シェイキー・ジェイク・ハリス | |
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出生名 | James D. Harris |
生誕 | 1921年4月12日 |
出身地 | アメリカ合衆国アーカンソー州アール |
死没 | 1990年3月2日(68歳没) |
ジャンル | シカゴ・ブルース[1] |
職業 | 歌手、ハーモニカ奏者、ソングライター |
担当楽器 | 歌、ハーモニカ |
活動期間 | 1940年代末 - 1980年代末 |
レーベル | Artistic、Bluesville、World Pacific |
共同作業者 | マジック・サム |
シェイキー・ジェイク・ハリス(Shakey Jake Harris、1921年4月12日 - 1990年3月2日[2])は、アメリカ合衆国のシカゴ・ブルースの歌手、ハーモニカ奏者、ソングライター。ハリスは25年間に5枚のアルバムを出し、甥のマジック・サムと共演することが多かった[1]。
ジェイムズ・D・ハリス (James D. Harris) は、アーカンソー州アール (Earle) に生まれたが、7歳のときに一家はイリノイ州シカゴへ転居した。1940年代後半、ハリスは、シカゴ・ブルースのいくつかのアンサンブルで演奏するようになっていた[3]。ハリスは修理工 (mechanic) として働きながら、職業的な賭博師でもあり、そこから「シェイク・エム (Shake 'em)」という渾名がついた[4]。ハリスのレコード・デビューは、1958年と遅かった。シングル「Call Me If You Need Me / Roll Your Moneymaker」は、マジック・サムとシル・ジョンスンをギターに据え、ウィリー・ディクスンのプロデュースで、アーティスティック・レコード (Artistic Records) からリリースされた[1][3]。ハリスは、このセッションに対して報酬を受けなかったが、クラップス(サイコロ賭博の一種)でレーベルのオーナーだったエリ・トスカノ (Eli Toscano) から700ドルをせしめたという[5]。
1960年、ブルースヴィル・レコード (Bluesville Records) は、ハリスをジャズ・ミュージシャンのジャック・マクダフやビル・ジェニングス (Bill Jennings) と組ませ、アルバム『Good Times』を制作した。後に録音されたアルバム『Mouth Harp Blues』では、より伝統的なブルースの基本的な姿に立ち返った[1]。1962年には、アメリカン・フォーク・ブルース・フェスティバル (American Folk Blues Festival) に参加して、ツアーをした[4]。
1960年代を通してハリスとサムはシカゴ一帯でコンサートなどで共演するのが常で、ハリスは若いミュージシャンたちをよく応援していたが、ルーサー・アリソン (Luther Allison) もレコード・デビューの際にハリスの世話になっている。1960年代末に、ハリスはアリソンとともにロサンゼルスでアルバム『Further on Up the Road』のレコーディングを行なった[3]。ハリスは、ウィリアム・クラーク (William Clarke) など、他のハーモニカ奏者と共演することもあった[6]。
その後、ハリスはワールド・パシフィック・レコードでレコーディングを行なった。ハリスは、自身もナイトクラブとレコードレーベルを所有していたが、健康を害し、結局はアーカンソー州に戻り、1990年3月にフォレスト・シティ (Forrest City) において、68歳で没した[1][3]。