カテゴリー | F1 | ||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
コンストラクター | サーティース | ||||||||
デザイナー |
ジョン・サーティース ピーター・コンニュー | ||||||||
先代 | サーティース・TS7 | ||||||||
後継 | サーティース・TS14 | ||||||||
主要諸元 | |||||||||
シャシー | アルミニウム製モノコック | ||||||||
エンジン | フォード-コスワースDFV 2993cc V8 自然吸気 ミッドエンジン, 縦置き | ||||||||
トランスミッション | ヒューランド FG400 5速 マニュアル | ||||||||
燃料 |
BP ダッカムス FINA シェル | ||||||||
タイヤ |
ファイアストン グッドイヤー | ||||||||
主要成績 | |||||||||
チーム | チーム・サーティース | ||||||||
ドライバー |
ジョン・サーティース デレック・ベル ブライアン・レッドマン ロルフ・シュトメレン | ||||||||
初戦 | 1971年南アフリカグランプリ | ||||||||
|
サーティース・TS9 (Surtees TS9) は、サーティースが1971年および1972年、1973年のF1世界選手権に投入したフォーミュラ1カー。ジョン・サーティースとピーター・コンニューによって設計された[1][2][3][4]。
TS9は1971年南アフリカグランプリでデビューした。チームオーナーでもあるジョン・サーティース用に1台が準備されたが、ギアボックストラブルのためリタイアに終わっている[5]。第2戦スペイングランプリでは2台目のシャシーがロルフ・シュトメレンにも提供されたが、シュトメレンは燃料圧トラブルでリタイアした。サーティースは11位となった[6]。第3戦のモナコではシュトメレンが6位、サーティースが7位となっている[7]。オランダグランプリではサーティースが5位に入ったものの、シュトメレンはスピンの後マーシャルの手を借りて押しがけしたことで失格となっている[8]。フランスグランプリではサーティースが8位、シュトメレンは11位となった[9]。第6戦イギリスグランプリでは2人に加えてデレック・ベルが起用され、ベルはリタイアしたがシュトメレンが5位、サーティースが6位となった[10]。ドイツグランプリではサーティースが7位、シュトメレンが10位となった[11]。オーストリアではサーティースがリタイアし、シュトメレンは7位となった[12]。第9戦イタリアグランプリではマイク・ヘイルウッドがサードドライバーとして起用され、4位となった。シュトメレンはスタート直後のアクシデントでリタイア、サーティースもエンジントラブルでリタイアした[13]。カナダグランプリではサーティースが11位、シュトメレンはオーバーヒートでリタイアしている[14]。最終戦ではシュトメレンに代えてサム・ポージーが起用され、ヘイルウッドも再び起用された。ヘイルウッドは15位、サーティースは17位、ポージーはピストントラブルでリタイアした[15]。
1972年に入るとチームはTS9をTS9Bにアップデートしたが、ドライバーのラインナップは変更された。ジョン・サーティースはチームの運営に専念するためドライバーを辞め、オーストラリア人ドライバーのティム・シェンケンとイタリア人ドライバーのアンドレア・デ・アダミッチを起用した。開幕戦のアルゼンチングランプリではシェンケンが5位、アダミッチは燃料システムのトラブルでリタイアしている[16]。第2戦南アフリカグランプリからはマイク・ヘイルウッドも加わった。アダミッチは周回数が10周足らず非完走扱いとなり、ヘイルウッドはサスペンションを破損しリタイア、シェンケンもエンジントラブルでリタイアした[17]。スペイングランプリではアダミッチが4位、シェンケンが8位、ヘイルウッドは電気系トラブルでリタイアした[18]。モナコではアダミッチが7位となったものの、ヘイルウッドとシェンケンは雨の中の事故でリタイアした[19]。ベルギーグランプリではヘイルウッドが4位に入ったが、シェンケンはオーバーヒート、アダミッチもエンジントラブルでリタイアした[20]。フランスグランプリではヘイルウッドが6位、アダミッチが14位、シェンケンが17位となった[21]。イギリスグランプリでは3人揃ってリタイアとなった。シェンケンはサスペンション破損、ヘイルウッドはギアボックストラブル、アダミッチはアクシデントであった[22]。ドイツグランプリではアダミッチが13位、シェンケンは14位、ヘイルウッドはサスペンショントラブルでリタイアした[23]。オーストリアグランプリではヘイルウッドが4位、シェンケンが11位、アダミッチが14位となり[24]、イタリアグランプリではヘイルウッドが2位に入り、アダミッチはブレーキトラブル、シェンケンはスピンオフでリタイアとなった[25]。カナダグランプリではサーティースがヘイルウッドに代わってTS14で出走、TS9をドライブしたシェンケンとアダミッチはシェンケンが7位、アダミッチはギアボックストラブルでリタイアした[26]。最終戦アメリカグランプリではシェンケンがTS14をドライブ、復帰したヘイルウッドはアクシデントの後17位となり、アダミッチはアクシデントでリタイアした[27]。
TS9Bは1973年、ブラジルと南アフリカの2戦で出走した。ブラジルではブラジル人ドライバーのルイス・ブエノがドライブし12位となった[28]。南アフリカではアダミッチがドライブし、TS9B最後のレースで8位となった[29]
チーム・ガンストンはTS9を購入し、ジョン・ラヴを南アフリカグランプリに出走させた。ラヴはアクシデントでパンクしたものの16位に入
チャンプカー・インクはTS9Bを購入し、サム・ポージーをアメリカグランプリに出走させた。ポージーは12位で完走した。
年 | チーム | エンジン | タイヤ | ドライバー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | ポイント | 順位 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1971年 | ブルック・ボンド オクソ チーム・サーティース | フォード コスワースDFV 3.0 V8 |
F | RSA |
ESP |
MON |
NED |
FRA |
GBR |
GER |
AUT |
ITA |
CAN |
USA |
8 | 8位 | |||||
ジョン・サーティース | Ret | 11 | 7 | 5 | 8 | 6 | 7 | Ret | Ret | 11 | 17 | ||||||||||
アウト・モトール・ウント・シュポルト チーム・サーティース | ロルフ・シュトメレン | Ret | 6 | DSQ | 11 | 5 | 10 | 7 | DNS | Ret | |||||||||||
チーム・サーティース | デレック・ベル | Ret | |||||||||||||||||||
マイク・ヘイルウッド | 4 | 15 | |||||||||||||||||||
ジィズ・ヴァン・レネップ | DNS | ||||||||||||||||||||
サム・ポージー | Ret | ||||||||||||||||||||
1972年 | ブルック・ボンド オクソ チーム・サーティース | フォード コスワースDFV 3.0 V8 |
F | ARG |
RSA |
ESP |
MON |
BEL |
FRA |
GBR |
GER |
AUT |
ITA |
CAN |
USA |
18 | 5位 | ||||
マイク・ヘイルウッド | Ret | Ret | Ret | 4 | 6 | Ret | Ret | 4 | 2 | 17 | |||||||||||
ティム・シェンケン | 5 | Ret | 8 | ||||||||||||||||||
チーム・サーティース | Ret | Ret | 14 | 11 | Ret | 7 | |||||||||||||||
Flame Out Team Surtees | 17 | Ret | |||||||||||||||||||
Ceramica Pagnossin Team Surtees | アンドレア・デ・アダミッチ | Ret | NC | 4 | 7 | Ret | 14 | Ret | 13 | 14 | Ret | Ret | Ret | ||||||||
チャンプカー・インク | G | サム・ポージー | 12 | ||||||||||||||||||
チーム・ガンストン | ジョン・ラヴ | 16 | |||||||||||||||||||
1973年 | チーム・サーティース | フォード コスワースDFV 3.0 V8 |
F | ARG |
BRA |
RSA |
ESP |
BEL |
MON |
SWE |
FRA |
GBR |
NED |
GER |
AUT |
ITA |
CAN |
USA |
7 | 7位 | |
ルイス・ブエノ | 12 | ||||||||||||||||||||
Ceramica Pagnossin Team Surtees | アンドレア・デ・アダミッチ | 8 |
(key) (太字はポールポジション) (斜体はファステストラップ)
年 | チーム | エンジン | タイヤ | ドライバー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1971年 | ブルック・ボンド オクソ チーム・サーティース | フォード コスワースDFV 3.0 V8 | F | ARG | ROC | QUE | SPR | INT | RIN | OUL | VIC | |
ジョン・サーティース | 3 | Ret | 12 | 3 | 1 | 6 | ||||||
アウト・モトール・ウント・シュポルト チーム・サーティース | ロルフ・シュトメレン | 7 | ||||||||||
チーム・サーティース | マイク・ヘイルウッド | Ret | ||||||||||
1972年 | ブルック・ボンド オクソ チーム・サーティース | フォード コスワースDFV 3.0 V8 | F | ROC | BRA | INT | OUL | REP | VIC | |||
マイク・ヘイルウッド | 2 | Ret | 9 | |||||||||
ティム・シェンケン | 5 | |||||||||||
チーム・サーティース | 3 | |||||||||||
アンドレア・デ・アダミッチ | DNA | 2 | 3 | |||||||||
レイネ・ウィセル | DNA | |||||||||||
ジョン・サーティース | 3 | |||||||||||
カルロス・パーチェ | 2 | |||||||||||
1973年 | ヘスケス・レーシング | フォード コスワースDFV 3.0 V8 | F | ROC | INT | |||||||
ジェームス・ハント | 3 |