シュジャーウッディーン・アフマド(Shuja al-Din Ahmad、1570年 - 1619年)は、ヤルカンド・ハン国の第5代君主。
ムハンマドの長男。父がシャーによってカラシャールで抑留されている時に誕生した。1590年にアクスの総督に任じられ、1596年にウチャの総督に転じた。シャー・マフムード・チュラスからは「賢明で柔和なオアシスの支配者」と評された。
1610年にムハンマドが死去すると、黒山派のサイード・ホージャに擁立されて即位した。これは、トルファンの総督だったアブドラッラヒームの不満を引き起こし、アブドラッラヒームは反旗を翻して東部で自立した。同時期にカラシャールで王子のハーシムも反乱を起こした。ハーシムの反乱はシュジャーウッディーン・アフマドの長男のティムールによって平定されたが、アブドラッラヒームは依然として東部に勢力を持ち続けた。1615年にティムールが事故死すると、シュジャーウッディーン・アフマドの従弟のサラーフッディーンがカシュガルで反乱を起こしたが、この反乱はシュジャーウッディーン・アフマドの末子のアブドゥッラティーフによって鎮圧された。
1619年、狩猟に出かけていた最中に反対派のイシカガ・アブル・マーニー(シャカ族)とハーキム・サリコル・ムハンマド・カシム(ミールザー・シャーの子)によって暗殺された。シャカ族はサラーフッディーンの弟のクライシュを新たな君主に擁立した。
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