トム・プライスのドライブするDN5、1975年のレース・オブ・チャンピオンズ | |||||||||||
カテゴリー | F1 | ||||||||||
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コンストラクター | シャドウ | ||||||||||
デザイナー | トニー・サウスゲート | ||||||||||
先代 | DN3 | ||||||||||
後継 | DN7 / DN8 | ||||||||||
主要諸元[1] | |||||||||||
シャシー | アルミニウム製モノコック | ||||||||||
トレッド |
前:1,499 mm (59.0 in) 後:1,575 mm (62.0 in) | ||||||||||
ホイールベース | 2,667 mm (105.0 in) | ||||||||||
エンジン | コスワースDFV 3.0リッター V型8気筒 NA | ||||||||||
トランスミッション | ヒューランド TL 200 5速 マニュアル | ||||||||||
重量 | 589 kg (1,299 lb) | ||||||||||
燃料 | UOP | ||||||||||
タイヤ | グッドイヤー | ||||||||||
主要成績 | |||||||||||
チーム | シャドウ・レーシング・カーズ | ||||||||||
ドライバー |
ジャン=ピエール・ジャリエ トム・プライス | ||||||||||
コンストラクターズタイトル | 0 | ||||||||||
ドライバーズタイトル | 0 | ||||||||||
初戦 | 1975年アルゼンチングランプリ | ||||||||||
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シャドウ・DN5 (Shadow DN5) は、シャドウ・レーシング・カーズが1975年のF1世界選手権に投入したフォーミュラ1カー。改良型のDN5Bは1976年シーズンおよび1977年の序盤2戦で使用された。DN5および5Bはポールポジションを3回、ファステストラップを2回獲得している。決勝最高位は3位が2回で、いずれもトム・プライスが獲得した。
シャドウ・DN5は、トニー・サウスゲートによって設計された。前年に使用されたDN3の発展型であり、空気力学的に洗練されており[2]、重量配分も再構成されていた。翌シーズンは改良が施されDN5Bとして投入されたが、ラジエターインテイクの形状が変更された以外は大きな変化は無かった。チームのメインスポンサーであったUOPはスポンサードを取りやめた[3]。
DN5は予選で何度か好成績を残し、速い車であることを証明した。実際、シーズン開幕戦のアルゼンチングランプリではジャリエがポールポジションを獲得している[2]。しかしながら決勝ではギアボックストラブルのためウォームアップラップを完了できず、スタートすることができなかった[2]。次戦のブラジルでもジャリエはポールポジションを獲得し、決勝ではファステストラップも記録したが、32周目に燃料システムのトラブルでリタイアしている。結局車の低い信頼性と、いくつかのミスにより、ジャリエのこのシーズンの完走は2回のみであった[2]。最高位はスペイングランプリの4位で、このレースは死亡事故が発生したことで途中で打ち切りとなり、ポイントは通常の半分であった。シーズン後半のオーストリアとイタリアでジャリエはDN5に代えてマトラV12エンジンを搭載したDN7をドライブしている[3]。
トム・プライスはシーズンの序盤2戦を前年のDN3を改良したDN3Bで戦った。プライスは第3戦からDN5を使用したが、ジャリエよりも好成績を残した。プライスは6位を3回、ドイツグランプリでは4位、オーストリアグランプリでは3位に入賞している。彼はまた、イギリスグランプリではポールポジションを記録したが、ブラジルでのジャリエ同様レースの大半をリードしながらリタイアした[4]。
1976年シーズン、DN5は「B」スペックへのアップデートが行われた[3]。しかしながら、信頼性は大きく改善されたものの、競争力は不足し、シーズン後半には顕著になった。ジャリエはブラジルグランプリで予選3位となり、決勝の大半を2位で走行したものの結局はクラッシュ、リタイアとなった。プライスは3位に入ったが、これがこのシーズンにおけるチームの最高位となった。両ドライバーとも定期的にトップ10入りしたが、ポイントに繋がったのはプライスのブラジルでの3位とイギリスでの4位のみであった[5]。プライスは第12戦オランダグランプリから新型のDN8にスイッチしたが[6]、ジャリエはDN5Bに乗り続けた[5]。
DN5Bは1977年シーズン序盤も使用され、新人のレンツォ・ゾルジが2戦でドライブした。開幕戦アルゼンチンはリタイアしたが、DN5B最後となったブラジルでゾルジは6位に入った[5]。
年 | チーム | シャシー | エンジン | タイヤ | ドライバー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | ポイント | 順位 |
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1975年 | UOPシャドウ・レーシング・カーズ | DN5 | フォード V8 | G | ARG |
BRA |
RSA |
ESP |
MON |
BEL |
SWE |
NED |
FRA |
GBR |
GER |
AUT |
ITA |
USA |
9.5 | 6位 | ||||
ジャン=ピエール・ジャリエ | DNS | Ret | Ret | 4 | Ret | Ret | Ret | Ret | 8 | Ret | Ret | Ret | ||||||||||||
トム・プライス | 9 | Ret | Ret | 6 | Ret | 6 | Ret | Ret | 4 | 3 | 6 | NC | ||||||||||||
1976年 | シャドウ・レーシング・カーズ | DN5B | フォード V8 | G | BRA |
RSA |
USW |
ESP |
BEL |
MON |
SWE |
FRA |
GBR |
GER |
AUT |
NED |
ITA |
CAN |
USA |
JPN |
10* | 8位 | ||
ジャン=ピエール・ジャリエ | Ret | Ret | 7 | Ret | 9 | 8 | 12 | 12 | 9 | 11 | Ret | 10 | 19 | 18 | 10 | 10 | ||||||||
トム・プライス | 3 | 7 | Ret | 8 | 10 | 7 | 9 | 8 | 4 | 8 | Ret | |||||||||||||
1977年 | シャドウ・レーシング・カーズ | DN5B | フォード V8 | G | ARG |
BRA |
RSA |
USW |
ESP |
MON |
BEL |
SWE |
FRA |
GBR |
GER |
AUT |
NED |
ITA |
USA |
CAN |
JPN |
23° | 7位 | |
レンツォ・ゾルジ | Ret | 6 | ||||||||||||||||||||||
トム・プライス | Ret |
* 1976年シーズンのポイントの内3ポイントはDN8による
°1977年シーズンのポイントの内22ポイントはDN8による