1984年 | |
基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | ハワイ州オアフ島ホノルル |
生年月日 | 1962年6月1日(62歳) |
身長 体重 |
184 cm 90 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 外野手 |
プロ入り | 1980年 MLBドラフト1巡目 |
初出場 |
MLB / 1987年9月9日 NPB / 1991年7月19日 |
最終出場 |
MLB / 1988年4月11日 NPB / 1992年10月13日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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ジェシー・トーマス・リード(Jessie Thomas Reid , 1962年6月1日 - )は、アメリカ合衆国ハワイ州ホノルル出身の元プロ野球選手(外野手)。
リンウッド高校から1980年のMLBドラフト1巡目(全体の7番目)でサンフランシスコ・ジャイアンツと契約。1987年9月にメジャー初昇格を果たし、9月29日には初スタメンでサンディエゴ・パドレスのジミー・ジョーンズから本塁打を放つも、2年間で出場は8試合のみ、安打はその本塁打1本のみにとどまった。1989年にオークランド・アスレチックスと契約するがメジャー昇格はならず、シーズンオフにフリーエージェントとなった。
1991年7月に日本へ渡り、NPBの近鉄バファローズへ入団。同年、近鉄はラルフ・ブライアント、ジム・トレーバーという強力助っ人外国人を擁し、首位争いを演じていた。しかし、7月にブライアントが故障で戦線離脱してしまう。だが、第3の外国人として契約していたオジー・カンセコはまだ一軍出場の目処が立っていなかった。そこで白羽の矢が立ったのがリードだった。
入団するとすぐに一軍登録され、シーズン終了まで出場し続け51試合に出場し打率.275本塁打10本を記録しチーム残留を勝ち取った。翌1992年はトレーバーが退団したこともあって開幕から一軍で4番打者として出場し続けていたが、他球団に対策され打率を大きく下げ本塁打も10本止まりとなる。シーズン後半には途中入団したアルビン・デービスに一軍の座を譲り渡すこととなる。シーズン最終戦の10月13日の対日本ハム戦で、途中出場のリードは延長10回裏に芝草宇宙からサヨナラ本塁打を放つが、その試合を最後に退団し、1994年にメキシコでプレーしたのを最後に現役を引退した。
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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1987 | SF | 6 | 9 | 8 | 1 | 1 | 0 | 0 | 1 | 4 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 5 | 0 | .125 | .222 | .500 | .722 |
1988 | 2 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
1991 | 近鉄 | 51 | 215 | 182 | 31 | 50 | 12 | 1 | 10 | 94 | 34 | 0 | 1 | 0 | 1 | 31 | 2 | 1 | 37 | 4 | .275 | .381 | .516 | .898 |
1992 | 77 | 296 | 246 | 33 | 57 | 10 | 1 | 10 | 99 | 37 | 0 | 0 | 0 | 2 | 47 | 0 | 1 | 66 | 5 | .232 | .355 | .402 | .757 | |
MLB:2年 | 8 | 11 | 10 | 1 | 1 | 0 | 0 | 1 | 4 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 6 | 0 | .100 | .182 | .400 | .582 | |
NPB:2年 | 128 | 511 | 428 | 64 | 107 | 22 | 2 | 20 | 193 | 71 | 0 | 1 | 0 | 3 | 78 | 2 | 2 | 103 | 9 | .250 | .366 | .451 | .817 |