シルバープレート(Silverplate)とは、第二次世界大戦末期に原子爆弾投下任務を遂行するために改修を受けた特殊仕様のB-29を指す呼称、及びその計画のコードネームである。
銀メッキを意味するSilver Plateが語源だが、Silverplateとスペースが入らない表記が用いられた。ただし、計画の初期段階にはSilver Plated Projectとわかち書きで記されていた時期もある。
この計画に使用されたB-29はプロトタイプを含め第二次世界大戦後までで総数65機、大半が通常型B-29を改修したものであった。プロトタイプの初号機完成は1943年11月末、初飛行は1944年1月である。
プロトタイプは、当初計画された「シンマン」と呼ばれるプルトニウムガンバレル型原子爆弾(同時進行的に、プルトニウム爆縮方式の長崎型原爆「ファットマン」も計画されていた)の形状に合わせて改修された構造のB-29を指す。このシンマン原爆は全長が5m以上の非常に細長い形状をしていたため、前後2箇所の爆弾倉扉を1つにつなげたシンマン原爆専用ともいえる構造をしていた。
しかし、原爆開発科学者はプルトニウムはガンバレル型原爆には適さない(当時の技術ではガンバレル方式で原爆としての核分裂反応を起こせる純度のプルトニウム239の生成が困難だったため)と結論づけ、プルトニウムの代わりにウラン235を用いるガンバレル型原爆(のちに広島市へ投下された「リトルボーイ」)に設計変更された。ウラン型原爆は爆弾長をシンマンよりもかなり短縮できるとの報告を受け、プロトタイプのシルバープレートは再び前後独立した2箇所の爆弾倉扉に戻され、更に下記に示すような構造に改修されることとなった。
広島、長崎市への原爆投下任務に用いた機体は総数15機で、主な改修点として、
等を施された。
また、原爆に関する全ての事項を徹底的に秘匿した(アメリカ国内でも、限られたごく一部の政治家・軍司令官クラスしか原爆計画は知らされていなかった)ため、この機体を配備した原爆投下任務部隊(第509混成部隊)の固有マーキング(円の中に前向きの矢印)も、部隊がテニアン基地に展開しパンプキン爆弾を用いた原爆投下訓練を開始する頃(1945年7月中旬)には既存の通常爆撃部隊のマーキングを流用した。こういった経緯もあって外観上通常型B-29との識別は困難である。なお、マーキングは戦後本国へ帰還したのち元に戻された。
陸軍航空軍 シリアルナンバー |
ビクター ナンバー |
機体愛称 | 航空機司令 | 陸軍航空隊 配属日 |
テニアン飛行場 到着日 |
尾翼マーキング (テイルコード) |
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44-27296 | 84 | サム・パンプキンス | ジェームス・プライス[1] | 1945年3月19日 | 1945年6月14日 | 大型 A |
44-27297 | 77 | ボックスカー | フレデリック・ボック | 1945年3月19日 | 1945年6月17日 | 三角形 N |
44-27298 | 83 | フルハウス | ラルフ・テイラー[2] | 1945年3月20日 | 1945年6月17日 | 四角形 P |
44-27299 | 86 | ネクスト・オブジェクティブ | ラルフ・デボー[3] | 1945年3月20日 | 1945年6月17日 | 三角形 N |
44-27300 | 73 | ストレンジ・カーゴ | ジョセフ・ウエストオーバー[4] | 1945年4月2日 | 1945年6月11日 | 大型 A |
44-27301 | 85 | ストレートフラッシュ | クロード・イーザリー | 1945年4月2日 | 1945年6月14日 | 三角形 N |
44-27302 | 72 | トップ・シークレット | チャールズ・マックナイト[5] | 1945年4月2日 | 1945年6月11日 | 大型 A |
44-27303 | 71 | ジャビット3世 | ジョン・ウィルソン[6] | 1945年4月3日 | 1945年6月11日 | 大型 A |
44-27304 | 88 | アップ・アン・アトム | ジョージ・マーコート[7] | 1945年4月3日 | 1945年6月17日 | 三角形 N |
44-27353 | 89 | グレート・アーティスト | チャールズ・オルバリー[8] | 1945年4月20日 | 1945年6月28日 | 丸型 R |
44-27354 | 90 | ビッグ・スティンク | トーマス・クラッセン[9] | 1945年4月20日 | 1945年6月25日 | 丸型 R |
44-27291 | 91 | ネセサリー・エヴィル | ノーマン・レイ[10] | 1945年5月18日 | 1945年7月2日 | 丸型 R |
44-86292 | 82 | エノラ・ゲイ | ロバート・ルイス[11] | 1945年5月18日 | 1945年7月6日 | 丸型 R |
44-86346 | 94 | ルーク・ザ・スポーク | ハーマン・ザン[12] | 1945年6月15日 | 1945年8月2日 | 四角形 P |
44-86347 | 95 | ラッギン・ドラゴン | エドワード・コステロ[13] | 1945年6月15日 | 1945年8月2日 | 四角形 P |
広島市への原子爆弾投下任務に参加した機体は下記の通りである。
※バックアップ機はビッグ・スティンクであったという資料もある。
長崎市への原子爆弾投下任務には下記の6機が使用された。
戦後の1946年7月1日、クロスロード作戦において、史上4番目に爆発した原爆となったABLE(エイブル)の投下にデーブス・ドリーム(ビッグ・スティンク)が使用された。