「シュガー・マウンテン」 | ||||||||
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ニール・ヤング の シングル | ||||||||
A面 | ローナー | |||||||
リリース | ||||||||
規格 | 7インチ・シングル | |||||||
録音 | ミシガン州アナーバー(1968年11月10日) | |||||||
ジャンル | フォーク、フォークロック | |||||||
時間 | ||||||||
レーベル | リプリーズ・レコード | |||||||
作詞・作曲 | ニール・ヤング | |||||||
プロデュース |
ニール・ヤング デヴィッド・ブリッグス | |||||||
ニール・ヤング シングル 年表 | ||||||||
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「シュガー・マウンテン」(Sugar Mountain)は、ニール・ヤングが19歳の誕生日に書いた楽曲。弾き語りで演奏されることが多く、1979年のライブ・アルバム『Live Rust』のA面1曲目を飾った。
1964年11月12日、オンタリオ州のフォート・ウィリアムでヤングは19歳の誕生日を迎えた。ウィニペグで結成したバンド、スクワイアーズ(The Squires)とともにツアーを行っていたときで、宿泊先のヴィクトリア・ホテルでこの曲を書いた。
ニール・ヤングが在籍していたスクワイアーズは、年齢が20歳になる前にバンドを辞めてもらう、というルールが存在した為、スクワイアーズを脱退し、ウィニペグのフォーククラブで活動していた頃、ヤングはジョニ・ミッチェルと知り合う(ミッチェルの回想によればこの時代の彼はボブ・ディランに非常に影響を受けていたという)[1][2]。ミッチェルの代表作の一つである「サークル・ゲーム」は「シュガー・マウンテン」への返歌として書かれた。彼女は1970年10月にロンドンでジェームス・テイラーと行ったコンサート[3]で次のように述べている。
彼はちょうどロックンロールのバンドを辞めた頃だった。21歳になったからという理由で。21を超えたら十代の女の子が騒ぐようなクラブには決して戻れないんだと彼は言っていた。突き動かされるように彼はフォーク・シンガーになろうとして、丘の上にあがって「ああ、シュガー・マウンテンで暮らすには」っていう歌を書いた。その歌には失われた青春に対する嘆きが込められていた。でも私は思った。私たちみんな21歳になったら、そのあとは何にもなくて、荒涼たる未来しか残されてないっていうの? 冗談じゃない。だから私は彼のために、それから自分自身にも希望をもたらすために曲を書いたの。それがこの「サークル・ゲーム」という曲です[4]。
1968年11月8日から10日にかけてミシガン州アナーバーのカンタベリー・ハウスでヤングはライブを行う。11月10日演奏のテイクが1969年2月21日発売のデビュー・ソロ・シングル「ローナー」のB面に収録される(B面のみモノラル・ミックス)。同バージョンの「シュガー・マウンテン」は1970年4月20日発売のシングル「シナモン・ガール」のB面に再び収録される。アルバム初収録は、1977年10月28日発売の3枚組のコンピレーション・アルバム『Decade』である。
2008年12月2日、カンタベリー・ハウスのライブ音源を集めた『Sugar Mountain – Live at Canterbury House 1968』が発売。このときオリジナル・バージョンのステレオ・ミックスが初めてお目見えした。