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選手情報 | |||||||||||||||
フルネーム | ジェイ・シルベスター | ||||||||||||||
国籍 | アメリカ合衆国 | ||||||||||||||
種目 | 円盤投 | ||||||||||||||
生年月日 | 1937年8月27日(87歳) | ||||||||||||||
生誕地 | ユタ州トレモントン | ||||||||||||||
身長 | 189cm | ||||||||||||||
体重 | 120kg | ||||||||||||||
自己ベスト | 円盤投 : 70m38 (1971年) | ||||||||||||||
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ジェイ・シルベスター(Jay Silvester、1937年8月27日 - )は、アメリカ合衆国の陸上競技選手。男子円盤投の元世界記録保持者。1972年ミュンヘンオリンピックの銀メダリストである。ユタ州トレモントン出身。
シルベスターは1960年代から1970年代にかけて活躍した選手で、同年代のライバルでオリンピック4連覇を果たしたアル・オーターの影に隠れてしまっているが、オーター回と同じ4回の世界新記録を出しており、もっと注目されてもよい選手である。
シルベスターは、1960年ローマオリンピックの派遣選手を決める代表選考試合で、ライバルのリンク・バブカやオーターらに敗れ4位となり、惜しくも出場を逃している。しかし、翌年の1961年8月11日、西ドイツのフランクフルトにおいて、60m56の投てきで、自身初の世界新記録とともに、史上初の公認の60mスローを達成した。(オーターとバブカはすでに61mを投げていたが公認されていない。)そのわずか9日後、ベルギーのブリュッセルにおいて、60m72と自身の世界記録を更新している。その後も9月に64m06という驚異的な記録を出したものの、公認されることはなく、1962年にロンドンで60m85を出したときには、すでにオーターが61m10の世界記録を出していた後だった。
1964年東京オリンピック出場を決める選考会では、シルベスターはオーターを下し1位でオリンピック初出場を決めた。オリンピックでは、シルベスターは5投目に59m09を投げこの時点で3位に浮上した。一方オーターは4位に転落した。しかし、オーターが直後に61m00とトップに立つ投てきで逆転。シルベスターは逆に4位に転落。そのままシルベスターの最終投てきもファールとなり、初めてのオリンピックで4位と惜しくもメダルに届かなかった。
1968年メキシコシティーオリンピックが開催される年のシルベスターは好調であった。5月25日に66m54の記録を出し、チェコスロバキアのルドビク・ダネクが持っていた世界記録を7年ぶりに奪還。オリンピック直前の9月18日にはネバダ州のリノで、68m07、68m40と連続世界新記録を達成した。オリンピックではオーターの前人未到の4連覇の偉業がかかっていたが、この年のオーターとの直接対決はシルベスターが7戦して6勝しており、オリンピックでもシルベスターのほうが下馬評が高かった。
さて本番では、予選からシルベスターは63m34のオリンピック新記録を樹立。好調を維持していた。ところが、決勝ではフォームを崩してしまい。61m78しか投げられず5位と惨敗してしまった。一方で、オーターは決勝で64m78と、シルベスターが予選で出したオリンピック記録を破り4連覇の大偉業を達成した。
オーター引退後の1972年、3回目のオリンピックとなったミュンヘンオリンピックでは、63m50の投てきで5投目までトップに位置していた。しかし、最終投てきで、ダネクが64m40の投てきでシルベスターを逆転。シルベスターは金メダルを逃してしまったものの銀メダルを獲得。はじめての表彰台に立った。
1976年、シルベスターは最後のオリンピックとなったモントリオールオリンピックに4大会連続出場を果たす。アメリカ選手ではマック・ウィルキンズやジョン・パウエルといった新しい勢力が台頭する中、8位に終わり、現役を引退した。
シルベスターはその後、ユタ州のブリガムヤング大学の教授となった。
年 | 大会 | 場所 | 種目 | 結果 | 記録 |
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1964 | オリンピック | 東京(日本) | 円盤投 | 4位 | 59.09m |
1968 | オリンピック | メキシコシティ(メキシコ) | 円盤投 | 5位 | 61.78m |
1972 | オリンピック | ミュンヘン(西ドイツ) | 円盤投 | 2位 | 63.50m |
1975 | パンアメリカンゲームズ | メキシコシティ(メキシコ) | 円盤投 | 3位 | 59.82m |
1976 | オリンピック | モントリオール(カナダ) | 円盤投 | 8位 | 61.98m |