艦歴 | |
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発注: | 1962年11月1日 |
起工: | 1963年11月23日 |
進水: | 1965年5月22日 |
就役: | 1966年4月16日 |
退役: | 1999年7月8日 |
その後: | 原子力艦再利用プログラム |
除籍: | |
性能諸元 | |
排水量: | 水上 6,527トン 水中 7,345トン |
全長: | 129.5 m (425 ft) |
全幅: | 10 m (33 ft) |
吃水: | 9.4 m (31 ft) |
機関: | S5W型原子炉 |
最大速: | |
兵員: | 士官14名、兵員129名 |
兵装: | ミサイル発射管16門、 21インチ魚雷発射管4門 |
ジェームズ・K・ポーク(USS James K. Polk, SSBN/SSN-645)は、アメリカ海軍の原子力潜水艦。ベンジャミン・フランクリン級原子力潜水艦の6番艦。艦名は第11代大統領ジェームズ・K・ポークに因む。その名を持つ艦としてはプレジデント・ジャクソン級攻撃輸送艦6番艦プレジデント・ポーク(AP-103)以来2隻目。
ジェームズ・K・ポークの建造は1962年11月1日にコネチカット州グロトンのジェネラル・ダイナミクス、エレクトリック・ボート社に発注され、1963年11月23日に起工した。1965年5月22日にホレーショ・リベイロ・ジュニア夫人(海軍作戦副部長リベイロ提督の妻)によって進水し、1966年4月16日にブルー班艦長R・M・ダグラス中佐およびゴールド班艦長F・D・マクミューレン・ジュニア中佐の指揮下就役した。
ジェームズ・K・ポークは1966年9月にサウスカロライナ州チャールストンに向けて出航し、最初の戦略抑止哨戒のためにポラリスミサイルを搭載する。整調期間が完了すると大西洋で活動し、1966年から1971年5月までの期間に17回の抑止哨戒を完了した。
1971年7月にジェームズ・K・ポークは最初のオーバーホールのためバージニア州のニューポート・ニューズ造船所のドックに入る。このオーバーホールでは核燃料の補給と、ポセイドンミサイル運用のための改修が行われた。改修作業は1972年後半に完了し、公試と訓練の期間に入る。この期間にジェームズ・K・ポークはミサイル発射試験を行った。
ジェームズ・K・ポークは1973年5月に大西洋で戦略抑止哨戒を再開する。1981年9月に50回目の哨戒を完了した後、ジェームズ・K・ポークはポーツマス海軍造船所で2回目のオーバーホールを開始する。作業は1983年に完了し、その後は7回の哨戒を完了した。
ジェームズ・K・ポークは58回目の哨戒を完了すると、1986年1月にポーツマス海軍造船所で3回目のオーバーホールに入る。作業完了後1988年11月に出航し、整調活動を行う。1989年5月にジェームズ・K・ポークは最後の哨戒活動を開始した。
1991年4月に就役25周年を記念し、8月には66回目、最後の哨戒を完了した。ジェームズ・K・ポークは19ヶ月におよぶ転換作業で、1994年3月に16基のミサイル発射管が取り外され、SSBN-645 から SSN-645 に艦種変更された。変更後ジェームズ・K・ポークはドライデッキシェルターを装備し、二度の地中海配備で多くの特殊部隊演習およびNATO軍演習に参加した。
1999年1月9日にジェームズ・K・ポークはノーフォークで不活性化された。1999年7月8日に退役し、原子力艦再利用プログラムに基づき解体された。
2001年5月時点で、ジェームズ・K・ポークのセイル部分はニューメキシコ州アルバカーキの国立原子力博物館に展示されていた。