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名前 | ||||||
ラテン文字 | Cheikh M'Bengue | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
セネガル フランス | |||||
生年月日 | 1988年7月23日(36歳) | |||||
出身地 | トゥールーズ | |||||
身長 | 182cm | |||||
体重 | 72kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | 無所属 | |||||
ポジション | DF (LSB) | |||||
利き足 | 左足 | |||||
ユース | ||||||
1994-1996 1996-2007 |
FAロック トゥールーズFC | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2007-2013 | トゥールーズFC | 140 | (2) | |||
2013-2016 | スタッド・レンヌ | 80 | (0) | |||
2016-2019 | ASサンテティエンヌ | 22 | (0) | |||
2019 | 深圳市足球倶楽部 | 15 | (0) | |||
代表歴2 | ||||||
2008-2011 | フランス U-21 | 12 | (0) | |||
2011-2017 | セネガル | 31 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2020年2月10日現在。 2. 2019年12月2日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
シェイフ・ムベング(Cheikh M'Bengue,1988年7月23日 - )は、フランス・オート=ガロンヌ県トゥルーズ出身のサッカー選手。ポジションはディフェンダー。元セネガル代表。
ムベングは、7歳の時に地元のトゥールーズFCに入団した。各カテゴリーを順調に昇格していき、2006-07シーズンにユースを卒業し、4部を戦うBチームに登録された。翌2007-08シーズンにトップチームに呼ばれ、2007年9月15日のオリンピック・マルセイユ戦で途中出場でデビューを果たし、チームは2-1で勝利した。それから2週間後のFCソショー戦で再び途中出場し、次のASサンテティエンヌ戦で初先発を果たすも0-2で敗れた。
2007-08シーズン、Bチームの試合に出場した際に論争を巻き起こした。ASモナコBとの試合中にムベングは相手選手に危険なファールを行った。この行為に対しすぐさまイエローカードを提示されたが、相手選手が重傷だと判明したためレッドカードに変わり1発退場となった。この事態を重く見たFFFは13試合の出場停止処分を言い渡し、2008年3月までプレー出来ないことが決定した[1]。
リーグ戦は出場停止だったものの、UEFA主催の大会に出場することは許されていたためUEFAカップ 2007-08に参加していた。数回のベンチ入りを経て、ロシアのFCスパルタク・モスクワ戦で初先発を果たし、2-1で勝利した[2]。同シーズン冬にクラブと3年契約で初プロ契約を結んだ[3]。2008-09シーズンに正式にトップチームへ昇格。左SBの役割を与えられ、それまで務めていたジェレミー・マテューは左SHにポジションを移した。
チームの中にあってムベングも好調なプレーをみせていたが、2009年3月14日に再び論争を起こすこととなった。偶然にも、今度はASモナコのトップチームとの試合中にアルゼンチン人MFのアレハンドロ・アロンソに対し激しいファールを仕掛けた。このタックルに対しイエローカードが与えられ、アロンソはそのままシーズンアウトした。この件に関し、FFFはシーズン終了する6月1日まで出場停止を課した[4]。
2008年11月19日、1-0で勝利したU-21ノルウェー戦でU-21フランス代表デビューを果たし、2009年のトゥーロン国際大会では決勝進出するも、怪我で決勝戦は欠場した。
2011年5月9日、ルーツであるセネガルのためにプレーすることを表明[6][7]。その後、FIFAから代表変更の許可が降り[8]、6月4日のアフリカネイションズカップ2012予選カメルーン戦でアマラ・トラオレ監督率いるセネガル代表として初出場した[9]。