ジェーンへの手紙 | |
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Letter to Jane | |
監督 | ジガ・ヴェルトフ集団 |
脚本 | ジガ・ヴェルトフ集団 |
製作 | ジガ・ヴェルトフ集団 |
出演者 |
ジェーン・フォンダ ジャン=リュック・ゴダール ジャン=ピエール・ゴラン |
撮影 | ジャン=リュック・ゴダール |
編集 | ジガ・ヴェルトフ集団 |
製作会社 | ソニマージュ |
配給 | ニューヨーカーズ・フィルム |
公開 | 1974年4月11日 |
上映時間 | 52分 |
製作国 | フランス |
言語 |
フランス語 英語 |
『ジェーンへの手紙』( - てがみ、英語Letter to Jane)は、「ジガ・ヴェルトフ集団」のつくった映画『万事快調』(1972年)に対する「追伸」として製作された映画であり、映画監督ジャン=リュック・ゴダールとジャン=ピエール・ゴランが同集団の名のもとに、1972年に共同監督した映画である。「ジガ・ヴェルトフ集団」(1968年 - 1972年)最後の作品である。
『万事快調』撮影中にゴダールとゴランを批判したジェーン・フォンダへの反論として提示された52分の映画エッセイである。ゴダールとゴランとが行ったり来たりするスタイルでナレーションを語り、たった一枚のニュース写真を記号論的分析を加えて脱構築していく。この写真[1]は、1972年7月21日は週刊ニュース誌『レクスプレス L'Express』に掲載された、北ヴェトナムを訪問した際のジェーン・フォンダの写真である[2]。
筋金入りのマルクス主義者でありマオイストであるゴダールとゴランが、にわか反戦左翼のブルジョワでしかないジェーンを戯画的に批判する、という構図であり、マスコミに「ハノイ・ジェーン」というあだ名をつけられているが、それは帝国主義的に付加された商品価値にほかならない、というのが本作の論旨の基調である。
本作は、ゴダールとゴランの最後のコラボレーションとなった。1972年10月10日、ニューヨーク映画祭(New York Film Festival)で上映されたが、作品の完成をみて「ジガ・ヴェルトフ集団」は解散、ゴランは『L'Ailleurs immédiat』という映画をソロで監督、撮影はしたもののトラブルのために完成せぬまま1973年にパリを去ってカリフォルニア州サンディエゴへ、ゴダールはアンヌ=マリー・ミエヴィルとともにグルノーブルへと移住した。グルノーブルでゴダールとミエヴィルは映画製作会社「ソニマージュ」を設立し、1974年4月11日からのアメリカでの公開等その後のリリースについては同社が管理した。ゴダールのいわゆる「政治の時代」は本作をもって終了する。
写真の記号論的分析という映画手法に関しては、ゴダール=ミエヴィル監督・脚本の映画『うまくいってる?』(1978年)の劇中でも用いられた。のちにゴダールは、1992年に勃発したボスニア・ヘルツェゴビナ紛争での兵士たちと地面に伏したサラエヴォ市民たちの写った一枚の写真に対し、部分を切り取り、記号論的分析をオフのナレーションでゴダールが加えていくという『ジェーンへの手紙』と同様の手法で、2分少々の短篇ビデオ映画『たたえられよ、サラエヴォ Je vous salue, Sarajevo』(製作ペリフェリア、1993年)をつくった。本作から20年後のことである。
2005年、米国クライテリオン・コレクション(Criterion Collection)からリリースされたDVD版『万事快調』のエクストラ収録され、観ることが可能になった。