ザ・クラウン The Crown | |
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別名 |
クラウン・オブ・ソーンズ (Crown Of Thorns) (1990 - 1998) ドーベルマン (Dobermann) (2008 - 2009) |
出身地 |
![]() エルヴスボリ県 トロルヘッタン |
ジャンル |
デスメタル[1] スラッシュメタル[1] デスラッシュ メロディックデスメタル[1] |
活動期間 |
1990年 - 2004年 2008年 - |
レーベル |
ブラック・サン・レコード メタル・ブレイド・レコーズ センチュリー・メディア・レコード ビクターエンタテインメント アヴァロン・レーベル |
公式サイト | Official MySpace |
メンバー | |
旧メンバー |
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ザ・クラウン(THE CROWN)はスウェーデンのデスメタル(デスラッシュ・メロディックデスメタル)バンド。3rdアルバムをリリースする1999年までは、クラウン・オブ・ソーンズ(CROWN OF THORNS)というバンド名であった。
元々、「クラウン・オブ・ソーンズ」のバンド名で活動しキャリアを積んでいたが、2ndアルバム『Eternal Death』をリリースした後、アメリカ合衆国の「クラウン・オブ・ソーンズ」という同名バンドから、改名しないなら告訴する用意がある旨をメールやFAXで通告されるようになった[2][3]。ギタリストのテルヴォーネンによれば、1stアルバム『The Burning』をリリースした頃には既にこのバンドの存在を知っていたものの、自身らがデスメタルを演奏しているのに対して、アメリカ合衆国のバンドはAORを演奏しており、混同されることは考えづらく、問題ないと考えていた[2][3]。この通告を初めのうちは黙殺していたが、あるとき、キッスのジーン・シモンズとポール・スタンレーの署名入りで、同様のFAXが送られてきたという[2][3]。結局、アメリカ合衆国が訴訟社会であることに加え、そもそもの民事訴訟への徒労を鑑みて、改名するに至ったという[2][3]。改名に際しては、混乱が起きないようクラウンの部分を残した上で、冠詞のザを付けるだけとし、ロゴのフォントも変えなかった[2][3]。また改名にあたってクラウン・オブ・ソーンズ名義でリリースした2枚のアルバムもザ・クラウン名義に変更して再リリースされた。
1990年、同じ学校に通っていた、ヤンネ・サーレンパー (Ds)とマグナス・ウルスフェルト (B)を中心にクラウン・オブ・ソーンズ(CROWN OF THORNS)結成。マルコ・テルヴォーネン (Rhythm G)が加入、バンド活動を本格化。1992年、地元のコンピレーションアルバムに参加。1993年、デモテープ『Forever Heaven Gone』を制作。同年開催のロックフェスティバル「Hultsfred festival」に出演。1994年に、ローベルト・エステルベリ (G)が脱退し、マーカス・スーネソン (Lead G)が加入する。2本目のデモテープ『Forget The Light』制作。スウェーデンのレーベル、ブラック・サン・レコードとのアルバム契約を獲得。
1995年、1stアルバム『The Burning』リリース。また、「オブ・グッド・アンド・イーブル」のPVを作成。スレイヤーのトリビュートアルバム『Slatanic Slaughter』に参加(「Mandatory Suicide」をカバー)。1996年、セパルトゥラのトリビュートアルバム『Sepultural Feast』に参加(「Arise」をカバー)。1997年2月、2ndアルバム『Eternal Death』リリース。
1998年、アメリカの名門レーベル・メタル・ブレイド・レコーズと契約。1999年、3rdアルバム『Hell is Here』リリース。この時、バンド名をクラウン・オブ・ソーンズから現在のザ・クラウン(THE CROWN)に改める。同年4月、デス・メタルバンド、モービッド・エンジェルなどと共にノー・マーシー・ツアー第3弾に参加。同年8月、ドイツで毎年開催されるメタルフェスティバル、ヴァッケン・オープン・エアに参加。同年11月、イェーテボリのスタジオ・フレッドマンにて、フレドリック・ノルドストロームをプロデューサーに迎えて新作のレコーディングを開始。2000年6月21日、4thアルバム『Deathrace King』リリース(欧州では3月、米では5月にリリースされた、また今作が日本デビュー作品である)。前作『Hell is Here』の日本盤も合わせてビクター・エンタテインメントからリリースされた。その後、ボーカリストのヨハン・リンドストランドが脱退し、元アット・ザ・ゲイツのトーマス・リンドバーグが加入。
2002年4月9日、5thアルバム『Crowned In Terror』リリース。リリース後、トーマスはバンドを離れ、ヨハン・リンドストランドが復帰する。2003年10月23日、6thアルバム『Possessed 13』リリース。2004年8月24日、『Crowned In Terror』と同じ内容をボーカルをヨハンに入れ替えてリレコーディングした『Crowned Unholy』をリリース。同年、バンドは解散する。
その後、メンバーはそれぞれ別のバンドで音楽活動を継続する。ヨハン・リンドストランドは、デスラッシュバンドOne Man Army and the Undead Quartetを結成し活動している。マーカス・スーネソンは、メロディックデスメタルバンド、エンゲルを結成し活動している。また、マルコ・テルヴォーネンとヤンネ・サーレンパーは、ゴシックメタルバンド・エンジェル・ブレイクを結成し活動している。
2008年になって、ヨハン・リンドストランドを除くメンバーで、ドーベルマン(Dobermann)というバンド名で事実上ザ・クラウンが再結成される。ボーカリストには、アンドレアス・ベリが加入する。しかし1年程で、アンドレアス・ベリは脱退し、代わりにヨナス・ストールハマールが加入した。2009年12月にバンド名を、ドーベルマンからザ・クラウンに改め完全復活する。センチュリー・メディア・レコードと契約し、2010年9月に、復活作となる7thアルバム『Doomsday King』をリリース。日本では、アヴァロン・レーベルから10月のリリースとなった。2011年9月、オリジナル・ヴォーカリストのヨハン・リンドストランドがバンドに復帰したことが発表され、同時にヨナス・ストールハマールはバンドを離れることとなった。バンドは次のアルバムの曲作りを開始しており、2013年初頭にはスタジオ入りしている。このスタジオ入り前に、リードギタリストのマーカス・スーネソンが脱退し、インピオスでも活動するロビン・ソークヴィストが加入した[4]。マーカス脱退の理由は、並行して活動していたエンゲルに専念するためであった[5]。
2013年6月、The Spring Is Goneツアーで初来日[6]、仙台・名古屋・大阪・福岡・静岡・東京の順に計6ヵ所にて公演を行った。2014年、ドラマーのヤンネ・サーレンパーの脱退が発表された[7]。ヘンリク・アクセルソンがセッション参加するようになり、2015年5月末に正式加入した[8]。2015年1月12日、8thアルバム『Death Is Not Dead』をリリース[注釈 1]。なお、本作ではドラムスはマルコが兼任し、ヘンリクは1曲のみ担当した。4月には、EXTREME DEATH FEAST 2015(大阪・東京)にて1年10ヵ月ぶり2度目の来日公演を行った。2017年11月にメタル・ブレイド・レコーズと契約を結んだことを発表した[9]。メタル・ブレイド・レコーズに所属するのは2004年以来13年ぶりのことになる。2018年3月、9thアルバム『Cobra Speed Venom』をリリース。2021年3月、10thアルバム『Royal Destroyer』をリリース。
2022年1月下旬、前身のクラウン・オヴ・ソーンズの結成時からベーシストを務めていたウルスフェルトの脱退が、発表された[10]。同年8月になって、ウルスフェルトの後任としてマティアス・ラスムセン (B)が加入したことが発表された[11]。更に同年12月末には、ドラマーのアクセルソンが脱退し、インピオスでソークヴィストと同僚だったミカエル・ノレーン (Ds)が加入した事が発表された[12]。
2024年8月、元リードギタリストのマーカス・スーネソンが復帰することが発表された[13]。