称号 | ヒンチンブルック子爵 モンタギュー男爵 |
邸宅 | マッパートン・ハウス |
旧邸宅 | ヒンチンブルック・ハウス |
モットー | 何度遭難しても港にたどり着く (Post tot naufragia portum[1]) |
サンドウィッチ伯爵(サンドウィッチはくしゃく、英語: Earl of Sandwich)は、イングランド貴族の伯爵位の一つである。爵位名はケント州サンドウィッチに由来する。
モンタギュー家の分流で軍人のサー・エドワード・モンタギューが1660年に授爵されたのに始まり、以来2019年現在まで彼の男系男子によって世襲されている。2019年現在の当主は第11代伯爵ジョン・モンタギューである。第4代伯爵ジョン・モンタギューが料理のサンドイッチの語源になったという逸話で著名な貴族である。
初代伯エドワード・モンタギュー (1625年-1672年) は、ボウトンの初代モンタギュー男爵エドワード・モンタギュー(モンタギュー公爵家の祖)や初代マンチェスター伯爵ヘンリー・モンタギュー(マンチェスター公爵家の祖)らの末弟にあたるサー・シドニー・モンタギューの息子であり、したがってモンタギュー家の分流にあたる[2][3]。
当初彼は陸軍の歩兵士官であったが、清教徒革命の際に円頂党(議会派)に属したことから第一次英蘭戦争では海軍の新設称号であるジェネラル・アット・シー (General at Sea) [注釈 1] としてイングランド共和国艦隊を指揮した。王政復古の際は地方に隠遁していたが、先任のジェネラル・アット・シーであったスコットランド駐留軍司令官のジョージ・マンクに従って王党派に転じ、艦隊を率いてチャールズ2世を出迎えた。その功により[4]、1660年7月12日にイングランド貴族爵位「サンドウィッチ伯爵 (Earl of Sandwich) 」、「ヒンチンブルック子爵 (Viscount Hinchingbrooke) 」、「ハンティンドン州におけるセント・ニーアッツのモンタギュー男爵 (Baron Montagu, of St Neots in the County of Huntingdon) 」に叙せられた[2][3]。その後、第二次英蘭戦争でも艦隊を率いたが、公費乱用の疑惑から議会の圧力で転任させられた。第三次英蘭戦争では再び艦隊の指揮を執ったが、ソールベイの海戦に於いて戦死した[4]。
初代伯の息子である2代伯エドワード(1644年-1689年) は、ドーバー選出の庶民院議員、在ポルトガルイギリス大使、ハンティンドンシャーやケンブリッジシャーの統監を務めた[2][5]。彼が没すると息子のエドワード (1670年-1729年) が3代伯となった。
3代伯は息子よりも長生きしたため、3代伯の死後は孫にあたるジョン (1718年-1792年) が4代伯となった。4代伯は著名な政治家で、海軍卿 (First Lord of the Admiralty) や北部担当国務大臣を務めた[2][6]。彼はジェームズ・クックの探検航海を支援したことでも知られ、ハワイ諸島の旧名「サンドウィッチ諸島」や南大西洋のサウスサンドウィッチ諸島は彼を記念して名付けられたものである。また賭博を中断することなく食べられる食事としてサンドイッチを考案した人物とされている[4]。
4代伯の息子である5代伯ジョン (1744年-1814年) は、ブラックレイやハンティンドンシャー選出の庶民院議員、王室副侍従長 (Vice-Chamberlain of the Household)、バックハウンド管理長官 ((Master of the Buckhounds) を務めた[2][7]。
その息子である6代伯ジョージ (1773年-1818年) は、トーリー党所属のハンティンドンシャー選出庶民院議員を務めた[2][8]。
その息子である7代伯ジョン (1811年-1884年) は、ハンティンドンシャー選出庶民院議員のほか、保守党の第14代ダービー伯爵エドワード・スミス=スタンリーの第1次内閣で儀仗衛士隊隊長として、第2次内閣でバックハウンド管理長官を務め、加えてハンティンドンシャー統監でもあった[2][9]。
その息子である8代伯エドワード (1839年-1916年) は、ハンティンドン選出の保守党所属庶民院議員やハンティンドンシャー統監を務めた。彼は生涯未婚で子がなかったため、甥のジョージ (1874年-1962年) が9代伯となった。9代伯も先祖と同様ハンティンドン選出庶民院議員やハンティンドンシャー統監を務めた[2][10]。
9代伯の長男ヴィクター (1906年-1995年) は、襲爵前の1941年から1962年まで南ドーセット選出の保守党庶民院議員を務めていた。父が死去すると、襲爵して貴族院議員に転じた。彼は1964年7月24日に爵位を一代放棄したが、庶民院に戻ることはなかった[2][11]。
現在伯位を保持しているのは10代伯の長男で11代伯爵のジョン・エドワード・ホリスター・モンタギュー (1943年-) である。1995年から襲爵している[2][12]。彼は1999年の貴族院法成立後も議席を保つ90人の世襲貴族院議員の一人で、会派は中立派(クロスベンチャー)に属する。「アール・オブ・サンドウィッチ」というサンドイッチ店の1号店を2004年3月19日にウォルト・ディズニー・ワールド・リゾートのディズニー・スプリングスに開業している。その後、プラネット・ハリウッドの創業者であるロバート・アールが出資し、アメリカにチェーン店を展開する他、ロンドンやディズニーランド・パリにも出店している。
サンドウィッチ伯爵家の邸宅はドーセット州のマッパートン・ハウスである。また17世紀から1960年代まではハンティンドンシャーのヒンチンブルック・ハウスも所有していた。従属称号のヒンチンブルック子爵はこれに由来する。伯爵家のいくつかの歴史的文書とヒンチンブルックの財産は、ハンティンドンの公文書館である Cambridgeshire Archives and Local Studies が所持している。
現当主ジョン・モンタギューは以下の爵位を保有している[2][12]。
法定推定相続人ルーク・モンタギューは父の持つ爵位のうちヒンチンブルック子爵を儀礼称号として使用している。
肖像 | 称号の代数 名前 (生没年) |
受爵期間 | 続柄 | 役職 |
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初代サンドウィッチ伯爵 エドワード・モンタギュー (Edward Montagu) (1625年-1672年) |
1660年7月12日 -1672年5月28日 |
青色艦隊海軍大将 駐スペイン大使(1660年) 貴族院議員(1660年-1672年) | ||
第2代サンドウィッチ伯爵 エドワード・モンタギュー (Edward Montagu) (1648年-1688年) |
1672年5月28日 -1688年11月29日 |
先代の息子 | 庶民院議員(1670年-1672年) 貴族院議員(1672年-1688年) | |
第3代サンドウィッチ伯爵 エドワード・モンタギュー (Edward Montagu) (1670年-1729年) |
1688年11月29日 -1729年10月20日 |
先代の息子 | 貴族院議員(1691年-1729年) | |
第4代サンドウィッチ伯爵 ジョン・モンタギュー (John Montagu) (1718年-1792年) |
1729年10月20日 -1792年4月30日 |
先代の孫 | 海軍大臣(1748年-1751年,1763年,1771年-1782年) 北部担当国務大臣(1763年-1765年,1770年-1771年) 貴族院議員(1739年-1792年) | |
第5代サンドウィッチ伯爵 ジョン・モンタギュー (John Montagu) (1744年-1814年) |
1792年4月30日 -1814年6月6日 |
先代の息子 | バックハウンド長官(1783年-1806年) 次席郵政長官(1807年-1814年) 庶民院議員(1765年-1792年) 貴族院議員(1792年-1814年) | |
第6代サンドウィッチ伯爵 ジョージ・ジョン・モンタギュー (George John Montagu) (1773年-1818年) |
1814年6月6日 -1818年5月21日 |
先代の息子 | 庶民院議員(1794年-1814年) 貴族院議員(1814年-1818年) | |
第7代サンドウィッチ伯爵 ジョン・ウィリアム・モンタギュー (John William Montagu) (1811年-1884年) |
1818年5月21日 -1884年3月3日 |
先代の息子 | 儀仗衛士隊隊長(1852年) バックハウンド長官(1858年-1859年) 貴族院議員 | |
第8代サンドウィッチ伯爵 エドワード・ジョージ・ヘンリー・モンタギュー (Edward George Henry Montagu) (1839年-1916年) |
1884年3月3日 -1916年6月26日 |
先代の息子 | 庶民院議員(1876年-1884年) 貴族院議員(1884年-1916年) | |
第9代サンドウィッチ伯爵 ジョージ・チャールズ・モンタギュー (George Charles Montagu) (1874年-1962年) |
1916年6月26日 -1962年6月15日 |
先代の甥 | 庶民院議員(1900年-1906年) 貴族院議員(1916年-1962年) | |
第10代サンドウィッチ伯爵 アレグザンダー・ヴィクター・エドワード・ポーレット・モンタギュー (Alexander Victor Edward Paulet Montagu) (1906年-1995年) |
1962年6月15日 -1964年7月24日 (爵位一代放棄) |
先代の息子 | 庶民院議員(1941年-1962年) 貴族院議員(1962年-1964年) | |
第11代サンドウィッチ伯爵 ジョン・エドワード・ホリスター・モンタギュー (John Edward Hollister Montagu) (1943年-) |
1995年2月25日 -受爵中 |
先代の息子 | 貴族院議員(1995年-) |
エドワード・モンタギュー (1485頃–1557) | |||||||||||||||||||||||
エドワード・モンタギュー (1530頃–1602) | |||||||||||||||||||||||
モンタギュー公爵家へ | マンチェスター公爵家へ | ||||||||||||||||||||||
シドニー・モンタギュー (生年不詳–1644年) | |||||||||||||||||||||||
1660年サンドウィッチ伯 | |||||||||||||||||||||||
初代サンドウィッチ伯 エドワード・モンタギュー (1625年-1672年) | |||||||||||||||||||||||
2代サンドウィッチ伯 エドワード・モンタギュー (1644年-1689年) | |||||||||||||||||||||||
3代サンドウィッチ伯 エドワード・モンタギュー (1670年-1729年) | |||||||||||||||||||||||
ヒンチンブルック子爵(儀礼称号) エドワード・モンタギュー (1692年-1722年) | |||||||||||||||||||||||
4代サンドウィッチ伯 ジョン・モンタギュー (1718年-1792年) | |||||||||||||||||||||||
5代サンドウィッチ伯 ジョン・モンタギュー (1744年-1814年) | |||||||||||||||||||||||
6代サンドウィッチ伯 ジョージ・モンタギュー (1773年-1818年) | |||||||||||||||||||||||
7代サンドウィッチ伯 ジョン・モンタギュー (1811年-1884年) | |||||||||||||||||||||||
8代サンドウィッチ伯 エドワード・モンタギュー (1839年-1916年) | ヴィクター・モンタギュー (1841年-1915年) | ||||||||||||||||||||||
9代サンドウィッチ伯 ジョージ・モンタギュー (1874年-1962年) | |||||||||||||||||||||||
10代サンドウィッチ伯 ヴィクター・モンタギュー (1906年-1995年) | |||||||||||||||||||||||
11代サンドウィッチ伯 ジョン・モンタギュー (1943年-) | |||||||||||||||||||||||
ヒンチンブルック子爵(儀礼称号) ルーク・モンタギュー (1969年-) | |||||||||||||||||||||||
ウィリアム・モンタギュー (2004年-) | |||||||||||||||||||||||