Sherri Turner | |
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基本情報 | |
名前 | シェリー・ターナー |
生年月日 |
1956年10月4日(68歳) アメリカ合衆国サウスカロライナ州グリーンビル |
身長 | 165センチメートル (5.41 ft) |
経歴 | |
大学 | ファーマン大学 |
プロ転向 | 1979年 |
現在のツアー | レジェンズツアー |
以前のツアー | LPGAツアー(1984-2008年) |
プロ勝利数 | 6勝 |
優勝数 | |
LPGAツアー | 3勝 |
他ツアー | 3勝 |
LPGAメジャー選手権最高成績 (優勝: 1勝) | |
ANA | 3位タイ: 1995年 |
全米女子プロ | 優勝: 1988年 |
全米女子OP | 2位: 1999年 |
デュモーリエ | 3位: 1988年 |
受賞 | |
LPGA賞金女王 | 1988年 |
GWAA年間最優秀 女性プレーヤー | 1988年 |
シェリー・ターナー(Sherri Turner、1956年10月4日 - )は、アメリカ合衆国の女子プロゴルファー。1984年からLPGAツアーに参戦し、LPGAツアーでメジャー選手権1勝を含む、通算3勝を挙げた[1]。
サウスカロライナ州グリーンビルで生まれ[1]、4歳でゴルフを始めた[2]。1974年・1975年のカロライナ・ジュニアチャンピオンとなる。ファーマン大学に通い、在学中にウィメンズ・サザンインターカレッジなど3つのトーナメントに勝利する[3]。
1979年にプロに転向、1979年から84年までWSGTミニツアーでプレーしていた[2]。1984年、LPGAツアーに参戦、ツアーでも屈指のロングヒッターの1人であった。ツアーでは通算3勝を挙げ、その内の1勝がメジャー大会の1988年マツダLPGA選手権である[2]。この1988年には賞金女王になり[4]、米国ゴルフ記者協会(GWAA)[2]、ゴルフ・イラストレーテッド、ゴルフ・ワールド、ゴルフ・マガジンから年間最優秀女性プレーヤーに選ばれた[5]翌年も賞金ランキングで10位になったが、その頃から次第にフォームが崩れ、その後の2年間はトップ40に留まった。1999年、メジャー選手権の全米女子オープンで2位となる。また、LPGAツアーにおいて通算90回以上のトップ10フィニッシュを達成した[3]。
1989年、ファーマン・アスリート殿堂入りを果した[3]。1990年にはニュトラ・スウィート殿堂入りを果した初の人物となった。彼女はサウスカロライナ殿堂の名誉会員でもある[3]。1997年から99年までLPGAプレーヤー執行委員会のメンバーを務めた[2]。ターナーは15歳で1型糖尿病と診断されていた[5][6]。
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No. | 日付 | トーナメント | スコア | ストローク差 | 2位の選手 |
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1 | 1988年 | マツダLPGA選手権 | −7 (70-71-73-67=281) | 1打差 | エイミー・オルコット |
2 | 1988年 | LPGAコーニングクラシック | −15 (71-63-69-70=273) | 2打差 | ジョアン・カーナー 具玉姫 |
3 | 1989年 | オリックス・ハワイアン・レディースオープン | −11 (70-69-66=205) | 4打差 | サラ・アン・マゲトリック |
LPGAツアー プレーオフの記録 (0勝2敗)
No. | 年 | トーナメント | 対戦相手 | 結果 |
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1 | 1988年 | サラ・リークラシック | タミー・グリーン パティ・リゾ キム・ウィリアムズ |
リゾが5ホール目にバーディーで勝利 グリーンとウィリアムズは1ホール目に脱落 |
2 | 1988年 | レディ・キーストン・オープン | シャーリー・ファーロング | 1ホール目、相手のパーで敗北 |
年 | 選手権 | スコア | ストローク差 | 2位の選手 |
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1988年 | マツダLPGA選手権 | −7 (70-71-73-67=281) | 1打差 | エイミー・オルコット |
プロフェッショナル