Jaguar XJR-5B | |||||||||
コンストラクター | ジャガー | ||||||||
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デザイナー | リー・ディクストラ | ||||||||
後継 | ジャガー・XJR-7 | ||||||||
主要諸元 | |||||||||
シャシー | FRP モノコック | ||||||||
エンジン | 6,219 cc V12 NA ミッドシップ | ||||||||
トランスミッション | 5速+リバース マニュアル | ||||||||
重量 | 943 kg | ||||||||
タイヤ | グッドイヤー | ||||||||
主要成績 | |||||||||
チーム | Group 44 | ||||||||
ドライバー |
ビル・アダム トニー・アダモヴィチ ジム・アダムス クロード・バロット・レナ パトリック・ベダード ドク・バンディ ブライアン・フェルステナウ ハーレイ・ヘイウッド デヴィッド・ホッブス ブライアン・レッドマン チップ・ロビンソン ボブ・トゥッリウス ジョン・ワトソン | ||||||||
出走時期 |
IMSA GT選手権 (1982 - 1986) | ||||||||
初戦 | 500マイルズ オブ ロード アメリカ | ||||||||
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ジャガー・XJR-5はIMSA-GTP参戦用にグループ44が製作したプロトタイプレーシングカーである。デザイナーはリー・ダイクストラ。
かつてジャガー・EタイプでSCCA(Sports Car Club of America)の地方選手権に参戦し、ジャガー・XJSでトランザム(Trans-Am )シリーズに参戦した経験を持つボブ・トゥリウス率いるグループ44レーシングは1982年1月にIMSAへの挑戦を決定し、GTPカテゴリ用レース車両の開発を始めた。トゥリウスはジャガーからの協力を取り付け、XJ-SのV型12気筒エンジンが提供された。名称はグループ44の開発した5台目のレース用ジャガーであったことからXJR-5と命名された。
エンジンは5.3リットルのV型12気筒、トランスミッションとともにフレームの一部として活用するモノコックシャシが採用された。ボディーはロッキードの風洞実験室で開発が進められた。1983年から6リットルエンジンが搭載された。
ジャガー本社が強い興味を持ったため1983年5月にジャガーに送られデレック・ベルによるテスト走行が行われ、この結果が良かったため1984年4月にジャガーとしては27年ぶりとなる、1984年のル・マン24時間レースへの参戦が発表された[1]。この年は予選19位決勝リタイヤで終わったものの、一時は5位を走行してジャガー社内のル・マン24時間レースへの思いを急速に盛り上げ、ジャガーはトム・ウォーキンショーにグループCでのスポーツカー世界選手権(WEC)参戦を委託、1985年の後半から実際に参戦を始め、これがジャガー・XJR-9LMによる1988年のル・マン24時間レース優勝につながった。
初戦は1982年8月のロード・アメリカで、3位入賞。1983年4月にはロード・アトランタで初優勝した。1983年は計4勝をあげ、チームオーナー兼ドライバーのボブ・トゥリウスはドライバー部門ランキング2位となった。翌1984年も好成績が期待されたが、ポルシェがポルシェ・962を投入、圧倒的な性能でシリーズを席捲してしまい、マイアミでの1勝にとどまった。1985年もポルシェに対して苦戦を強いられ、ロード・アトランタでの1勝に終わった。1986年以降は改良型であるジャガー・XJR-7が投入された。
1984年のル・マン24時間レースは予選19位、決勝リタイヤ。
1985年のル・マン24時間レースは2台中1台が11気筒になりながらも13位完走。