獲得メダル | ||
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デンマークでのWOC2006にて | ||
スイス | ||
オリエンテーリング女子 | ||
世界選手権 | ||
金 | 2001 タンペレ | ロング |
金 | 2003 ザンクトガレン | スプリント |
金 | 2003 ザンクトガレン | ミドル |
金 | 2003 ザンクトガレン | ロング |
金 | 2003 ザンクトガレン | リレー |
金 | 2004 ヴェステロース | スプリント |
金 | 2005 愛知 | スプリント |
金 | 2005 愛知 | ミドル |
金 | 2005 愛知 | ロング |
金 | 2005 愛知 | リレー |
金 | 2006 オーフス | ミドル |
金 | 2006 オーフス | ロング |
金 | 2007 キエフ | スプリント |
金 | 2007 キエフ | ミドル |
金 | 2009 ミシュコルツ | ロング |
金 | 2010 トロンハイム | スプリント |
金 | 2010 トロンハイム | ロング |
金 | 2012 ローザンヌ | スプリント |
金 | 2012 ローザンヌ | ロング |
金 | 2012 ローザンヌ | リレー |
銀 | 2006 オーフス | スプリント |
銀 | 2010 トロンハイム | ミドル |
銅 | 2001 タンペレ | スプリント |
銅 | 2006 オーフス | リレー |
銅 | 2007 キエフ | ロング |
銅 | 2009 ミシュコルツ | ミドル |
銅 | 2009 ミシュコルツ | スプリント |
ワールドゲームズ | ||
金 | 2005 デュースブルク | ミドル |
金 | 2005 デュースブルク | リレー |
ワールドカップ | ||
金 | 2002 | 総合 |
金 | 2004 | 総合 |
金 | 2005 | 総合 |
金 | 2006 | 総合 |
金 | 2007 | 総合 |
金 | 2009 | 総合 |
金 | 2010 | 総合 |
金 | 2012 | 総合 |
金 | 2013 | 総合 |
銀 | 2000 | 総合 |
ヨーロッパ選手権 | ||
金 | 2002 ヴェスプレーム | クラシック |
金 | 2004 ロスキレ | スプリント |
金 | 2004 ロスキレ | ロング |
金 | 2006 ヴァルガ | スプリント |
金 | 2006 ヴァルガ | ロング |
金 | 2010 プリモルスコ | ミドル |
金 | 2010 プリモルスコ | ロング |
金 | 2012 ファールン | スプリント |
金 | 2012 ファールン | ミドル |
金 | 2012 ファールン | ロング |
銀 | 2000 リヴィウ州 | ショート |
銀 | 2002 ヴェスプレーム | リレー |
銀 | 2006 ヴァルガ | リレー |
銀 | 2010 プリモルスコ | スプリント |
銅 | 2010 プリモルスコ | リレー |
ジュニア世界選手権 | ||
金 | 1997 リンブルフ | クラシック |
銀 | 1996 ゴヴォラ | リレー |
銅 | 1997 リンブルフ | リレー |
銅 | 1998 ランス | リレー |
シモーネ・ニグリ=ルーダー (Simone Niggli-Luder、1978年1月9日 ‐ ) は、オリエンテーリング選手であり、スイスを代表するアスリートである。世界オリエンテーリング選手権(WOC)では2003年と2005年に女子4冠を達成している。
シモーネは地元ヒンデルバンクの地域クラブに入ることで早くよりオリエンテーリングに親しみ、初めて大会に参加したのは10歳の時のことだった。それ以降は数々の素晴らしい成績を残している。1997年にベルギーのリンブルフで開かれたジュニア世界選手権(JWOC)ではクラシック種目で優勝、スイス選手権で勝つこと20回以上、フィンランド選手権では1回、スウェーデン選手権では9回勝利を収めている。また ワールドカップでは7度の総合優勝、ワールドゲームズでは2度、ヨーロッパ選手権(EOC)では10度の優勝を収めている。2011年までに世界選手権(WOC)で獲得した金メダル枚数は累計17枚であり、WOC2003とWOC2005では4冠を達成している。
2013年9月、10月頭に地元スイスで開催されるワールドカップ最終戦をもって代表引退することを表明した[1][2]。シモーネは10月5日のワールドカップ第12戦ミドル競技で見事に優勝。それまでワールドカップ総合成績のトップを走っていたトーベ・アレクサンダーソンに接近するものの、シモーネが総合優勝を果たすには翌日10月6日に行われる第13戦(最終戦)スプリント競技で優勝した上でトーベ・アレクサンダーソンが4位以下となることが絶対条件であった[3]。結果はシモーネが優勝、トーベが4位となり、シモーネの2年連続9度目の総合優勝が決定。見事、有終の美を飾ることとなった。
ベルン大学卒業。専攻は生物学。2003年に結婚し、双子を2人含む3子。