『シカゴ16』 | ||||
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シカゴ(バンド) の スタジオ・アルバム | ||||
リリース | ||||
録音 | 1982年1月 - 4月 | |||
ジャンル |
ロック ブラス・ロック AOR | |||
時間 | ||||
レーベル | フル・ムーンレコード/ワーナー | |||
プロデュース | デイヴィッド・フォスター | |||
専門評論家によるレビュー | ||||
シカゴ(バンド) アルバム 年表 | ||||
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ミュージックビデオ | ||||
「Hard To Say I'm Sorry」 - YouTube 「Love Me Tomorrow」 - YouTube |
『シカゴ16』(Chicago 16) は、アメリカのバンド、シカゴの13枚目のスタジオ・アルバム。1982年6月7日に発表された。2023年現在の正式な邦題は「ラヴ・ミー・トゥモロウ(シカゴ16)」である[1]。
デイヴィッド・フォスターがプロデュースした最初のシカゴのアルバムで、「素直になれなくて (Hard to Say I'm Sorry)」が収録された。
本作は、コロムビア・レコードでの活動を終えてワーナーと10年間の契約を結んでから最初に発表されたアルバムで、シカゴの新しい時代の到来を宣言する作品になった。1978年にテリー・キャス(ギター、ヴォーカル)が事故死した後に発表された『ホット・ストリート』以来、彼等にとって真の意味でのヒット・アルバムであり、商業的成功という意味での重要かつ長きにわたる「セカンド・ウィンド」をもたらした。幾つかの点で、彼等が1970年代に成し遂げた様々な成功を凌ぐ成績を上げた。
1980年に前作『シカゴ14』を発表した後、1981年になるとメンバーは商業的な意味での自分達の訴求力とイメージがかつてなく低下していることに気がついた。そこでサンズ・オヴ・チャンプリンのオリジナル・メンバーでフロント・マンでもあったビル・チャンプリンを迎え入れ、キーボードとヴォーカルを任せた。この試みはうまくいき、チャンプリンはキャスのヴォーカルをうまく引き継ぐことに成功した。また『シカゴ14』に参加したクリス・ピニック(ギター)が加入した。
新作アルバムを制作するにあたって、メンバーはマネージャーであるジェフ・ワルドを通じてデイヴィッド・フォスターに接触した。彼等は『シカゴ14』を念頭に置いて新作の構想を練っていたが、プロデューサーに起用されたフォスターは1980年代の彼等の音楽を根本から徹底的に考え直し、最新のマシンと技術を導入し、外部の作曲家とスタジオ・ミュージシャンを起用するという数々の重要な変更を行った。
メンバーの中でフォスターの起用によって最も利益を得たのは、音楽の嗜好が多くの部分でフォスターと共通していたピーター・セテラ(ベース、ヴォーカル)だった。両者のアダルト・コンテンポラリー志向があちこちに横溢した結果、シカゴのルーツと言えるジャズ・ロックのアンサンブルのスタイルは薄められ、若い世代の新しい聴衆の耳に訴える音楽が出来上がった。両者の協力によって、チャートに登場することのないバンドの舵取りが首尾良く運んだ。一方、かつて曲作りの中心を担って多くの楽曲を提供したロバート・ラム(キーボード、ヴォーカル)は個人的な問題のためにアルバム制作の大部分に関与できず、わずか1曲にクレジットされるだけだった。ローディール・デ・オリヴェイラ(パーカッション)は、『シカゴ14』の発表後に脱退した。TOTOのメンバー4人がそのテクニックを披露した。
『シカゴ16』は1982年6月に発表され、第9位まで上昇してプラチナ・ディスクを獲得した。「素直になれなくて (Hard to Say I'm Sorry)」は、アメリカでの2度目のシングル1位を記録した。こうしてシカゴの未来は無事救われた。シングルは、映画「青い恋人達」のサウンド・トラックに収録された「素直になれなくて/ゲッタウェイ」で、長めのバージョンを聞くことができる。後半に長いオーケストレーションをフィーチャーしている「ラヴ・ミー・トゥモロウ(Love Me Tomorrow)」は、「素直になれなくて」に続くさらなるヒットとなった
ライノ盤のリマスター版には、「What You are Missing」と「Love Me Tomorrow」の完全版は収録されていない。「What You are Missing」はシングル盤のバージョンに差しかえられており、「Love Me Tomorrow」は曲の終わり近くで一部が削除されている。とはいえ、ライノ盤にはビル・チャンプマンのデモ録音である「Daddy's Favorite Fool」がボーナストラックとして収録されている。
イギリスで当初発売されたオリジナルLPには、「What Can I Say」の前に「Rescue You」が収録されていた。
Chart (1982) | Peak position |
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Austrian Albums Chart[2] | 19 |
Canadian Albums Chart[3] | 17 |
Dutch Albums Chart[4] | 33 |
German Albums Chart[5] | 11 |
New Zealand Albums Chart[6] | 24 |
UK Albums Chart[7] | 44 |
US Billboard 200[8] | 9 |
Year | Single | Chart | Position |
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1982 | "Hard to Say I'm Sorry" | US Billboard Hot 100[8] | 1 |
US Adult Contemporary[8] | 1 | ||
UK Singles Chart[7] | 4 | ||
1982 | Love Me Tomorrow | US Billboard Hot 100[8] | 22 |
US Adult Contemporary[8] | 8 | ||
1983 | What You're Missing | US Billboard Hot 100[8] | 81 |
国/地域 | 認定 | 認定/売上数 |
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カナダ (Music Canada)[9] | Gold | 50,000^ |
ドイツ (BVMI)[10] | Gold | 250,000^ |
アメリカ合衆国 (RIAA)[11] | Platinum | 1,000,000^ |
^ 認定のみに基づく出荷枚数 |